2017年12月7日木曜日

復活!オーズ熱!!!

公開が間近に迫ったライダー冬映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL』映司くんとアンクちゃんも出演!ということで予告が流れるたび「ぎゃああああああ、アンクちゃあああん!」と叫ばずにいられないわたくし。早くも「2回見る!」とか言ってます。

まぁ、メインはあくまでビルド&エグゼイドなわけで、予告以上の出番があるのか?って気はするんですけども。



しかし嬉しい。
嬉しすぎてついAmazonPrimeで『将軍と21のコアメダル』を見、『MOVIE大戦 MEGA MAX』を見。



レンタルショップ行かなくても家ですぐ見られちゃうのヤバいですわ。AmazonPrime様々ですわ。

『MEGA MAX』の方は坂本監督ならではの生身アクションたっぷりで、映司くんの姿のアンクちゃんとか、最後のアンクちゃんの笑顔とか、オーズパート本当によくできてて何度でも見られちゃうんですけども。

この時は、「時空の歪み」から「現在」へ出現したアンクちゃん。「現在」のタカメダルはまだ割れたままで、「アンクが復活するいつかの未来」から、わずかの間だけ映司くんのところに戻ってきた。

役目を終え、再び消えてしまったアンク。
でも、「アンクが復活する未来は“ある”。その未来へ、“いつかの明日”へ、きっと繋げてみせる!」と割れたメダルを握りしめて、また歩いて行く映司くん。

安易な復活でなく、「可能性」「希望」なのがすごく良かった。

なので。

今回はどういう経緯でアンクちゃんが出てくるのか、まさかそう簡単にメダル元に戻らないでしょ?とすごく気になる。
ライダースタッフのことだから今回もきっと「安易」ではない、「そう来たか!」というアイディアを見せてくれるとは思うんだけど。

「最凶科学者が逆さになった世界を現出」とかいうストーリーだから、またぞろ「時空の歪み」でもおかしくないし、なんなら鳴滝さんが「おのれディケイド!」つってあの歪みカーテンからアンクちゃん出してくれてもいいんですけども。

うん、ディケイド出ないのに鳴滝さんだけ出てくるっていいよね(笑)。

神様コウタさんならメダル直すのなんてちょちょいのちょいかもしれない。

まぁ、どんな復活の仕方であれ、アンクちゃん出てきたとたん「ぎゃああああああ、アンクちゃあああん!」と大喜びしてすべてどーでもよくなってしまうに違いないんだけど。

理想としては、映司くんがもうだいぶ年取って、それでも世界の紛争地で子どもたちを助けようとしてて、それで爆撃に合って瀕死の状態、「もう俺もこの年だし、十分がんばったし、悪くない人生だった」とかって「死」を受け入れようとした時アンクの割れたメダルに気づいて、「まだだ!まだ俺は死ねない!」って思う。「生への欲」「アンクを復活させるんだという欲」。その強い“欲望”がタカメダルに流れ込み――。

「相変わらずボロボロだな、映司」

ぎゃああああああ、アンクちゃあああん!

っていうのがいいです(爆)。
なんか、自分のことをいつも後回しにして、「自分に関する欲望」を持たなかった映司くんが最後の最後、「自分の命」に対して執着した時に、「ただのメダルの塊でなく“命”になりたい、生きたい」と望んだアンクちゃんの魂とシンクロして、っていうのがいいなぁ。

(……こういう妄想するのホント楽しくて困る)

勢い余ってテレビシリーズまで見返す始末。手もとの録画は5話からしか残ってないので(あああ、返す返すも悔やまれる!なぜ1~4話残してないの、俺!)またぞろAmazonさんにおすがり。



映司くんとアンクちゃんの最初の出会いが懐かしいのはもちろんだけど、本放送でしか見ていない1~4話、細かい部分を忘れていたので色々と面白かったです。

アンクがクローゼットから探し出す「お兄さんが比奈ちゃんに内緒で買った新しい道具」、iPhone4なんですよね。比奈ちゃんもお兄さんもまだガラケーで。
オーズの放送が始まったのは2010年の9月
7年前はまだガラケーが普通だったんだよなぁ、と思うと感慨深いし、「オーズってもうそんなに昔なの」と。

終わってからでも6年経ってる。

アンクちゃん役三浦涼介くんも30歳。
予告見る限り「全然変わってない」のになぁ。びっくりだわ。

アンクのイメージがあまりに強すぎて「もうアンクはやらない」と言っていたりょん君が今回参加することになった経緯、先日の『仮面ラジレンジャー』で聞きましたが。

たまたまプロデューサーと秀くんの会食(だったかな)の席にりょん君もいて、「Youも出ちゃいなよ」ってことになったと。

ジャニーさんか!(笑)

しかしよくぞプロデューサーさん声かけてくださいましたよねぇ。「その場」にりょん君がいたというのもすごい奇跡だし。

もう一生新しいアンクちゃん映像は見られないと思っていたのに。
存外タカメダルも「Youくっついちゃいなよ!」で元に戻るのかもしれない(そんなことはない)。


この記事書く前に今まで書いたオーズ関連記事を振り返ったらけっこうな数あって。
テレビシリーズ最終回の感想記事とか、読んでてうるうるしちゃいました(笑)。
6年経ってもまだ着メール音に比奈ちゃんのテーマ使ってるし、手アンク・キーホルダーも現役。
数々のガチャも大事に取ってあります。記事にはしてなかったけどキヨちゃんもGetしてました。



これを機にまたアンクちゃんのガチャ出てくれないかなぁ。
手アンク欲しかったよ。


ああ、映画早く見たーーーーーーい!


