2017年10月22日日曜日

『国宝展』行ってきました

先日、10月の18日に行ってきました、京都国立博物館。関西では41年ぶりという『国宝展』

210点の国宝を二週間ずつ四期に分けて展示、一部の作品はイレギュラーに展示替え、どうしても見たいものがある場合は作品リストとにらめっこして行く日を決めなければなりません。もちろん四期すべてを鑑賞する強者もいらっしゃるのでしょうが、私にはとても無理なので。

今回第二期の鑑賞を選んだのは……単純に、その辺りがスケジュール的に一番行きやすかったから(^^;)

雪舟の国宝作品全部が揃うのは22日まで!というのはちょっと頭にあったけど。


連日大賑わい&しっかり見るには3時間ほどかかる、ということで、がんばって9時半過ぎに到着したらば。

すでに40分待ちでした。



開館が9時半なので、開館前から並んでた人が全部入るのに40分かかる、ってことでしょうか。ちなみに3年前のあの『鳥獣戯画展』の時はほぼ同じ時刻で20分待ち。あの時は「20分待ち」のアナウンスで実際に入場できたのはおおむね30分後

今回は「40分待ち」の案内だったものの、25分後くらいに中に入れました。『鳥獣戯画』は古い方の建物での展示だったけど、今回は新館。入り口での人の捌き方というか流れ方が、新館の方がスムーズなのかもしれません。

京博公式Twitterによると18日当日の待ち時間は

10:03 30分
10:16 20分
11:21 10分
12:05 20分

で、それ以降は「大変混雑していますが、待ち時間は0分です」と案内されていました。

もう少し入場制限していいから中を比較的空いた状態にしてもらった方が……という気もしなくはないです。まぁ、『鳥獣戯画』の時みたいに中でまで「ロープを張っての行列。待ち時間45分」というようなことはなかったのですが、どうしても絵巻物等、ガラスに近づかないと鑑賞できないものの前には人だかりができて、しかもそれがなかなか動かない。

中は特に順路は指定されておらず、1階から3階までの展示を何階から見ようと自由、各コーナーでの展示物についても「空いたところから譲り合ってご覧下さい」と。

うーん、でも待ってても次から次へとお客さん来るからなかなか空かないんだけどなー(^^;)

ともあれいざ!国宝たちとご対面!!



私は3階から観ていきました。
まずは「書跡」のコーナー。2期は空海さんやら最澄さんやらのお手。
空海さんはかの有名な弘法大師、「弘法も筆の誤り」とことわざになっちゃうほどの書の名人。

うん、でも、よくわかんなかったです(^^;)

絵巻物と同じく書跡も近づかないと見えない→人が多くてあんまり近づけない→近づいて見ても何が書いてあるのかよくわからないのであんまりじっくり見ない――ごめんなさい、弘法様。

字がどうこうより、「千年以上昔のものがよくこんなにきれいに残ってるなぁ」とそこに感心しました。

次の「考古」では、千年どころか何千年前のものがきれいに残っていて。
教科書でお馴染みの「火焔型土器」とか、あんな細かい「焔」の造型が、あのままきれいに地中から出てきたなんて……(継ぎが見えなかったので、ほぼあのままの形で出土したんですよね?)

そしてそしてそして。

「縄文のビーナス」!!!

今回の展示で一番心惹かれたのが「縄文のビーナス」と称されている土偶でした。前から見た写真はこちらもおなじみなんですが、360度全身を見られるようになっていて、その後ろ姿が! お尻の線が!!

素晴らしい。

「後ろ、こんなんやったんや」という感動もさることながら、とにかく曲線が美しくて。

お尻だけじゃなくもちろん前面も、頭部のデザインも、全部すごいんですけど、「背中からお尻の線をこう作るか!」と。

縄文人のセンスすごすぎ。

「仮面の女神」「縄文の女神」もそれぞれ素敵だったけど、「縄文のビーナス」は最後にもう一回見に行くほど好みでした。

「考古」のところでは「袈裟襷文銅鐸」に描かれた線画も印象的でした。4号・5号と2つ出展されていたんですが、「同じ作者」とか説明文に書かれていて、「ン千年前のものでも“同じ作者”とかわかるのか」と感心しました。同じ場所で出て来たものならまぁ、同じ集落の人が作って、絵を描いたのも同じ人の可能性が高いだろうけど、鑑定できるんですね……。


そして2階。
2階の目玉はやはり「雪舟の国宝6件が1室に!」だと思うんですが、当然そこは人が多いので。
「ふーん」という感じで(笑)。
達磨さんの絵(「慧可断臂図」)は前にも見た気が……。『鳥獣戯画』の時新館で開催されてた『京のいざない』展に出てなかったかな。

雪舟も「風神雷神図屏風」も「俺は本物を見たぞ!」という意味では面白かったけど、むしろこれまでほとんど知らなかった「中国絵画」の作品の方に「へぇ~」という驚きがあって良かったです。

徽宗皇帝が描いたと伝えられる「秋景・冬景山水図」。二羽の鶴がどこにいるかなかなかわからなくて……他のお客さんが「ほら、あそこ!」と言っているのを聞いてやっと発見。描かれた当時はもう少し色が濃くてわかりやすかったのかな。それとも最初からあんなふうに「よく見ないとダメ」な風に描かれていたのか。

冬景図の方の、佇む人の後ろ姿がなんとも良いです。(京博の収蔵品データベースに入っているのでこれも実は『京のいざない』で一度見てるかも(^^;))

「中国絵画」コーナーで熱心に二羽の鶴を探している高校生ぐらいの男の子二人連れがいたんですけど、連れの子に「まだこんなとこにいたのかよ!みんなもう出口だぞ」って呼びに来られてて。

せっかくじっくりゆっくり見てるのにもうちょっと見せてあげて~と思っちゃいました。修学旅行が何かで来てたとしたら(制服ではなかった)次の行動予定があるので仕方ないですけどね。

入場する際も修学旅行ぽい一団がいて、引率の先生が「中学生はタダだから!学生証だけ見せて入って!」って言ってはって。

おおお、中学生以下になりたいっ(笑)。

せっかくこの時期に京都にいるのなら、無料だし、たとえ1時間しか時間が取れなくても、「教科書で見たアレ」の実物、見ておくといいですよね。1時間のうち30分ぐらい入場待ちになっちゃうけど(^^;)

2階は「仏画」コーナーの「普賢菩薩像」も素敵でした。
「阿弥陀二十五菩薩来迎図」には、「神撃のバハムート」を東洋風でやったら……という想像を(笑)
阿弥陀様が大勢の菩薩を従えて……という図が、バハムートで天使の軍団を従えて降臨する神々を彷彿とさせて。

東洋風の神(というか仏)と悪魔(鬼?)に置き換えてリライトしたら面白そうだなぁ、と。

国宝見て何考えてんでしょうか(^^;)

「鬼」と言えば「六道と地獄」のコーナーには「黒縄地獄図」「阿鼻地獄図」があって、「鬼灯さんだー♡」。
だから国宝見て(以下略)。

3階と2階を見ただけでかなり疲れ果てていたんですが、頑張って1階も回りました。1階の目玉はやはり「曜変天目」でしょうか。人だかりはしていましたがけっこうしっかり見られて「おおーっ」と思いました。

