これもたぶん新聞の書評で興味を持ったものです。

自分のことに「たぶん」と言うのもなんですが、書評やTwitter上での出版社さんの新刊紹介で気になったものをカーリルの「読みたいリスト」にぶち込んで、図書館にあれば借りるし、「買ってでも読みたいな」というものは買うし……ということを順次やっているので、最初に「その本に興味を持ったきっかけ」が何だったのか、覚えていないのです。

これは「ラテン語原典訳」という部分に引っかかって、図書館に入ったら借りようと思ってたのですが入る気配がなく……。京都の大きな書店で現物を見つけたので、文庫でもあり買ってしまいました。

買うほどじゃなかったな、と読みながら思いましたが(笑)。

名前だけは聞いたことがあるエラスムス。16世紀ルネサンスの神学者にして人文学者。この『痴愚神礼賛』は16世紀だけでも58版を重ねた大ベストセラーだったそう。

その内容は「痴愚を司る女神が自身の素晴らしい功徳について自己礼賛する」という風刺文学。

日本語タイトルを見ると、「語り手が痴愚の神を褒め称える」話に思えるけど、そうじゃなくて「痴愚の女神が自分で自分の素晴らしさを演説する」形式になっています。

「私がいるからこそ人間は幸せに安楽に生きていけるのよ」

つまりは「人間はこんなにも愚かなのよ」ということで。

たとえば痴愚女神はこんなふうに言います。

結婚生活がもたらすもろもろの不便さを前もってとくと考えたならば、どこの男が、結婚という頸木に首を突っ込んだりしたがるものか、ぜひお聞かせ願いたいところです。危険をともなう出産の苦しみや、子供を育てるわずらわしさを知り、それに思いをめぐらせたなら、どこの女が、夫を持とうなどと思うでしょうか。 (P34)

男と女が「ちゃんと考えずに結婚に踏み切るのは私のせい=つまり馬鹿だから」。

わははは。

16世紀の人も「結婚したら不便になる」とか「子供を育てるなんてめんどくさい」とか思ってたんですねぇ。

あるいはまた、

みなさんのところからこの私を締め出したりすれば、誰一人として他人の存在に堪えられなくなるばかりか、誰もが自分を胸糞悪く感じ、自分のものはすべてけがらわしく、誰もが自分自身を疎ましく思うようになるでしょう。 (P57)

とか、

恥だの、不名誉だの、侮辱だの、悪口だのといったものは、それを感じる人間にだけ痛みをもたらすもので、感じない者にとっては不幸でもなんでもないのですから。世の人みんながあなたを野次ったとしても、あなた自身が自分に拍手喝采していれば、どうということはありません。そして、それができるようにしてあげているのは、この痴愚女神ただ一人なのですからね。 (P82)

といった感じ。

鈍感な方が人生生きやすいっていうのは確かに思いますね(苦笑)。

痴愚に目を曇らせていなければ他人の存在に耐えられないどころかそもまず自分の存在に耐えられないだろうというのもなるほど。

王侯や聖職者に対する舌鋒はさらに鋭く、

(当節よくいるような)王侯を思い浮かべてご覧なさい、法律には無知で、公共の福祉にはほとんど敵対的で、ひたすら自分の利を図ることに熱心で、あらゆる快楽におぼれ、学問を忌み嫌い、自由や真理を忌み嫌い、国家の安寧なぞは毛筋ほども考えず、あらゆるものを自分の欲望と利得の天秤にかけるような人物をです。 (P171-172)

という言葉には乾いた笑いを発するしか。

この500年の間に「支配者としての王侯」というのはめっきり少なくなってしまいましたが、「権力者」と読み替えればこの手の「権力者」、全然減ってないんじゃ……。

ところでもしキリストの代理である教皇様方が、キリストの生き方を、つまりはその貧窮と、労苦と、教えと、苦難と、現世蔑視に倣おうと努められたなら、(中略)この世にこれ以上苦しみに満ちたものがありましょうか?あらゆる手段を弄して、その地位を買おうとする者がおりましょうか? (P177)

エラスムスは自身が司祭だったらしいのですが、「聖書の精神へ還れ」という心情の持ち主で、当時のカトリック教会のあり方やスコラ神学に対してかなり否定的だったそう。

なのでこの『痴愚神礼賛』でもこの通り、教皇に対してまでくそみそに言ってます。「こんなこと言って大丈夫なのか、火あぶりにならないのか」と読んでるこっちが心配になるほど。