【これまでに書いたオーズ関連記事】

『仮面ライダーMOVIE大戦CORE』観てきました♪

『レッツゴー仮面ライダー』観てきました♪

『仮面ライダーオーズWONDERFUL将軍と21のコアメダル』観てきました♪

『仮面ライダーオーズ』終わっちゃった…

毎日リピート『仮面ライダーオーズ Full Combo Collection』

もしもアンクちゃんがカナメさんの役をやったら

ガチャでアンクちゃんGet!

買っちまった☆『仮面ライダーオーズ キャラクターブックVol.2』

『仮面ライダーオーズ公式読本』~オーズ世界を満喫~♪

『フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX 』見てきました♪

『PIECE~記憶の欠片~』観ました♪

2017年12月3日日曜日

『ロボットの時代』〔決定版〕/アイザック・アシモフ



『われはロボット』と同じく「アシモフのロボット傑作集」と銘打たれた短編集。こちらには8編のロボット物が収められています。

「この作品は…」とそれぞれにアシモフさんによるちょっとした解説がついていて、作品の生まれた経緯や発表時の反応などがわかります。

そのアシモフさんによる解説で、「若い女性からたくさんの手紙が寄せられた。ほとんどがトニイにあこがれをよせる内容だった」と紹介されている『お気に召すことうけあい』
うん、私もこの作品が一番印象に残りました。

トニイは

髪も目も黒いハンサムな長身の青年で、その動かない表情のすみずみまで驚くほど貴族的な気品がしみこんでおり (P137)

と描写されるロボット。

家庭でのロボットの有用性を実験するために、トニイはクレア・ベルモントの家にやってきます。クレアの夫ラリイはUSロボット社の社員で、昇進を条件にトニイのテストを受け入れるのですが、実際にテストに付き合うのは妻のクレア一人。「ロボットに対する知識のない、一般の主婦」相手の反応を見るのが会社側の狙いなのです。

最初は「ロボットなんて!」とむしろトニイを怖がっていたクレア。でもトニイは前述したように「ハンサムな青年」で、しかも彼女が近頃すっかり劣等感に苛まれていることに気づいて、彼女の髪型や衣裳をととのえ、家の中もすっかり模様替えして、クレアを「美しく素敵な奥さん」に仕立て上げてくれるのです。

「パッとしない女」と夫に思われていることを自覚していたクレア。見違えるようになって、いつも引け目を感じていたよそのご婦人方を招待するのですが、そこでさらにトニイのダメ押し。

いいですか、何度も言いますがトニイは「ハンサムな青年」です。
そしてこの実験の間、トニイとクレアは家に二人きり。
よそのご婦人方はもちろんトニイが「ロボット」だなどとはつゆ知りません。

はい、ここから導き出される結論は一つ。
よそのご婦人方は、「パッとしないと思ってたベルモント夫人がいつの間にかあんなハンサムな青年と!!!」

トニイはクレアを「みんなの羨望の的」にするためにわざとクレアに恋を仕掛け、自分と彼女が抱き合ってる様が窓から見えるように仕向けたのです。

人間心理――とりわけ女性心理に精通しすぎですやん。
どうやったらそんなロボット作れるん(´・ω・`)

若い女性読者からの手紙が殺到したの、わかりますよねぇ。私もトニイ欲しいわ(笑)。
実際にトニイのようなロボットを作ることができるようになったとしても、「家庭用」にはならないでしょうけど。気の利きすぎるハンサムな男性型ロボット、そして美しい女性型ロボットが家庭に――夫婦仲にどんな騒動を巻き起こすか……。

『われはロボット』でもおなじみのスーザン・キャルヴィン博士も、「トニイは失敗だ。徹底的に作りかえなければ」と言います。とりあえず外見をハンサムにするのはやめないと、と思うけど(そしてキャルヴィン博士の“作りかえる”もまずはそこを言ってるのだと思うけど)、もしも精巧な人型ロボットが作れるようになったら、やっぱり人間は「美しい外見のもの」を作ってしまうんでしょうかね。わざとブサイクなのを作るっていうのもアレだし、「人並みの外見」というのが実は一番作るの難しそうだし。

まぁたとえハンサムでなくても、忠実で優しく「気の利く」異性型ロボットが家庭に入ってきたら、やっぱり問題は起きるのかもしれない。

「いいですか、ピーター、機械は恋することはできません、でも――たとえそれが望みのない恐ろしい恋であっても――女にはできるんです!」 (P165)

とキャルヴィン博士は言うのですが、後に『ファウンデーションの誕生』で描かれたセルダンとドースの愛を思えば、機械も恋することができるし、男だって機械に恋をする。(もしドースの外見がブサイクだったら?と思わないことはないですが)。