「彫刻」コーナーの仏像にはいつも癒されます。「不動明王座像」「大日如来座像」は常にいらっしゃるので何度も拝ませていただいてますが、いつ拝見しても迫力があってすごい。「兜跋毘沙門天立像」も素敵でした。

あと「金工」コーナーの「紺糸威鎧」「漆工」コーナーの琉球王家の宝物が印象に残りました。「紺糸威鎧」は平重盛が厳島神社に寄進したと言われているもので、紺や紫の糸の色がとても優美でした。王朝貴族に憧れ、その一員になりたいともがいていた『双調平家物語』での重盛を思い出します。

最後にもう一度3階に上がり、「縄文のビーナス」にご挨拶してから出口へ。

はぁぁぁぁ。疲れたぁぁぁぁぁ。

10時頃入館して、出て来たのがだいたい12時半。普段でもこういう展覧会を見るのってけっこう疲れるし肩も凝るんですが、肩凝り&首凝りがひどい状態で出かけたのでさらに肩が……うう。

人疲れもありますし。
日曜美術館のゲストになって貸切でゆっくり見られたらいいのにぃ(無理)。

朝はよく晴れて暑いぐらいだったのですが、外へ出るとすっかり曇り空。


お庭でパンを食べて人心地。



せっかくなので、『鳥獣戯画展』の時には修理中で北塔がバラバラになっていた「馬町十三重石塔」を見学に。


そう、『義経秘伝』に出て来た佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝えられている石塔です。『鳥獣戯画』の後2~3回京博に来てるんだけど、どこにあるのかわからなくて(^^;)



やっとご対面!
ひっそりと佇んでました。

いつも散策するお庭の方もさささーっと見学して、帰路。(↓お庭の金木犀)


「国宝展」は11月26日まで。
縄文のビーナスは通期で見られるので、時間と体力のある方はぜひあの後ろ姿に悩殺されちゃってください。

2017年10月9日月曜日

『マストドン 次世代ソーシャルメディアのすべて』/小林啓倫他



『ファウンデーション』の続きを借りに図書館に行ったら「新しく入った本」コーナーに本書が並んでいて、ついつい手に取ってしまいました。

図書館に入ったのは最近なのでしょうが、この本自体は6月26日の発売らしく、すでに発売後3か月が経過。
「最強SNSツール登場!?新しい波に乗り遅れるな!」という煽り文句も「今さら感」パないんですが、読んでみて、逆に今読むからこそ味わい深いな~、という気もしました。

マストドンがやたらに話題になっていたのは今年の4月から5月にかけて。
私もその頃にマストドンデビューし、当初はITmediaさんの「マストドンつまみ食い日記」を追いかけたりしていたものの、今ではすっかり「マストドン全体」のこととかどーでもいーやー、という感じになっていました。

なので今改めて「マストドンとは」というこの入門書を読んで、「はぁ、なるほど~」と。

小林啓倫さん、コグレマサトさん、いしたにまさきさん、まつもとあつしさん、堀正岳さんという5人の執筆者がそれぞれの切り口で「マストドン」について語ったあと、全員による「マストドンの未来を考える」という座談会がついています。

まず小林さんがざっと「マストドン開発史」を、そして自身で趣味のインスタンスを立ててらっしゃるコグレさんが「ユーザーから見たマストドン」の話。

いしたにさんはいちはやくマストドンに企業アカウントを作った日産の話。
日産がニコ生で多くのユーザーを集めていることも知らなかったので、興味深かったです。
個人的にはマストドンはあんまり企業に――ビジネスに結びつかないんじゃないかと思っていて、「企業がインスタンスを立ててファンを囲いこむ」のはありだとしても、よそが立てているインスタンスの中に「宣伝垢」を作ってもあまり流行らないんじゃないか。少なくとも私はフォローしないな、と思ってました。

でもニコ生配信と組みあわせてfriends.nicoでトゥートする、という日産のやり方はなるほど。マストドンに限らず、SNSでは企業は「直接的にモノの宣伝をする」より、「ファンを増やす」「ブランド力を高める」方がうまくいくんでしょうね。

ちなみに日産のアカウントはhttps://friends.nico/@NissanJPです。(「テストアカウントです」って書いてあるな(^^;))

その後、企業垢って増えてるのかな? どうなんでしょう。

で。

friends.nicoもそうですが、企業が作った大規模インスタンス「Pawoo」について、運営母体ピクシブの担当者さんにインタビューしているのがまつもとさん担当の章。

Pawooは2017年10月6日現在登録ユーザーが290,514人ということで。(「日本のマストドンインスタンス一覧」参照)

ユーザー数はぶっちぎりですよね。スマホ用アプリもいち早く提供してくれてて、私も毎日使わせてもらってます。

Pawoo立ち上げの経緯とか、いわゆるロリ絵騒動(外国のインスタンスから「その絵はマズい」と連合を切られ、画像をキャッシュしないことで回避した話)はリアルタイムで聞いてはいた(というかネットニュースで読んではいた)けど、紙の本でまとまってると振り返りやすくて良い。

そして最後、堀さんの担当は「マストドンが示す分散型SNSの可能性」
一般ユーザーとしては「分散型SNS」ということをそんなに意識することはないんですけどね。TwiiterやFacebookと違って1企業が運営している「サービス」ではなく、「仕組み」「枠組み」で、その同じ仕組みを使って企業や個人がSNSサーバーを立てることができ、サーバー同士が「連合」することができる。

座談会のところで、こんな話が紹介されています。
マストドンのトゥートの公開範囲に関して、現状「自分の所属するインスタンスにのみ公開」という設定がないんですよね。
「未収載」でも「非公開」でもフォロワーさんには流れるので、他インスタンスからリモートフォローしてくれている人には読まれてしまう。フォロー関係ではなく、「自インスタンスのユーザーかどうか」で区切る公開設定があってもいい、いや、欲しいな、と私も思うんですが、それに対するマストドン開発者オイゲン氏の答えは、「なぜそれを問題視するのかわからない」というもの。

彼は「インスタンスに閉じこもったら、分散化した意味はなくなって、また小さな中央集権になるだけ」と強く信じているのですね。「連合こそがすべて」なのに、なぜその逆を行こうとするんだ、というのが彼の反論です。 (P197)

うーん。
「連合」全然見てないし、リモートフォローもほとんどせずに「インスタンスに閉じこもって」マストドンを利用している身としては、「えー、だってー」と思ってしまいます(^^;)

私としては、コグレさんの

大事なのは、自分の興味のあるインスタンスがあるか、自分が楽しめるインスタンスがあるか、で、もしなくても自分の手でインスタンスを立ち上げられるということこそが、ああマストドンがあってよかったな、という話なんではないかと思っています。 (P79)

という意見に共感。
これって、あんまり「連合」を意識してないですよね。ネットの海をはるばる探しに行かなくても「自分の興味のあるインスタンス」を作れてしまう、「よそ」はともかく「自分が楽しいものを」っていう……。


表紙には「乗り遅れるな!」なんて書いてあるけど、どのライターさんも、マストドン自体が流行るか流行らないかはあんまり問題じゃない、「分散SNS」という仕組み自体が重要だ、っていう割と落ち着いた目線で書いてらっしゃるのが良かったです。

「マストドンつまみ食い日記」によるとこの10月6日でマストドンは公開1周年を迎えたそう。さて、この先マストドンはどうなるのか?
来年の今頃、私はまだトゥートしてるかな…?

