8年ぶりの新作映画『帰ってきたあぶない刑事』の公開を前に、『あぶ刑事』本の出版ラッシュ。先陣を切るのは4月2日に発売になった、この『あぶない刑事1990』。
シリーズのメイン脚本家のお一人柏原寛司さんによる書きおろし、近藤課長の定年退職前夜を描いた小説です!!!!!

近藤課長のお話!?というだけでもう「即買い」なんですが、表紙だけでなく中にもあの頃のカラー写真が踊り、本文中にもモノクロながらあの頃のお写真が。近藤課長のご尊顔が!!!
あああああああああああ、課長ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!

パラパラッとめくっただけで涙腺が緩んでしまいます。

もちろんお話もよくできてて面白くて、みんなの台詞はト書きを読まなくても「誰の台詞」とわかるくらいしっかり特徴が掴まれていて、それぞれのお声で脳内再生余裕。表情や仕草も思い浮かび、脳内映像で流れてくるぐらいです。
タカさんユージの掛け合い、「女紹介してやる」ですぐ転ぶトオル、守銭奴カオル、苦労の絶えないパパさん、どっかズレてるナカさん吉田刑事谷村刑事松村課長鈴江さん、鑑識の安田さん瞳ちゃん良美ちゃん、そして。

近藤課長

港署1階にいる面々の集合写真がカラーで入ってるんですけど、もう二度と映像化されることはない、「あの頃の港署」の、新しいお話
よくぞ書いてくださいました、ですよ。テレビシリーズから40年近くの時を経て、退職する近藤課長の背中をこんなふうに見送らせてもらえるなんて。

柏原さんありがとう。出版にたずさわってくださったスタッフさん、本当に本当に、ありがとう。どれだけお礼を言っても足りません。

最初に、
「本作品は映画『もっともあぶない刑事』と『あぶない刑事リターンズ』の中間にあたる、ドラマでは描かれなかった近藤課長の定年間近の物語です」 (P3)
というただし書きがあり。

テレビシリーズが始まったのが1986年。『もっともあぶない刑事』の公開が1989年。『リターンズ』は1996年。近藤課長を演じられた中条静夫さんは1994年にご逝去、『リターンズ』では新たに小林稔侍さんが「深町課長」として登場されていました。『リターンズ』の最後には「To The Memory of 中条静夫」というテロップが流れ、近藤課長の「大馬鹿者!!!」も流れましたよね……うう。

で。
この『1990』、近藤課長が「あと7日で定年退職を迎える」ところから始まります。1990年の5月末。
のっけから「犯罪検挙率1位、発砲回数も始末書の数も1位、犯罪者にもっとも恐れられる港署捜査課を作りあげたのが、近藤卓三その人なのだ」という紹介にうんうんとうなずき、

鷹山と大下がいままで馬鹿を――いや、活躍してこられたのも、近藤課長が県警本部を抑え、カーチェイスや銃撃で市民に与えた被害の賠償金を、高い検挙率を担保に特別会計から出費させていたからなのである。 (P4)

という解説に「そうでしょうとも」と感涙し。

なかなか本題に入れないぞ!!!

ビルの資材置き場で銃殺されていた弁護士。時を同じくして、海老沢という殺し屋が横浜に舞い戻ったという情報がもたらされ、弁護士殺害事件と海老沢の行方を二手に分かれて追う捜査課。
二つはもちろん途中で一つになり、しかも15年前に近藤課長が手がけた事件とも関係していた。
15年前の事件に絡んだ人間が一人ずつ殺されていくなか、最後のターゲットは近藤課長!? タカさん大下さんはじめ港署の面々は近藤課長を守り、犯人を逮捕することができるのか――。

テレビシリーズ1作目の中で近藤課長が「あと4年で定年」と言っていて、だからこの「定年一週間前」から始まるお話は『1990』になっているんですが、実は「もっとあぶない刑事」第8話に出てきた資料では近藤課長、「1935年生まれ」と書かれているんですよね。60歳定年だとすると課長の定年は1995年……あれれ?

長年マニアの頭を悩ませてきた(?)この「近藤課長の年齢の謎」、この『1990』の中でさりげなく解決されています。柏原さんすごい。
(※でもよく考えたら時代的にまだ55歳定年だった可能性もあるので、当時のスタッフは55歳まであと4年、という計算で生年を設定したのかも? 1936年生まれの私の父は55歳定年だったはず)

ただ、そこで言及されてる「2年前の11月のヤマ」(『もっとあぶない刑事』第8話「秘密」)の「ハマコーポレーション」、「ハマインフォメーション」じゃなかったでしたっけ?
あと港署に来る前の近藤課長、『1990』では「寿南署」にいたことになってるけど、Wikiによるとテレビシリーズでは「北署」だったみたいで、あれ?と思ったり。
『1990』では「12年前(つまり1978年)に港署捜査課課長に赴任」、でもテレビシリーズでは1980年に赴任したことになってたみたい。

ともあれ現場の刑事だった頃は鷹山大下並にブイブイいわしていたらしい、というのはテレビシリーズの頃からちょこちょこ言及されていて。
すでに無印第2話で、身代金を用意するために捜査課と少年課全員の退職金を前借り、松村課長ともども「課長たちも十分あぶない」と描写されていました。他のお話でも「タカさんも大下さんも昔の自分を見てるみたいでしょ」と松村課長に言われたりしてた……よね?

今回も「初代“あぶない刑事”は課長だったか」って終わり方をするんだけど、部下のためなら危険に身をさらすことを厭わない課長、課長のためなら自分の命も惜しまないタカさん、この信頼関係がたまりません。

いつも「大馬鹿者!」って叱りつけながら、誰よりも鷹山大下の理解者だった課長。「タヌキ」と陰口を叩きながら、自分たちが好きに動けるのは課長のおかげだと心の底ではわかっていた鷹山大下。もちろん他の捜査課の面々も、おなじ気持ちだったでしょう。

退職にあたって、「ひとりの殉職者も出さなかったことを誇りに思う」と挨拶する近藤課長。
あなたの定年から30数年が経って、あの鷹山大下が、なんと無事に定年退職しているんですよ。港署捜査課の課長は、あの町田透が務めているんですよ。近藤課長、どこかで見ていてくれますか? 見ていてくれますよね。

「瞳くん、お茶」という定番の台詞、ユージの「関係ないね」、良美ちゃんの「港303、応答願います」の呼びかけ、派手なガンアクションにカーアクション、ユージが「走った方が早い」で階段を駆け上がるシーンもほんと脳内再生余裕。
ナカさんの「鷹山ならノーヘルだろ」って台詞も巧い。あの頃の「港署捜査課」がここにある。
 
まだ珍しかった携帯電話の描写、工事中の“みなとみらい21”。1990年の、横浜。
いつも「文章よりイラストや映像の方がパッと目に飛び込んできてインパクト強くていいなぁ」なんて思っていたけど、文章だからこそ、小説という形だからこそ、今、この2024年に「あの頃の港署」を描くことができる。

はぁ。
柏原さん、本当にこれを書いてくださって、ありがとうございました。
スタッフ及びキャストの皆さん、『あぶない刑事』という作品をこの世に生み出してくださってありがとう。

そして中条静夫さん。あなたがいなければ、あの“近藤課長”は存在しなかったでしょう。

近藤卓三がいたからこそ、港署捜査課は存在し得たのである。つまり、港署捜査課が近藤卓三そのものだったのだ。 (P227)

課長、長い間お疲れ様でした。
ずっとずっと、大好きです。

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