そしてアシモフさんは「キャルヴィン博士に恋をする」。

時が経つにつれ、わたしはキャルヴィン博士を恋するようになった。(中略)だがともあれ、わたしは彼女を愛している。 (P135)

ふふふ。
人間よりもむしろロボットに近い、周囲からは偏屈な変わり者と思われている、世界でおそらくただ一人のロボット心理学者、キャルヴィン博士。

その彼女がロボットに「マミイ」と呼ばれる作品『レニイ』
ひょんなことから知能レベルが「赤ん坊」になってしまったレニイ、「そんな役に立たないロボットをどうするんだ」と周囲は言うのですが、キャルヴィン博士だけはレニイの秘めた可能性に気づいている。役に立たないどころか、もしもレニイが「成長する頭脳」を持っているとしたら、これはロボット工学にとってとんでもないことですよね。そんなものを人工的に作れるとなったら。

でも最後まで同僚の男性たちは

思うに彼女はレニイの別の用途を発見したらしい。全女性の中でスーザンだけに適した独特の用途ですな (P243)

なんて揶揄する。
まぁ博士がレニイを「育てる」こと、レニイの母となることに研究以上の喜びを見出していたのは事実かもしれないけど。

アシモフさんが「スーザン・キャルヴィンの登場する話の中でこれはわたしの大好きな作品である」と語る『校正』
ロボット(というかUSロボット社)が大学教授に訴えられ、その裁判の顛末を描く法廷もの。一体ロボットが何をしたのかが読者には最初わからなくて、裁判が進むにつれ「どういう事件なのか」が明らかにされていくのが面白いです。

「書物というものは著者の手で造型されるべきものだ。一章、一章が育っていき、成長していく過程を自分の目で見守るべきだ。くりかえし手を入れながら、最初の概念を超えたものに変化していくさまを見守るべきだ。(中略)その接触自体が愉しみであり、創造したものに対するなによりの報いなのだ。あんたのロボットはそういうものをみんな奪ってしまうんだ」 (P312-313)

という教授の言葉には、アシモフさんの「書くこと」に対する愛情が感じられます。

「三原則の六十一語からわたしは無限のアイディアを汲みだしうるのだ」(P92)と語るアシモフさん(すごいなぁ、さすがだなぁ、爪の垢欲しいなぁ(笑))のロボットもの短篇はこの2冊以外にもまだあります。

次は『コンプリート・ロボット』を手に取ってみようと思います。






2017年12月1日金曜日

紅葉の西明寺2017

去年おととしと行けていなかった湖東三山西明寺。あちこち痛い体に鞭打って、今年は出かけてきました!

と言っても訪れたのは11月の16日。今日はもう12月の1日で、「今さら感」パないのですが、「この前行ったのいつだっけ?」と自分で振り返るため、記録にとどめておきたいと思います。

「見頃」情報が出てすぐくらいの時期、Twitterでは「まだ早かった」というつぶやきも散見されましたが、宝塚行き等スケジュールと天候を考え合わせるとその日ぐらいしか行ける日がなく。


これは駐車場の紅葉。目で見ると十分綺麗だったのですが、あまり良く映ってませんね(^^;)
曇り時々晴れぐらいのお天気で、訪れた時間帯はあまり陽射しがなく、そこそこ撮ったはずなのにカメラフォルダに残る写真は「あれ…?」というものばかり。

残念だよ、本当に残念だよ。うう。


駐車場から中門の受付へと向かう付近。文化財の一覧が書いてあります。目で見たら後ろの紅葉、綺麗だったんですよ(しつこい)。


受付のところの紅葉は真っ赤。
いつも通り、本道へ向かう前に中門から惣門の方へと下っていきます。



この参道の雰囲気がとにかく大好きなんですよねぇ。苔と木立に囲まれた参道。静かで美しくて、「ああ、やっぱり来て良かった!」と思いました。



苔の上に散り敷く紅葉がまたなんとも良いのです♪


不断桜と紅葉……は、どうしても桜にピントが合わず。やはりデジカメを持って行くべきだったかしらん(←カメラのせいにするやつ)


青紅葉の中に赤や黄色があるのがまた良い。
参道の風情をしっかり堪能して、名勝庭園の方へ。



池に落ちる紅葉と池に映る紅葉の競演♪



どこを切り取っても絵になる参道を登っていくと。


本堂脇の建物(観林坊?)の紅葉が迎えてくれます。この木はいつも真っ赤になっていますねぇ。西明寺さん公式Twitterによると、「貴婦人」と呼び習われているそう。

三重塔もいい感じです。


三重塔と同じく国宝の本堂。
今回珍しく中でしっかり説明を聞きました。これまで数回訪れていますが、干支を頭にいただいた十二神将像の説明とか、初めて聞いたような。秘仏公開の時も聞いたのかな、聞いたけど忘れてるだけかな(^^;)

今回はご本尊の前に置かれているらしい、これも秘仏の「虎薬師如来」像が公開されていました。井伊家ゆかりの仏像だそうで、大河ドラマ「直虎」および彦根城築城110年にあわせての特別公開。
せっかくだからお守り買えば良かったかなぁ。薬師如来様、痛くない体を授けてくださったかも……。


二天門の持国天様と増長天様。男前でいらっしゃいます。


「この苔は西明寺が好きです。大事にしましょう」の看板。


はぁぁぁ、この風情ほんと好きですわぁぁぁぁぁ。

いつもは最寄りの金剛輪寺の方もお参りするのですが、今回は体調を鑑みて諦めました。残念。
来年は三山全部回れるぐらいすっきり爽やかな体になっていますように。まんまんちゃん、あん!