2017年10月4日水曜日

『ファウンデーションへの序曲』/アイザック・アシモフ



(※ネタバレありまくりなのでこれから本書を読む方はご注意ください!)

『銀河帝国(ファウンデーション)』シリーズ6作目です。

5作目『ファウンデーションと地球』の続きではなく、1作目以前の時代に遡り、ハリ・セルダンがその心理歴史学を確立して“ファウンデーション”を設立する過程を描く本作。

正直あんまり期待してなかったんですが(笑)。

ごめんなさい、面白かったです!!!

1作目の最初にファウンデーションを設立して以後、「伝説の英雄」のように扱われるセルダンですが、もとはヘリコンという辺境の星の数学者。この6作目の冒頭ではまだ若くて(具体的に何歳なのかは出てこなかった気がする)ほとんど世間に名を知られていません。

けれどもトランターで開催された「数学者大会」で「心理歴史学を応用した未来予言」について発表したことで、皇帝から呼び出されます。

「未来を予言できる」のが本当なら、その力を余のために使え――!

この誘いを、セルダンはあっさり断ります。なぜなら、まだ彼は「心理歴史学」を確立してはおらず、予言の力など持ってはいないからです。彼が数学者大会で発表したことはあくまで「そういうことができる可能性がある」ということで、「それをどう実現し、実用化するか」という話はまだ研究の緒にもついてない。

というか、「無理だ」とセルダン自身が思ってたりします。万一実用化できるとしても、それは自分の死後、次世代の研究者たちが成し遂げることだろうと。

だからさっさとヘリコンに帰って……と思っていたのに、ヒューミンという自称ジャーナリストに出会ってセルダンはトランターに留まることになります。トランターのあちこちを逃げ回りながら「心理歴史学」を確立するために奮闘することになる。

ヒューミンは、「帝国は今や死にかけている。人類を救うにはあなたの心理歴史学が必要なのだ。あなたは何としても心理歴史学を実用化しなければならない」と言って、逃亡中の費用と、ドースという若い歴史学者の女性を“保護者”としてセルダンに提供します。

反皇帝派であるワイ市長に「予言の力」を渡すわけにはいかない、とセルダンの動向を監視する皇帝。実質的には皇帝の側近デマーゼルが「一番の敵」なのですが、その目をくらますためにトランター上を転々とするセルダンとドース。

うん、構造は『ファウンデーションの彼方へ』や『ファウンデーションと地球』と同じですよね。主人公が相棒とともに「とある謎」を解き明かすためにあちこち転々とする。各地で危難に遭いながらも「謎へのヒント」を少しずつ手に入れ、最後には……。

今回の謎は「どうやったら心理歴史学を実用化できるのか?」ということで、数学者ではあるけど歴史には疎いセルダンが、「二千五百万もの世界から構成される帝国全体ではなく、まずはもっと小さい世界で心理歴史学を考えてみたら」と「帝国以前の、もしかしたら“単一の世界”だったかもしれない過去の伝承」を追い求めるのです。

あれ、それってもしかして……。

そう、それってやっぱり「地球」の伝承を探す旅なわけで、前作でトレヴァイズとペロラットが星々を旅したのと同じことを、トランターでやる。

トランターだけでもそれぞれに文化・風習の違う地区が何百とあり、「男女とも頭髪を完全に剃り、外部との接触を嫌う」マイコゲン地区、同じ地区の中に「貧民街」を作り、そこの住民を差別することで自分達の心の安寧をはかっているダール地区が主な舞台。

「我々には宗教よりももっといいもの、“歴史”がある!」と主張するマイコゲンの人々。そしてダールの貧民街に育ちながら数学を独学し、セルダンのもとへやってくる青年アマリルの言葉。

「何かが“遺憾だ”というのは容易です。あなたは賛成しないといい、それで良い人になれます。そして、自分の仕事に専念し、もう関心を持たなくなるんです。それは“遺憾”よりもずっと悪いです。(中略)われわれはみな、黄色い髪も、黒い髪も、背が高いのも、低いのも、東洋人も、西洋人も、南洋人も、外世界人も、すべて同じです。われわれはみんな、あなたもぼくも、皇帝さえも、地球の人々の子孫なんです。そうでしょう?」 (下巻 P134)

これ、すごいメッセージですよね。

「かつて地球という単一の世界があった」「今でこそ二千五百万もの世界に分かれているが、そもそも人類はたった一つの星で進化したのだ」ということをセルダンが知るきっかけになる言葉だけど、それ以上に、アシモフさんの強いメッセージを感じる。

最初の方で、ヒューミンがセルダンに「帝国は死にかけている。救うためにあなたの心理歴史学が必要だ」と説得するために、

「しかし平和だからといって、高給取りの軍人を減給にしたら怒るでしょう。(中略)だから、クレジットは相変わらず軍隊の方に――非生産的に――流れていき、社会福祉のきわめて重要な分野は劣化するままになります。それを、わたしは衰退と呼ぶのです」 (上巻 P111)

と言ったりするのも耳が痛い。

風習・文化の違う地区を自分の目で見、そこの人々と交流する中で心理歴史学実用化への「ヒント」を手に入れるセルダン。そしてヒューミンの正体にも気づく。

この、最後のヒューミンとセルダンの会話の部分、なんともたまりません。そしてこの「どんでん返し」を知ってからもう一度最初の方を読むと、ヒューミンのセリフが味わい深いんですよね。一粒で二度美味しい(笑)。

トレヴァイズの時代にも「人類が単一の星で発生したなんて信じられない」と言われていたんですが、セルダンの時代もそこからたった数百年(500年ぐらいでしたっけ?)遡るだけなので、「地球」は伝説。『鋼鉄都市』等で描かれた時代からはもう2万年経っている。

ダールの貧民街で「リター母さん」と呼ばれている女は言う。

「地球を助けた人造人間がいた。それはダ・ニーで、バ・リーの友達だった。彼は決して死なずに、どこかに生きていて、復帰の時を待っている。(中略)いつか彼は戻ってきて、偉大な昔の日々を回復し、あらゆる残酷、不正、悲惨を取り除く。それが約束だ」 (下巻 P168)

ふふふ。
『鋼鉄都市』から読んできた人間にはたまりませんね。「それはダニールで、ベイリの友達だった」

『ファウンデーションと地球』の最後でダニール、「心理歴史学の発達に手を貸した」って言ってましたもんねー、ふふふふ。

トレヴァイズとペロラットが旅の途中ですっかり「いい相棒」になったように、セルダンとドースも互いに「離れがたい仲」に。

二人のラブシーンで終わるの、素敵です。セルダンの告白が素敵なんですよ。

「それをいうつもりはない、なぜなら……ぼくはかまわないからだ」 (下巻 P348)

君がどんな存在でもぼくはかまわない。ただ君が欲しい。きゃー、もう、照れるわ、セルダンさんったら!