実際死後8年経ってエラスムスは「第一級の異端者」との烙印を押され、その全著作が禁書になったのだとか。

それでもヨーロッパではずっと読み継がれ、『痴愚神礼賛』は17世紀には38版、18世紀には62版を重ねるという驚異的なロングセラーだったそうです。

巻末の解説に、「エラスムスを真に殺したものは度重なる禁書令ではなく、ラテン語の衰退だった」と書かれていて、この視点はとても面白いなぁと思います。

当時は辺境の一言語でしかなかった英語で著作をものしたシェイクスピアはその後長く生き残り、当時の「国際語(=ラテン語)」の使い手であったエラスムスは、ラテン語が姿を消すとともに読まれなくなっていった。

当時の国際語である英語で書かれたものは読まれなくなったが辺境の一言語に過ぎない日本語で書かれた著作は生き残り……という未来ももしかしたらあるかも!?

まぁ、当時のラテン語は基本「書き言葉」であって、少なくとも庶民が「話す」言葉ではなかっただろうから、現代における英語の立ち位置とはずいぶん違うでしょうけれど。

エラスムスの駆使したラテン語は非常に難解なものらしく、また、ギリシャ語のことわざや古典からの引用も多く、「原典」を日本語に移し替えるのは大変だったそうです。

「原典訳」とわざわざ銘打たれていると、「本邦初なのかな?」と思ってしまいますが、実はこの中公文庫版以前にも「原典訳」が出ています。


で、この、2004年刊行の「原典訳」を、中公文庫版の訳者である沓掛さんが「訳者あとがき」でこてんぱんにしているのですね。

「あれがひどすぎて我慢ならなかったので、別にエラスムスの研究者でもないのに自分で訳した」と。

誤訳のみならず「西洋古典の知識不足から来る珍妙な訳注」とか「プラトンや聖書の引用が不正確」とか、「こんなに言っちゃって大丈夫なの!?」と読んでて心配になるくらい。

2004年版の訳者大出晁さんは既に亡くなっていらっしゃるとはいえ……ご家族・関係者の方が聞いたらいい気持ちはしないだろうなぁ(^^;)

どれくらいひどいのか、ちょっと訳文をつき合わせてみたくなりますけど、原文が読めない私にどちらが正しいかがわかるわけもなく。2004年のものを先に手に取っていたなら「こういうものか」と納得していたでしょう。日本語として読みやすいかどうかしか、「訳」に対する評価はできない。

沓掛さんの訳文はかなり読みやすいです。熟語や漢字の使い方はけっこう古めかしいですが、リズム感が良く、痴愚の女神が聴衆を前に自慢げに演説している雰囲気がよく出ていると感じます。

ただ「本文がギリシャ語の部分はカタカナで表記」というのはちょっと読みにくかった。「権勢並ビナキクロノスノ御子」とか、「ビナキ」って何?って感じになる。書体が変えてあることで「ここはギリシャ語」とわかるので、ひらがなで良かったんじゃないかと。

あと非常に丁寧な訳注が施されていて、注だけで90ページくらいあるんですが、いちいち注を参照していると本文が頭に入らないので、ほとんど参照しませんでした。古典や聖書の知識があった方がさらに深くエラスムスの風刺を楽しめるのは事実なのでしょうが、別にそういう細かいことはわからなくても「よくできた皮肉」は伝わりました。

しかし同時代の人はみんなこれらの古典依拠の部分がわかったのでしょうかね。ふんだんにちりばめられたギリシャ語も理解できたのか。

何十刷と重ねられたベストセラーとは言っても、「読める人」は限られた知識人だったのでしょうが……。

『ユートピア』で有名なトマス・モアとエラスムスは親友だったらしく、この作品の「序」はモアへの献辞になっています。

死後に「第一級の異端者」認定されたエラスムスの死因は「病死」ですが、トマス・モアの方は大逆罪の罪を蒙り死刑。


『ユートピア』も読んでみようかな、という気になりました。

読んでない古典多すぎる……。

平和主義者だったエラスムスには「戦争は体験せぬ者にこそ快し」という作品もあるそうで、なんとも素晴らしいタイトルです。

人間ってホントにね……。