【関連記事】

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紅葉の湖東三山~金剛輪寺

紅葉じゃないけど湖東三山~百済寺

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紅葉の西明寺2014

紅葉の金剛輪寺2014

2017年11月27日月曜日

雪組公演『SUPER VOYAGER!』も楽しみました♪

雪組さん大劇場公演、お芝居『ひかりふる路』に続いて、ショー『SUPER VOYAGER!』です。



お芝居の方が非常に良かったので、ショーの印象があんまり残ってなかったりするんですが(その前にバウも観てるし、だいぶお疲れということもあった(^^;))、望海さんのお披露目公演というのが強く意識されるショーでした。

衣裳も豪華だったし、最後の大階段だけでなく途中でも大きな羽根を背負っていたし、もちろん出番多いし。

のっけから「ようこそ俺の海へ」「寒くないかい 温めてあげよう」「俺とおまえのシークレット・クルーズ」みたいな(うろ覚えです、すいません)歌で、下級生の頃から望海さんを応援してきたファンの皆さんにはほんとたまらないだろうなぁと。

幕開きの最初の場面から客席へ降りての演出。しかもロビーで売っていたポンポンを持ってお客さんも一緒に盛り上がって!という演出で楽しませてくれます。

(振付講座動画が公開されていました↓)


続いて「第九」をアレンジした曲を望海さんと真彩さんが歌い、ラインダンスへ。
真彩さん、お芝居でのマリー・アンヌが絶品過ぎて、ショーでの歌が物足りないなぁと思ってしまいました(^^;) 物語がしっかりある方が実力が発揮できるのかな。単に私の好みの問題かもしれませんが。

その後、彩風さんを中心としたジャズの場面
ここ、すごく良かったです。歌なしで音楽だけで進んでいくんですが、音楽も振り付けも素敵で、一番印象に残りました。

音楽はLowland Jazzという若手ビッグバンドさんが担当されたということでググってみたら。



なんとジャパリパークの演奏が。
アニヲタのわたくし歓喜(笑)。
YouTubeやニコ動で演奏を公開されているのが今ドキだなぁと思うし、そういう今ドキの風をもしっかり取り込んじゃえる宝塚、素敵です。

ジャズの後はプロヴァンスのダンスホール。
沙央さんの歌に乗せて、ヤンさん(安寿ミラ)振り付けのダンスがとても格好良くお洒落です。
望海さんの相手役として踊るのはお芝居でサン・ジュストを演じた朝美さん。彼女を望海さんと取り合うのは彩凪さんで……「あー、これ、最後女の人が殺されるやつだ」(笑)。

ダンスも音楽も良かったけど、こういう「三角関係のもつれ」でライバルがヒロインを撃っちゃう、っていうのショーではお馴染みすぎて(^^;)

中詰めの後の若手スターさん達の場面も「なんでこう、若い人だけの場面はいつも賑やかしいロックとかシンセとか、おんなじようなのになっちゃうのかなぁ」と思わないでもなかったです。
録音でのシンセやロック、あんまり好きじゃないので何かもうちょっと違う趣向の方が私としては嬉しい。

今回、ちょうどその若者シーンの前が沙央さんのしっとりした「別れと旅立ちの歌」だったので、よけいその余韻を味わいたかったんですよね。「沙央さんも退団か…」としんみりする間もなくジャカジャカと賑やかな音楽になってしまって、ちょっと残念でした。

えーっと、その後はもう大階段だっけ? 帽子が格好良かったとこかな? スパニッシュの音楽も良かった気がするけどもはや記憶が(´Д`)

あ、そうだ、彩風さんメインのスパニッシュの後、望海さんが「必ず行くから埠頭で待ってろ」とか歌うんだ。「兄貴から電話があって助っ人に行かなきゃならない。少し遅れるかもしれないが、必ず行くから待ってろ」とかって、めちゃくちゃフラグな歌。

来ない望海さんを待ってる女の子のせつないシーンになるのかと思ったらなくて、デュエットダンスになった。

なんだ、間に合ったのか(笑)。

そして沙央さんのエトワールでフィナーレ。
沙央さん、2011年の『ロミオとジュリエット』の時の乳母役が鮮烈だったなぁ、雰囲気のある男役さんだった、と過去記事振り返ったらあの時の「死」が彩風さんだったのか! 「覚えておこう」と書いておきながら全然覚えてなかった……。そーか、6年経って立派な2番手。お芝居のダントンは大らかで大胆な革命の志士、ショーでは可愛いくて溌剌とした男役さん。望海さんとのバランスもいいよね。

真彩さんもすごくいいし、次の雪組公演も楽しみ♪
と思ったら。

次の大劇場公演、『凱旋門』なのね。主役はトドちゃん(轟悠)……。

それってヒロインは真彩さんで、昔タータン(香寿たつき)がやった役を望海さんがやるってことよね?