本編の前に「作者のノート」というのがついていて、アシモフさんご自身がロボット未来史作品を時系列に並べてくださっています。そして

いくらでも、わたしの好きなだけ――続編を書くことができる。もちろん、どこかに限界があるはずだ――永久に生きることはできないのだから。しかし、できるだけ長く書きつづける決意でいる。 (上巻 P9)

と書いていらっしゃいます。
残念ながら次の7作目で終わってしまうのですが……。

心して次の『ファウンデーションの誕生』を読みたいと思います。

2017年9月27日水曜日

『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN Ⅴ 激突 ルウム会戦』観てきました

(これまでの感想記事はこちら→『Ⅰ 青い瞳のキャスバル』『Ⅱ 哀しみのアルテイシア~』『Ⅲ 暁の蜂起』『Ⅳ 運命の前夜』



はい、観てきました。
観てからもう1週間以上経ってしまっています。
記憶が……。

ネット公開されている冒頭11分映像を見て思い出しましょう。(※公開は終了したようですね、残念(^^;)



カイさんにそそのかされて開発区に繰り出すくだりは原作コミック12巻に描かれています。「柔道の朝練があるから行くんならさっさと行こう」とかいうハヤトのセリフは原作にはないですね。
逆に、学校で怒られた後、アムロとフラウが一緒に帰ってて初等科の子どもたちに「おばさんカレシと一緒っ」と囃し立てられてるシーンはアニメの方にはない。

「フラウ」という名前だからって「ボウおばさん」と揶揄される……それもせいぜい5つぐらいしか年の違わない子どもに……。

フラウ、戦争前から気苦労の絶えない子(^^;)

ともあれ古川さんのカイさんがノリノリで楽しいです。「あまちゃんね!アムロくぅん」(笑)

この11分の後はおおむね原作13巻の内容がアニメ化されているのですが、クランプとコズンがクラブ・エデンに別れを告げに来るシーンがずいぶん長くなっていました。

原作ではたった3ページで、ランバ・ラルが挨拶に来た二人に「あんなヤツラのためにだけは死ぬなっ!!」と言うだけなんですが、アニメではその後タチ中尉が来て、「もうすぐキシリア機関の者が来ます」とランバ・ラルとハモンさんに警告します。

で、すぐにキシリア機関の男たちが来て、命令不服従とかの罪でランバ・ラルを逮捕する!と言いだします。

「命令に従わなかった罪で降格されてここにいるんでしょ? 第一従わなかったのはドズルの命令で、キシリア関係ないじゃない」

みたいに言い返すハモンさん。

「どうしてもっていうならあんたたちみたいな三下じゃなく、キシリアが自分で来なさい! このクラウレ・ハモンがそう言っていたと、キシリアに伝えなさい!」

見事な啖呵なんだけど、泣く子も黙る(?)キシリアちゃんを呼び捨てな上に、「このクラウレ・ハモン」ってどのクラウレ・ハモン!?

そんなに有名人なの???

幼いキャスバルたちを逃がす時に最後キシリアちゃんに見つかってたから、顔見知りには違いないんでしょうけどね。アストライアのお見舞いにも行ってたし、ランバ・ラルの恋人兼懐刀としてザビ家からマークされていておかしくはないけど。

ともあれ、ハモンさんの啖呵ですごすご帰る男たち、マジ三下(笑)。

三下どもがいなくなった後、ハモンさんのピアノ弾き語り。たっぷり聞かせてくれました。もうちょっと短くても良かったかも……(^^;) 歌は沢城さんじゃなくて吹き替えだし。

原作とアニメで細かい違いはきっとたくさんあったんだろうけど、一番印象に残ったのが「このクラウレ・ハモン」で、その次がテキサスコロニーで暴徒に襲撃された時のセイラさんの表情

「闘うしかない」と心を決めて、「バリケードをつくりなさい!」と指揮を始めるんだけど、その、「心を決める」時の表情が、マンガ以上にエグい。

母の死をセイラに伝えに来る時のシャア(エドワウ)の表情そっくり。

「うわぁ、やっぱ兄妹や」って思わされる。

怒りと哀しみと、そしてそれでも「負けるものか!」と自分を奮い立たせる気概。決意さえしてしまえばてきぱきと指揮が執れるし、自ら銃を持って暴徒を撃つことすら――人を殺すことすらやってのけられる。

「おまえなら(脱出することが)出来るはずだ」とかシャアが無責任に言ってるけど、実際闘えちゃうからセイラさんすごいよね。兄に比べれば「まっすぐ」というか、「優しい普通の女の子」ぽく育ってきた彼女だけど、やっぱり自分たち兄妹が負わされた宿命を自覚して、ある種の「覚悟」を持ってこれまでも生きてこなくちゃならなかったんだろう。

好むと好まざると、強くなるしかなかった。

暴徒の襲撃のさなか、育ての親テアボロさんが息を引き取ってしまう。「すばらしいお父さんでした…本当に、ほんとうに…」と言ってくずおれるセイラさん。

ほんと、テアボロさん、いいお父さんで。
ジオン・ダイクンなんかより100倍もいいお父さんだったのに。
エドワウとセイラ、二人を引き取ったりしなければ地上で安穏と暮らせていたろうに、ひどい目に遭っても二人の身を案じ、とりわけセイラさんのことを愛して、最後まで「わしのセイラは!?」とその姿を追い求めていた。

これまでの記事にも書いたけど、ジオン・ダイクンといいジンバ・ラルといいテム・レイといい、ろくな父親が出てこない中でテアボロさん、ほんとに……。

でも。

地球に残っていてももしかしたら危なかったのかもしれない。
そう、「コロニー落とし」

テレビ本編ではすでに「落ちていた」ので、詳しい経緯は語られていなかったんだけど、「ORIGIN」では「落とされたコロニーの中にいた人々」の話が描かれる。

ジオン軍が最初に攻撃したサイド2・ハッテの首都バンチ、「アイランド・イフィッシュ」。そこの住民は毒ガスによって皆殺しにされる。

生きながら大気圏突入→地球に衝突させられるのも嫌だけど、でも「コロニーを超巨大兵器として使う」ために、問答無用で中の住民殺さなくても……。

マンガで読んだ時も「うわ…」って思ったけど、シェルターに避難すれば大丈夫だと思っていたコロニー内の人たち、「こんなことが終わったら地球に一緒に行こう」と誓い合う恋人たちがアニメで動いて、そしてその動きが「死」によって止まるのを見せられると。

ううあぁ。

こたえる。

すごくこたえる。

折しも北朝鮮からミサイルが飛んできてたりするわけで、なんだかよくわからないままに戦争に巻き込まれ、反撃も脱出もできないまま――状況がよくわからないまま皆殺しにされる市民の姿、「明日は我が身」っていうか。