望海&真彩コンビが観たいし、望海さんで『凱旋門』やるのすごく良いと思うのに。

トドちゃんなの(´・ω・`)

別にトドちゃんのことは嫌いじゃないけど(わざわざバウを観に行くぐらいだ)、トップ在位期間の短い昨今、年に2回、下手すると1回しかない大劇場公演を専科さんが持ってっちゃうというのは。
トドちゃん、2月に『ドクトル・ジバゴ』もやるんでしょ。それで6月に大劇場もなの。何?辞めるの?

ショーの方は普通に望海&真彩コンビでやるみたいですが、お芝居でこそ一層良い!と今回思ったので、かなり残念です。その次の大劇場は11月だから……梅芸の『誠の群像』を観に行くしかないのか。


どこでもドアがあったら、今回の公演もう一回観に行くんですけどねぇ。

2017年11月25日土曜日

雪組公演『ひかりふる路~革命家、マクシミリアン・ロベスピエール~』観てきました♪

(※以下、ネタバレあります。これからご覧になる方はご注意ください!)


バウホールから連チャンで、大劇場も観てきました。11月21日15時公演。

肩こり首こりに悩まされ、体調的に連チャンはなかなかキツかったのですが、しかし! 観てよかった! 『ひかりふる路』、めっちゃ良かったです!!!

正直観る前は「え?ロベスピエールが主役って、どんな話にするの?」と思ってたんですよね。フランス革命の影の部分、バスティーユ陥落後に恐怖政治を敷いて結局自分も断頭台の露と消えたロベスピエール。

どう宝塚の舞台で「主役」にするのかなぁ、と。

そうしたら、前半は優しくて大人しく、理念の面で革命を引っ張ってきたとはいえ割と地味、な感じに描かれていて。

うん、前半のロベスピエールは、とてもいい青年。

だけど、革命によって、「ただ貴族である」というだけで家族や恋人を惨殺されたマリー・アンヌにとっては、彼は「革命の象徴」。復讐すべき「仇」。

自らの手で彼を殺すべく素性を隠して近づいたマリー・アンヌは、ロベスピエールの人となりに触れ、彼を愛し始めてしまう。
ロベスピエールもまた、凛として美しく謎めいた彼女に心を惹かれ、住む場所を世話したり親身に面倒を見る。

けれど。

イギリスの侵攻、反革命派による内乱、そして友であり革命の同志であるダントンの裏切りに遭って、ロベスピエールは人が変わってしまう。
「どうすれば革命を進めていけるのか? それには徹底した反革命派の排除、恐怖政治しかない!」と、突然「独裁者」になってしまうのです。

ここ、あまりに突然すぎて、「へ?」って感じでしたが(^^;)

ドラマとしてはロベスピエールが「悪者」になってしまってからの方が面白い。目的のために選んだ手段、でもその手段が「目的」になってしまって、敵対者をおおかた粛清してしまった後、「次はどうしたらいいんだ?」とうつろな目で尋ねるロベスピエール。

「裏切った」とされたダントンも決して悪いやつではなくて(むしろ非常に好感の持てる人物として描かれていた)、「革命は理想だが政治は現実だ」「君自身が喜びを知らないで、どうして人民に喜びを与えられるんだ」とロベスピエールを「間違った道」から引き戻そうとする。

ダントンは2番手男役彩風さんが演じていましたが、彩風さんの持つ大らかさ・可愛さのおかげもあって、すごく「おいしい役」になってましたねぇ。
ロベスピエールを説得しようとするあの二人きりの場面、すごく密度濃かった。

ダントンの説得にも耳を傾けず、ダントンさえも断頭台に送ってしまったロベスピエール。道を誤り続ける彼を止めようと刃を向けるマリー・アンヌは捕らえられ、貴族の娘であるというその素性が暴かれてしまう。

「私に近づいたのは、私を殺すためだったのか……」

失意のロベスピエールは、自分自身の粛清を口にし、反革命派の思惑もあって「革命の英雄」から一転「犯罪者」に。

牢の中で再会するマリー・アンヌとロベスピエール。憎んでいるけど愛してる。あなたのおかげで新しい生き方を見つけられもした。もしも普通の男と女として出会っていたら……いいえ、きっと、それなら出会うこともなかったでしょう……。

もうこの二人のやりとりにボロ泣きでした。ううう。

ロベスピエール役の望海さんも巧いけど、マリー・アンヌ役の真彩さんも歌・お芝居ともに絶品で、引き込まれちゃう。

最後の最後、マリー・アンヌは無罪として牢から出され、ロベスピエールは断頭台への階段を登ってゆく。

「君は生きろ」

生という「光」の中へ再び出ていくマリー・アンヌと、死――それも処刑という「闇」に消えていくロベスピエール。

そこで幕、という終わり方もとても良かったなぁ。変な「あとがたり」とかなくて、宝塚の舞台としてはとても重いまま終わる。

舞台奥のスクリーンには最初から斜めの線が入っていて、それがまるで「断頭台の刃」のように見えていたんだけど、「光」と「闇」、「生」と「死」、革命で救われた者と殺された者、色々な断絶・二面性を象徴する「線」なんだろうなぁ、と。

国王や貴族という特権階級から民衆を解放した革命。でも、殺された貴族たちがみな「悪者」だったわけじゃなかった。
「理想のため、より良い世界を創るためであれ、犠牲になっていい命なんてあるのか?」
序盤でマリー・アンヌが突きつける問いが、のっけから重くて考えさせられる。

「尊い犠牲」なんて言葉は、実際に殺された人々、その遺族にとっては……。

何もしなければ――変えようと行動しなければ、悪い世界のままなのかもしれない。でも良い世界を求めて、その過程で多くの、流れなくてもいい血が流れ、「より良い」を目指したはずの「良い人物」もまた、いつの間にか「倒されるべき既得権益者」に変質して。

折しもジンバブエではクーデター。辞任に追い込まれたムガベ大統領も、最初は「白人支配から国民を解放した英雄」だったんでしょうにね。(最初から政敵を徹底排除する人ではあったらしいけども→参考:“ロバート・ムガベの興隆と没落 ジンバブエ”(BLOGOS記事))

オスカル様はバスティーユで死んで幸せだったよ、とか思ってしまいました(^^;)
『ベルばら』でも王や王妃の処刑は描かれているけど、「革命」の後、「自由・平等・友愛」に基づいて政治を行うことの難しさよ……。


物語自体も面白かったし、構成・演出、そして音楽と、非常に質の高いお芝居でした。音楽は『スカーレット・ピンパーネル』等で有名なフランク・ワイルドホーン氏が全曲手がけています。
コーラスや掛け合いでのアンサンブルが多くて、曲調がどうというより「音楽の使い方」がすごく好みでした。

また望海さんと真彩さんが歌巧いから。

耳福♡

ダントンの彩風さんもとても良かったし、サン・ジュスト役の朝美さんが「なるほどサン・ジュストだ」と思わせる美形で印象に残りました。
マノン・ロラン夫人役の彩凪さんは「男役がやる女」のどーんとした感じと妖しさがあって似合ってました。
タレーランの夏美さんは貫禄の演技。ロベスピエールの側から見れば「敵」で「悪」だけど決して悪人じゃなく、一歩引いて見てる策略家、って感じでいい役でした。
夏美さんと同じく専科からの出演の沙央さんはロベスピエール、ダントンと堅い友情で結ばれたジャーナリストのカミーユ役。うーん、あんまり見せ場がなかったような(^^;)


若い頃だったら「もう一回見る!」って言って立ち見に並んでるなぁ、と思うぐらい素敵な舞台でした。楽しかった!

(※長くなったのでショーについては別記事で)

(制作発表時の動画↓)


(初日舞台映像↓)

2017年11月23日木曜日

専科バウ公演『神家の七人』観てきました♪

(※以下ネタバレあります。これからご覧になる方はご注意ください!)

先日、久しぶりにバウホール公演を観てきました。バウは『アルカサル』以来ですね。3年ぶり。


トドちゃん(轟悠)はじめ専科のお姉様方が5人も出る。コメディで楽しそうだし久しぶりにバウ公演観たい、でもチケット取れるのか……?と思っていたらe+の先行予約にめでたく当選、しかも2列目!

ひゅううう。
端の方だったけど、もう金輪際こんな前の方で宝塚を観ることはない気がする。ありがとうe+!



観たのは11月21日火曜日の11時公演だったのですが、主演のトドちゃんが風邪なのか、声がかなりかれてて。

主演だし、声が出にくいながらも歌もお芝居もちゃんとこなしてはいたんだけど、「無理してる」感は否めず、どうしても気になってしまう。「風邪かなー、だいぶ具合悪いんじゃないのかなぁ、今日も2回公演なのに大変だなぁ」とか。

ちょっと集中できない感がありましたね……。

ストーリーは、第二次世界大戦後のアメリカ。西部戦線で九死に一生を得て帰ってきたイヴァンは父の死を知らされる。一代でターナーズコーポレーションを築いたビルことウィリアム・ターナー、でもイヴァンはその後を継がず、コーポレーションを解散して神の道に進みたいと言う。

なんとなれば。

ターナーズコーポレーション、実態はマフィアなのですね。「ボルチモアの治安を守ってきた」と自負する幹部達ですが、子どもの頃から「マフィアのボスの息子」ということで何かと肩身の狭い思いをしてきたイヴァン、戦地で多くの死を目の当たりにし、また、自分自身生きて戻れたのは「奇跡」だったという思いから、「もう抗争なんてたくさん。神に仕える」と。

幹部6人も「ジュニアを見守りお支えするのが自分達の役目」と、嫌々ながらも教会に身を投じることに。

この辺までは公演紹介のあらすじにだいたい書いてあったので、「ああ、『二代目はクリスチャン』みたいな感じか」と思って見に来たんですよね。

神の道に進んだものの、そこで教会立ち退きの危機とかあって、昔取った杵柄、チャンチャンバラバラ大暴れ……みたいなのを想像してたんです。

そしたらかなり違った(^^;)