ギレンめ、って思う。

コロニーを落としてジャブローを壊滅させればそれで戦争は終わる。コロニーの中の人々も、地上で死ぬ人々も、戦争を早く終わらせるための尊い犠牲。

というのがギレンの表向きの「理屈」だけども、ジャブローは潰れず、地球人口のおよそ半分までもが無駄に命を落としただけ。

「戦争はしかし、始まったばかりだった」

うおぉぉぉぉぉ。

抑止力とか、「これだけ犠牲を出せば向こうも停戦に応じるだろう」とか、「そんなん全然ウソやで」っていう現実(いや、アニメだけど)。

「一人のミネバでさえこんなに可愛いのに俺は何億人ものミネバを殺した」と泣くドズル兄ちゃんも、途中で「あいつらが弱かったからいけないんだ!」と理屈をねじ曲げちゃう。そういうふうに自分を納得させるしかないんだろうけど、でもドズル兄ちゃん、そこで納得しちゃったらいけないんだよ……。

計画立案者のギレンは何億人殺してもまったく良心の呵責なんか覚えないし、ジオンの兵士たちも世界人口の半分殺しちゃった以上は「負けたら戦犯として裁かれちまう」つってがんばって戦うしかない。

戦争ってなぁ。

ほんと、戦争ってなぁ……。

「戦場の兵士たち」だけじゃなく、便乗してセイラさんたちのところに襲撃に来るならず者たちもたいがいで。
「このパークの人間はみなジオンの味方だから殺す」と言って街に火をかけ好き放題。

「だって戦争なんだから」という大義名分があれば、人は容易く他者を排斥し、攻撃する――。


で。

今回、印象が薄かった――というか、「ヤな奴だな」という印象しか残らなかったシャア。

最後にぎゅおおおおん!と「3倍速」で戦場へ赴いて「これで歴史が変わる。神よ、ひざまずけ!」とか言ってるんですが(記憶力の減衰著しいのでセリフ間違ってたらごめんなさい)、なんか、「なんでこんな人、昔は格好いいと思ってたんだろ」感が(笑)。

黒い三連星にイヤミ言うところも、最後の「神よ!」も、「なんなん、シャアって中二病?」って感じで。

『Zガンダム』と『逆襲のシャア』ですでにシャアへの幻想は消えちゃってることもあり、「もうこれ以上この人のこと知らない方がいいかも」と思ってしまいます(^^;)

まぁノーマルスーツでモビルスーツ乗って、メカニックに「パイロットの安全性が云々」と言われても「そういうロックははずしてくれ」つって「3倍速」でぎゅおおおおおおん!と加速に耐えるところはさすが「赤い彗星」なんですけど、それで歴史を変えて結局あんたは何がしたかったん、っていう。

「この後どうなるか」を知って見ているだけに、「戦争って」「シャアって」という感慨ばかり募る5作目でした。



さて、毎回歌い手が変わる主題歌、今回は島津亜矢さんが担当してらっしゃいます。
さすがの巧さ!!!
素晴らしい歌唱力。流れるクレジット見ながら聞き惚れてるうちに早くも本編の記憶が薄れてしまっていました(笑)。

島津さん巧いし、相変わらず服部隆之さんの作る曲難しいし。

ルウム編後編『誕生 赤い彗星』は来年5月5日公開。その後、一年戦争編の制作もあるとかないとか噂されてますね。
今の絵&技術で動く「ファーストガンダム」、見たいような、「そこまではもういいです」という気もするような…。


2017年9月13日水曜日

『道程:オリヴァー・サックス自伝』/オリヴァー・サックス



先日読んだ『タングステンおじさん』の続編とも言える、オリヴァー・サックス氏の自伝です。

『タングステンおじさん』感想記事のリンクをTweetしたところ、なんと訳者の斉藤氏からリプをいただき。
さらにこの『道程』のことを教えていただきました。

化学に夢中だった少年期を終え、両親の期待通り医学への道を歩み始めたサックス氏。脳神経科医として活躍するかたわら、『妻を帽子とまちがえた男』『レナードの朝』等の優れた医学エッセイで有名になるわけですが、斉藤氏が「ワイルドな生涯」と紹介してらっしゃるように、なかなかの波瀾万丈ぶりです。

Amazonリンクの画像ではちょっとわかりにくいかもしれませんが、表紙からしてすでにワイルド。レザージャケットでバイクにまたがる青年。おおお、これがサックス氏なのか! 『タングステンおじさん』を読んでいる時は内気で繊細な、線の細い少年をイメージしていましたのに……。

「何より好きだったのはバイクだ」と、本文もバイクの話から始まるのですが、冒頭の一文

幼いころ、戦争中に疎開させられて寄宿学校にいたとき、閉じこめられている気がして無力感を覚え、動きたい、力がほしいと心から願った。 (P23)

には、なんともせつない気持ちになります。『タングステンおじさん』で描かれたつらい疎開時代。その経験とその後のいじめで兄マイケルが心を病んでしまったほどの。

自分を「ここではない場所」に連れて行ってくれる力強い相棒。サックス氏にとってバイクはそういうものだったのでしょう。でものっけから語られる「ブレーキがきかない」「赤信号で交差点に突っ込む」という危機一髪エピソードにはひやひやさせられます。

バイク乗りを快く思わないドライバーに煽られ逆に煽り返す話とか、ホントにワイルド(^^;)

しかも若い頃のサックス氏はマッチョでもあります。

カリフォルニアではフロント・スクワットで260キロを上げて「ドクター・スクワット」と仇名をつけられ、その後ニューヨークで540キロに挑戦して5回目で力尽き、ウエイトの下敷きになってもう少しで死ぬところだったとか。

「サックスはやりすぎなければ成功する」と12歳の時通知表に書かれたそうですが、ほんとに「やりすぎちゃう」感じですね。

『タングステンおじさん』でも「ナトリウムの塊を池に投げ込んで辺りを炎の海に」してたもんなー。内気だけど大胆、夢中になると突っ走っちゃう少年。

『レナードの朝』等、ベストセラーになった著書の裏話や、映画化された時のロビン・ウィリアムズとの交流についても書かれていますし、患者たちとの触れあい、「意識とは何か?」を考えさせてくれる症例や研究のお話も興味深いです。

でもやっぱり『タングステンおじさん』のすぐ後にこれを手に取った人間としては、ご家族の話に一番心が動かされる。

特にマイケルのこと。16歳で精神病院に入院したマイケルが受けた「治療」。当時はまだ「精神安定剤」が発見されていなかったらしく、

この療法では、意識を失うくらい血糖値を下げ、そのあとグルコースの点滴でもとにもどす。 (P86)

というインスリン・ショック療法が行われていたのだとか。それ、かえって体に悪いんじゃ……。「精神安定剤」が使われるようになったらなったで、副作用であるパーキンソン症候群に苦しめられたり、心が「やさしく殺されているような感じ」になったり。

以前、世界を知覚するときに持っていた鋭さと明晰さを失っていた。いまやすべてが「ぼんやり」しているように思える。「やさしく殺されているような感じだ」と彼は結論づけている。 (P90)

10歳で疎開先でつらい経験をし、その後も激しいいじめに遭い、16歳以降「統合失調症」患者として生きることを余儀なくされたマイケル。マイケルの人生って……とつい思ってしまうのですが、晩年の15年ほどは比較的穏やかに過ごしたそう。

人生の大半を人から無視されている、軽んじられていると感じて過ごしてきたマイケルが、博識の賢い高齢者という新たな地位を満喫していた。 (P386)

グアムで神経系の風土病を調査したサックス氏、患者が最後まで家族の一員・コミュニティの一員として過ごしているのを見て、

そう考えると、病気や認知症の人々を施設に入れて忘れようとする「文明」世界の医療と習慣が、いかに野蛮であるかを思い知らされる。 (P397)

と感慨を述べてらっしゃいます。
ほんとにねぇ…。でも現実に病気や認知症の人が身近にいたら自分は……。

サックス氏が同性愛者だと知って「おまえなんか生まれてこなければよかった!」と言い放つお母様。「ひどい!」と思ってしまいますが(そして『タングステンおじさん』を読んでいると「同い年の少女の死体解剖なんかさせるからやん…」とつい思ってしまいますが)、これも実際自分の子どもや兄弟にカミングアウトされたらやっぱり冷静ではいられないだろうな、と。

「同性愛は病気」と思われていた時代、特にイギリスはそういう見方が強かったそうです。イギリスに比べればずっと寛容だったアムステルダムで、サックス氏は通りすがりの男性に救われます。

泥酔して排水溝に倒れていたサックス氏をただ連れ帰って保護してくれただけでなく、アムステルダムでは同性愛は違法ではなく「病的」ともみなされていない、「泥酔して側溝に倒れる必要などない。そんな危険なことは二度とやらないでほしい」と真摯に諭してくれた男性。

いい人に出会ったなぁ、良かったなぁ。

「生まれてこなければよかった!」という一件では激しくサックス氏の心を傷つけたお母様だけれど、彼女が亡くなった後で生前の彼女の“仕事”を知って驚くくだりや、「母の死は私の人生のなかで最も衝撃的な喪失だ」とその死を深く悼む述懐には心を打たれます。

「おまえのお母さんの子ども時代を知っているのはもう私だけだ」と言っていた“タングステンおじさん”も、残念ながら数ヶ月後に亡くなってしまったのだとか。

祖母や父親が亡くなってから「実はね…」と“知らなかったこと”を告げられびっくりしたことを思い出します。世を去ったご家族のことを懐かしみ愛おしむサックス氏の優しい筆致が素敵です。

90歳を過ぎても現役の医師として往診を続けていたらしいお父様。そしてサックス氏も70歳を過ぎ、癌に冒されても診察や執筆を続け、“好きな人”を得て心豊かに過ごしておられました。

が、この本の日本語訳が準備されている途中、2015年にご逝去。この自伝が最後の著作となったのでした。

結びの言葉は

私は生涯にわたって無数の言葉を紡いできたが、書くという行為は、七〇年近く前に始めたときと同じくらい新鮮で、そして楽しい。 (P463)

という一文。
あああ、めっちゃわかります!!!!!

書くという行為は――筆が進んでいるときにはだが――ほかで得られない満足と喜びを与えてくれる。 (P463)

「筆が進んでいるときには」ね!ね!!!(笑)


斉藤さん、ご紹介ありがとうございました。手に取れてよかったです。

2017年9月2日土曜日

『ファウンデーションと地球』(銀河帝国興亡史第5巻)/アイザック・アシモフ



(※ネタバレありまくりなのでこれから本書を読む方はご注意下さい)

巨匠アシモフの銀河帝国(ファウンデーション)シリーズ5作目、いやぁ、面白かったです!!!

もともと、『鋼鉄都市』から始まるベイリ&ダニールシリーズのダニールのその後を知りたくて銀河帝国シリーズを読み始めたので、「ついにここまで来た!」という感じ。

「ダニールのその後」についてはなかなか出てこないのですが、「オーロラ」や「ソラリア」という星の名前だけでねぇ、もう、わくわくしちゃいます。

「地球は地底都市を作った」ペロラットはいった。「それらの都市を、かれらは〈鋼鉄都市〉と呼んだ」 (P238)

なんて記述も出て来ますし、〈スペーサー〉や〈セツラー〉といった用語も懐かしい。伝説上の人物としてベイリの名も出てきます。何しろベイリ&ダニールの時代からは2万年ほど経っているので、「一人の人物ではなく複数の英雄の話が一緒くたにされているのだろう」なんて言われていたりします。必ずしも実在しなかった、逸話は誇張されている、などと。

今、この現代から見て2万年前っていったらえーっと。「ウルム氷期のピーク」とか書いてありますね、Wikiの「地球史年表」に。
記録が残ってるも何も……ですよねぇ。ホモ・サピエンスは登場しているとはいえ、ラスコーの洞窟壁画でやっと1万8千年~1万6千年前らしいから。

よくベイリの名前が残っているものですわ。


で、さて。

前作『ファウンデーションの彼方へ』で、「地球」を探しに飛び立ったトレヴァイズとペロラット。「地球」ではなく「ゲイア」にたどり着いて、トレヴァイズは「今後人類は“ゲイア”的な世界とファウンデーション世界、どちらを選ぶのか」という選択をさせられてしまいます。

「なぜか常に正しい選択をする」という不思議な能力に恵まれたがゆえに、「選択者」として決定権を委ねられてしまったトレヴァイズ。自分の直感力には自信があるとはいえ、やっぱり「人類の今後」を自分が決めてしまった、というのはあまりにも重い。

なぜ自分はそちらを――ゲイアを選んだのか。心情的にはゲイアに賛成できず、

いかに大きく、いかに多様性があるとしても、惑星にひとつの頭脳なんて! (P30)

と言っているトレヴァイズなのです。少なくとも自分はゲイアの一部にはなりたくない、“孤立人”として人生を全うしたいと思っている。そのことでゲイアの女、ブリスともしょっちゅう口論になっているというのに、「人類の未来」としてゲイア的世界を選んでしまった。

地球にたどり着ければ、そのわけがわかる気がする。

自分を納得させるために、地球探索の旅を続けるトレヴァイズ。ペロラットと、そしてペロラットの“伴侶”となったブリスも彼に同行します。

「2万年」という時の隔たりだけでは説明できない、地球に関する記録の欠如。何者かが意図的にその位置と正体を隠している……だからこそ、地球を発見できさえすれば、自分がくだした選択の理由もわかるのではないか? 少なくとも、そこには何らかの隠すべき“秘密”があるはずなのだから。

というわけで、地球を求めてトレヴァイズたちはコンポレロンからオーロラ、そしてソラリアへと星々を巡っていきます。

ベイリ&ダニールシリーズの『鋼鉄都市』や『夜明けのロボット』で事件が起こったのがオーロラ、『はだかの太陽』の舞台だったのがソラリア。

『はだかの太陽』の後、ソラリアの女グレディアはオーロラへ移住し、ベイリの子孫とも恋仲になるのですが。

その記録には、その船の船長は〈スペーサー〉の世界を訪問して、〈スペーサー〉の女を連れだしたと、書いてあるんですよ。 (P144)