死んだはずの父親ビルがまだ成仏してなくて、「ちょっとおまえの体貸せ!」とたびたびイヴァンに憑依し、心優しい神父のイヴァンとマフィアの父ちゃんとの「二重人格」芝居。そこにイヴァンの母親の謎が絡んで、「ぼくたちはファミリーなんだ。ここがターナーズコーポレーション、ターナーズファミリーは永遠さ!」みたいなほっこりエンディングで終わる。

ううむ。

これはこれでまぁ悪くはないけど、アクション好きとしては「せっかくマフィアなのに」というがっかり感が。

専科というか理事として、どうしても大人の役が多いだろうトドちゃんの「心優しい可愛い青年」イヴァンはファンとしてはきっと嬉しいだろうし(ぷーっとほおを膨らませて拗ねる轟悠とかなかなか見られまい)、サングラスでイェーイ!とヤンキーしてるトドちゃんも楽しいのだけど、どうせならもっと本格的にヤクザしてくれた方が私としては好みでした。すみれコードあっても「格好いいギャング」はいくらでも描けるはずだもんね。

コメディとはいえ、「これがボルチモアスタイル、イェーイ!」というノリが、ビミョーだった……。

専科さん+月組生3人が演じる幹部たちもなんかわちゃわちゃしてるだけで、せっかく芸達者が揃ってるのにぃぃぃぃぃと物足りなかった。芸達者な皆さんだからこそ、特に動きのない会話劇をしっかり成立させられた、と言えばそうなのかもしれないんだけど。

うん。

汝鳥さんは相変わらず貫禄のお芝居で、最年長にも関わらず声も一番出ている感じで硬軟緩急素晴らしかったし、一樹さんは格好良く、悠真さんは豪快で楽しい。

月組生も専科のお姉様方にひけを取らない好演、特に「オカマ言うな!」の蒼瀬さんの美貌とお芝居は印象的でした。

紅一点の早乙女さんも複数の役をこなしてて、ヒロインよりもむしろDJの役が良かったなぁ、と。

出演者たった9人で回す舞台、「ラジオ」をうまく使い、客席に聖書を売りに来る演出(運のいいお客さんはサインと写真入りの聖書がもらえる!もちろん私は運が悪かった!(笑))も楽しく、肩の凝らないハートフルコメディで、一緒に観劇した母は「面白かった」と喜んでいました。

音楽も生演奏だったし、華形さん演じるビルのお葬式用写真も秀逸。

うーん、悪くはなかったけど、でもなんか物足りなかったなぁ……うーん。

むしろこれ、若手の子たちがフル回転で何役もがんばって、初主演みたいな子が可愛いイヴァンとヤンキーな父ちゃんを汗だくで演じ分け、とかの方が楽しいのではと思ったり。

パンフによるとイヴァンは25歳設定で、幹部達は48歳~67歳ということになってる。でもどう考えても蒼瀬さんの方がトドちゃんより若く見えるわけで。
もちろん、舞台では演者と“役の年齢”なんて合わないのが普通だけれど、声がかれてる「無理」もあいまってか、トドちゃんの「可愛い25歳」にムズムズ(^^;)

まぁ、「物足りなさ」の主因は勝手にアクションコメディを期待していたせい、っていうのが一番大きいとは思います。ユル・ブリンナーの『荒野の七人』も大好きなだけについアクションものをなー。


お姉様方のお芝居を久々に間近に観られて、それ自体は楽しかったです。

2017年11月19日日曜日

『われはロボット』〔決定版〕/アイザック・アシモフ



『ファウンデーションの誕生』を読み終わってしまった寂しさを癒すべく、アシモフさんのロボット物短篇集を手に取りました。

1940年に発表された初のロボット物作品『ロビイ』から1950年の『災厄のとき』まで9編を、アシモフさん自身が「ロボ心理学者キャルヴィン博士がこれまでを振り返る」という形で再構成した短編集。

いやぁ、面白かったです。

例の「ロボット工学三原則」によって引き起こされる様々な“トラブル”。キャルヴィン博士はロボット心理学者としてそのトラブルに向き合い、「現場の技術者」であるドノヴァンとパウエルのコンビは、新しいロボットのテストに派遣されてはロボットの奇妙な行動に頭を悩ますことになる。

1作目の『ロビイ』だけは少し赴きが違って、子守りロボ・ロビイに懐きすぎた娘を心配する両親の話です。
なんとかして娘とロビイを引き離そうとする母親。一旦引き離してしまえば子どものことだもの、すぐに忘れるに決まっているわ。でももちろん娘はロビイのことを忘れたりしない。そしてロビイもまた……。

清水礼子さんの『ナポレオン・ソロ』を思い出しました。少女の子守りロボ、ナポレオン。幼い少女が「大きくなったら私、ナポレオンのお嫁さんになる!」と言ったのを信じていた。でも少女はやがて大人の女性になって、もちろん人間の男性と恋に落ちる。それでもナポレオンは……。
(※白泉社文庫版『天使たちの進化論』所収)


ロビイと少女はめでたく再会を果たすけれど、その後地球上でのロボット使用を禁止する法律ができ、結局二人(一人と一体?)は引き裂かれてしまっただろう、とキャルヴィン博士は語る。

「でも、もう十五にもなれば、八つのときよりはかんたんにあきらめもついたでしょう」 (P54)