ふたつのグループ、つまり〈スペーサー〉と〈セツラー〉は混じりあわない、ということです。(中略)しかしながら、明らかに〈セツラー〉の船長と〈スペーサー〉の女とは愛の絆で結ばれていました。これはあまりにも信じられないことですから、わたしには、この物語はせいぜい一片のロマンチックな歴史的虚構としか受け取れません。 (P145)

2万年経ったらすっかり「夢物語」にされてしまっています。まぁねぇ、当時でも非常に珍しいケースだったんだものね。

ベイリが始めた第二波の植民活動。銀河帝国は〈セツラー〉によって作られ、〈スペーサー〉の世界は滅びてしまった。少なくとも、帝国の宇宙地図にはオーロラもソラリアも、記載されてはいない。ようやくたどり着いたオーロラに、すでに人類の姿はない。

そしてソラリアには。

ソラリアにはまだ、〈スペーサー〉が生き残っていたのです! 2万年前にすでに「他人とは顔を合わせない」「広大な敷地に一人で住み、用はすべてロボットがこなす」「他人と何か話す必要がある時はホログラフ」……という徹底的な「個人主義」を採用していたソラリア。

ついに「他人と接触するのは嫌!たとえ子孫を残すためでも!」と「両性具有」になってしまっていました。

うわぁ。

そんな簡単に人類が両性具有に……と思うけど、まぁ2万年あれば遺伝子操作で進化(退化?)しちゃえるか。

他の〈スペーサー〉がセツラーとの競争に負け、姿を消していく中、競争を拒否して引退したからこそソラリア人は今もまだここにいる、と語るソラリア人バンダー。

集団指向の連中は闘わなければならない、競争しなければならない、そして結局、死ななければならないのだ。 (P234)

うーん。

ゲイアのようにすべての生きものが一つの有機体として機能する、「個々」の人格を残しながらも「我々」でもある、という世界には、トレヴァイズと同じく「なんか嫌だ。自分は自分でいたい」と思ってしまうけど、だからってソラリア人のように「他人なんて要らないじゃん」と「孤立人」を極めてしまう世界というのも、さすがに……。

そんな両極端じゃない世界はないのかぁ。ちょうどいいぐあいに「個人」と「みんな」がバランスを持てるやり方は。

ないからこそ、世界は常に争いに満ちているのか……。

どこへ行っても地球についての記録は失われてしまっているけど、かろうじて残っている伝説はすべて「放射能が強くて近づけない」「あそこは死の世界だ」というもの。でもトレヴァイズやペロラットにはそれが理解できない。「どうしてそんなことが起こるんだ?」と。

原子力を兵器として使う、という考えが銀河帝国にはないので、「地球に近づけさせないためにそんな目茶苦茶な話をでっち上げたんだろ?」ぐらいに思ってる。

ああ、2万年後の人達、ごめんよ。人類は、自分達をほぼ滅亡させることができるぐらい原子力兵器を持っているんだよ。うう。

あっちこっちでけっこう大変な目に遭った末、やっと「こここそが地球だぁぁぁぁぁぁぁ!」とたどり着いたトレヴァイズ一行。その先に待っていたものは。

本当に放射能まみれで近づけない、人間どころが猫の子一匹、ウイルスさえもいないだろうという現実。

あああ、ごめんなさい。

でも。

最終的にトレヴァイズたちはダニールに遭うんです。

2万年の時を経て、まだ動いていたダニール。もちろん何度も部品交換とかはしていて、陽電子頭脳も5回も取り替え、そのたびに記憶容量アップして2万年分の記憶を全部溜め込んでいる。

ベイリとの思い出を決して消去したくない、と言っていたダニール。

「あなたがたの伝説で、かれがどのようにいわれているか存じませんが、実際の歴史において、あの人がいなかったら銀河系の植民は決して行われなかったかもしれません。地球が放射能を帯びはじめた後、わたしはかれの名誉のために、できるだけ地球のものを救出したのです」 (P438-439)

もちろん「かれ」というのはベイリのこと。
ああ、ダニール! ジスカルドを失って、たった一人世界に取り残された超高性能ロボット。人間とも、他のロボットとも違う、孤高の存在。

その長すぎる孤独な歳月を思えば、彼が人類のためになしたことは「献身」でこそあれ、「よけいなお世話」ではないはずなんだけれども。

でも、ファウンデーションやゲイアの黒幕にダニールがいた、って言われると、「え……」ってなる。

『ロボットと帝国』で、ジスカルドとともに「ロボット工学三原則第零法則」を見出したダニール。個々の人間に危害を加えないだけでなく、「人類全体に危害を加えてはならない。その危険を看過することによって人類に危害を及ぼしてはならない」

人類同士が相争って滅亡に向かうなら、ロボットはその危険を看過してはならない。

だから、『ロボットと帝国』の最後は

ダニールは立ち上がった。彼はひとりぼっちになった――その肩に、銀河系を背負って。 (『ロボットと帝国』文庫版下巻 P331)

だったんだけど。

あの最後、すごく心にしみたし、せつなくて、ダニール可哀想!!!って思ったんだけど。

実際にダニールが2万年銀河系を背負った結果がファウンデーションでありゲイアであり、トレヴァイズに「選択を託す」であった、と言われると。

……素直にその労をねぎらってあげられない……。

もちろんダニールの関与は間接的で、その時々の決断は人間がくだしているわけで、「世界はダニールの手の中にあった、人類はダニールの掌の上で踊らされていた」というわけじゃない。

ダニールがそうやって関与しなければ、銀河系から人類は消えていたかもしれない。死の星になった地球からなるべく多くのものを救い出したのもダニール。もしもダニールがいなければ……。

ああ、でも、ロボットが――たった一つの人工知能が、神のごとく世界を遠くから動かしているというのは。

AIが人間の仕事を奪うどころか、AIによる人間の評価(採用活動等への利用)も始まっている現在、人間よりもむしろAIの方が完全に「第三者」として客観的に判断できる、公平なのだ、というのはわからなくはないけど、人間に主観的に嫌われる方が、AIにデータ的に「あなたは劣っています」と言われるより精神的に楽なような。

AIだからこそ、ロボットだからこそ、利害得失の異なる人間達の思惑に振り回されず、客観的に「人類の未来」を描けるのかもしれない。

でも、人類ホントにそれでいいのか……。

ロボットは零原則+三原則に縛られているから――何を選んでも、やっぱり犠牲になる人々が出て来てしまうだろうから――、決断は人間であるトレヴァイズにしてもらわなければならない。

6個目の陽電子頭脳を作ることはもう不可能で、ダニールは「死にかけている」。

そのダニールの命を――2万年分の記憶を――繋ぐため、連れてこられたソラリア人の子ども。両性具有で、その身にエネルギー変換装置を持った、異質の人類。

「ここに――われわれのなかに――すでに敵がいるというわけではないんだから――」 (P452)

トレヴァイズの最後のセリフ。これを言う時、「決して間違えない直感力を持った」トレヴァイズは、不安の疼きを覚える。

やがて打ち立てられるであろうゲイア的な世界の主人は、果たしてどんな“人類”なのか。超孤立人と言ってもいいソラリアの子どもがダニールの役割を引き受けて、それで世界は本当に「ゲイア」に向かうんだろうか。

あああ、早く続き!!!

と思ったら「続き」はないんですよね。銀河帝国シリーズ6作目と7作目は時間を遡ってセルダンの生涯が語られるんだそう。

えええ、こんな思わせぶりなところで終わって、続きはないとか、アシモフさぁーーん!


「その後のダニール」には複雑な感慨を覚えたけど、地球探しの旅、非常に面白かったです。

「まえがき」に当たる部分にこの作品の成立事情が書かれているのですが、前作『ファウンデーションの彼方へ』は32年ぶりの銀河帝国シリーズでした。1982年10月の刊行。それからロボットもの二つ書いて、1986年にこの『ファウンデーションと地球』が書かれる。

そう、アシモフさんは
1982年 『ファウンデーションの彼方へ』
1983年 『夜明けのロボット』
1985年 『ロボットと帝国』
1986年 『ファウンデーションと地球』
という順番で書いていらっしゃるのです。

おおお、そりゃオーロラとかソラリアとか、2万年前じゃなく昨日のことのように書けるわ。というか、一続きのものとしてバーッと構想が浮かんだんでしょうね。

銀河帝国シリーズの初期3作と4、5作目はだいぶ毛色が違うけど、書かれた時期とその内容を思うとむしろこの4作品が「一つのシリーズ」という感じなのかも。


続きじゃなくて「前」なの寂しいけど、6作目7作目ももちろん読んでみようと思います。

2017年8月30日水曜日

『やじきた学園道中記F』第3巻&『Je T'appartiens』/市東亮子



てなわけで『F』3巻目読みました~~~~~!
(1巻目の感想こちら、2巻目こちら

いよいよオールスター大感謝祭になってきましたね。勝取くんに続いて中村先生も出て来たし、超お久しぶりの片桐さん、そして初登場の片桐さんの“鬼姉”(笑)。

まつろわぬ神アラハバキ神と津軽・遠野がごちゃごちゃしてここまで今ひとつのめり込めないでいましたが、3巻目は色々動いて楽しかった♪

うっかり太郎山でなく光徳の方に転校してしまった狭霧、当然ハーディに会っちゃうし、又三郎とも口を利いてしまうし。

又三郎もたいがいめんどくさいよねー。

ハーディが「背負ったものを疎み続けてる感じが君と似てる。でも君は逃げずに受け止める決心をした」って言うけど、そうね、確かに又三郎と狭霧の境遇は似てる。狭霧は「家出」できたけど又三郎はできないし、何より又三郎には小鉄や坂口のおっさんがいない。

可哀想だとは思う。
思うがめんどくさい(´・ω・`)

片桐さんとその“鬼姉”に出会ったことで本格的に玄武(幻舞)を習得したいと思うキタさん。片桐さんのいる山形に一人で転校する旨、貴子姫に伝えて……。

呉羽が実は「出羽朱雀」の継承者ということもあり、東北が本拠のアラハバキ神、「一人で転校」と行っても最終的にはみんな集結することになるんだろうとは思うけど、幻舞ってやじさんも手ほどき受けてたでしょ。片桐さんの嫁はどっちかっていうとやじさんだよね? エリートサラリーマン風に弱いやじさんにとって片桐さんはストライクゾーン。一方キタさんは

「全くタイプじゃないんで!」

と即答(笑)。
キタさんは美少年趣味よね。いや、剛や勝取が「タイプ」だとはこれまでひと言も言ってないけど。

青龍、白虎、朱雀と違って玄武は亀と蛇という二つの生きものが組み合わさった幻獣だから、やじさんとキタさん、二人合わせて「幻舞」として力を発揮することになるのでは……と想像してるんだけどどうかなー。

やじさんはすっかりアラハバキ神の依り代みたいになっちゃって、心配。いくら自分の心身に自信があると言ったって、安易に神様に憑かれたりしたら、ねぇ。何よりアラハバキ神の目的がわからないから。

まつろわぬ神として中央ではその存在を抹殺されたアラハバキ神、悠ややじさんの体を使って暴れて何をしようっていうんだろ。上総介が「天下」を云々してるとはいえ、学生の抗争に神様が首を突っこむというのも……。

憑かれたやじさんは鬼神のごとき強さを発揮するから手なずけられればこんな頼りになる味方はないけど、神様を「手なずける」なんて畏れ多い&無謀だよね。

で。

キタさんのタイプ(?)の一人、勝取くん。西船くんに連れられ向かった帝国高校で囚われの身に!?

ぎゃぁぁぁぁぁ、私の勝取くんがぁぁぁぁぁぁぁ!!!(※キタさんの勝取くんです

こんないいところで終わるとか、市東さんうまい。続きめっちゃ気になる。4巻早よっ!!!

……って、実は35周年三種の神器『プリンセスGOLD10月号』を買ったので、続き読めちゃったんですけど、読んだら読んだでいっそう勝取くんの身が心配に……。あかん、この展開はあかん。

でもキタさんがやじさんと勝取、どっちに駆けつけるべきかで「ぐぬぬっ」となるシーンは良かった。勝取も大事なのね! 勝取きっと喜ぶっ!!!(笑)


そして10月号には書き下ろしの『僕はあなたのもの~Je T'appartiens~』が付録冊子としてついています。
コミックス第22巻(1992年発売)に収録されていた『JE TE VEUX~君が欲しい~』の続編で、冊子にはそちらも入っています。なのでコミックスを持ってない人も、持ってても「どこにあったっけ?」と探すことなく、続けて読むことができてありがたい♪

剛の目を治すべく、ともにカナダに渡ったダニエル(真吾)に迫る魔の手。ハーディからの追っ手と、それとは別口の男達。別口の件は片付いたものの、ハーディの部下リズレイはますますダニエル確保に執念を燃やすことになる……のが『JE TE VEUX』。

で、『僕はあなたのもの』はすぐその続きで、カナダから出国しようとする剛とダニエル、空港に張り込むリズレイの部下。二人はどうにか日本に入国し……というお話。

一之介さんに坂口のおっさん、隼人に真行寺の親分さんまで出てくる! 親分さん、お懐かしや~~~。

剛の胸に飛び込んでいくダニエルの姿にうぷぷ。いいコンビだよね~。早く本編にも登場するといいな。両目開いた剛を見て、果たしてキタさんは惚れ直すのか!?

私としてはキタさんには勝取くんか桃井さんがいいので、剛はダニエルといちゃいちゃしていてくれればそれで(笑)。

ちなみにタイトルになっている『Je T'appartiens』という曲はこれですね。作中「日本ではこの曲より『そして今は』の方が知られているみたい」とありますが、うん、『そして今は』は知ってるけどこっちは知りませんでした。




本編の続きが気になりますわ。ああ、勝取くん……。