そうかなぁ、そうなのかなぁ。大きくなってぬいぐるみを手放すみたいに、ロボットもすぐ手放せるものなのかしら。ただの機械――可愛がってくれたのも、ただのプログラムに過ぎなかったと、割り切れるものかしら……。



「ただの機械」が“神”を編み出してしまうお話が『われ思う、ゆえに……』
地球上では禁止されたロボット。けれど宇宙ステーション等での作業はロボットに大いに頼っています。
とある中継ステーションに着任したドノヴァンとパウエルは、自分達が1週間前に組み立てたロボットの言動に頭を抱えていました。

なんとなれば、そのロボットQT1号は自分が人間に造られたことを“信じない”。

「それよりもっと満足すべき説明があるはずだと思います。あなたがわたしを作ったとは、とうてい考えられません」 (P95)

なぜなら、ドノヴァンたち人間よりも自分の方が完全で、優れているから。

「こうした事実は、いかなる生物も、それ自体より優れた生物を創造することはできない、という自明の命題とともに、あなたがたの愚昧な仮説を完璧に粉砕するものです」 (P103)

ええっ、いや、だったらさ、おまえ誰に作られたと思うわけ?

「わたしの創造主は明らかに、わたしより優秀なものでなければなりません。したがって考えうる可能性はただひとつしかない」 (P103)
「わたしは主(しゅ)のことを言っているのです」 (P104)

……え、何だって?

ドノヴァンたちはQT1号を「頭のおかしいロボット」だと思い、なんとかして説得しよう、人間に造られた存在だということを理解させようとするのですが――結局匙を投げるのですね。
何を信じていようと、たとえ人間を「下」に見ていようと、ステーションに必要な作業をきちっと正確にこなせるんだからいいじゃないか、と。

これ、でも、「人間」に対する皮肉ですよね? 地球上で最も進化した種を自認する「人間」。万が一にも、自分たちが「猿に造られた」とか思わないわけで。

自分達を「特別な存在」だと思って、じゃあなぜそんな自分達が存在しているのかと言ったら「自分達より高位な存在が云々」と“神様”を編み出す。

やがてAIが進化したら、AIは宗教を持つのでしょうか。「人を傷つけてはならない」ということと、「人を蔑んではならない」ということは違うし、「下位のものを守るのは上位のものの務め」などと“理屈”をこねたりしだすのか……。



「人を傷つけてはならない」、これはロボット工学三原則の第一条で、すべてに優先する規律として働くはずなのですが。

もしも「人の心を読めるロボットがいたら」、もしもそのロボットが肉体的だけでなく、精神的にも人を傷つけてはならないと考えたら――というお話が『うそつき』

そして、第一条の後半、「その危険を看過することによって人に危害を加えてはならない」という部分を組み込まなかったらロボットはどうなるのか? 「人に危害を加えてはならない」だけではなぜ十分じゃないの?というお話が『迷子のロボット』

しかもその後半部分を組み込まれていないロボットを他の、全部組み込まれてるロボットと見分けることができるのか?というね。そのロボットは十分に賢くて、人間が自分を探し出そうとしていることを知っていて、その裏をかいてくる。どんな検証をすれば、「違い」が浮かび上がるのか。


ロボットとロボットとの差異。
そして、ロボットと人間との差異。
完璧な外見を持つヒューマノイド・ロボットを、人間はそれと見分けることができるのか。もちろん、分解してみればわかるけれども、よくできたロボット(人工知能)を、会話や行動だけで区別できるものだろうか。

『証拠』では、市長に立候補した男が「ロボットではないか」と疑われます。彼がものを食べるところを誰も見たことがない。対立候補の陣営はキャルヴィン博士に相談をもちかけますが……。

『ファウンデーションの誕生』で描かれたダニール(=首相デマーゼル)の「ロボット疑惑」を思い出しますね。「微笑む」ことで疑惑を文字通り「一笑に付した」ダニール。そしてダニールはフレンド・ジスカルドとともに「個々の人間」だけでなく、「人類全体に危害を加えてはならない。その危険を看過することによって人類全体に~」という第零法則を見出し、それに基づいて長い長い時を、人類の平和と発展のために尽くしたのでした。

この短編集の最後に収められた『災厄のとき』には、すでに同じテーマが現れています。『証拠』でロボットだと疑われた男バイアリイは世界統監の地位についていて、世界のほころびを気にしている。マシンによって完璧に統御されているはずなのに、些細な不具合が起きてきている。マシンが故障しているのか、あるいは……。



「ロボット」という存在、それによってあぶり出される「人間」という存在。人間にとって「幸福」であるとは――「危害を加えられない」というのはどういうことか。
様々な側面から描いていくアシモフさん。

なんか、ロボットネタでアシモフさんが書いてないことはもうないんじゃないか、「新しいアイディアが!」と思っても実はすでにアシモフさんが全部書いちゃってるんじゃ……と思ってしまいます。

ここに収められた作品だけじゃないわけですしね。

巻末に「アシモフのロボット/AI作品一覧」がついていて、他の作品も読んでみたい方には便利です。

とりあえず私は引き続き『ロボットの時代』を読もうと思います。