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『派遣軍還る』2冊に引き続き、光瀬龍さんの『還る』シリーズ(笑)。

商業作家としてデビューして、これが長編1作目だったのですよねぇ、光瀬さん。1964年(昭和39年)の刊行。ちなみに長編2作目が『百億の昼と千億の夜』で、1967年。(『百億』の連載は1965~66年)

『宇宙塵版 派遣軍還る』が書かれたのが1960~61年なので、その3年後に刊行された作品ということになります。(書かれたのが64年なのかどうかは不明)

『還る』というタイトルからして処女長編である『派遣軍還る』を連想させるのですが、やっぱり宇宙船が行方不明になるのですよね。派遣軍とは違って、人員だけでなく宇宙船ごと、船団まるまる行方不明になる。

で、『派遣軍』の時は「還ってこなかった人達からの描写」というのは一切なかったんですが、こちらでは行方不明になった船の悲惨な有り様がしっかりと描かれていて、「うわぁ…」となります。

何かに攻撃されたというわけではなく、「時空のはざま」みたいなところに落ち込んでしまうんですが、そういう状況になると人はどうなるのか。あっけなくパニックに陥った人々は冷静に対処しようとする人間に襲いかかり、船から逃げだそうとして自滅し……。

正気を保っていたところでその「はざま」から抜け出せたとは思えないけど、でも人間はたやすく自分自身の首を絞めてしまうんだなぁ、と。「状況がわからない」「先が見えない」という「絶望」は、なんとあっさり人の息の根を止めてしまうものか。

頻発する宇宙船の行方不明事件。その調査を命じられた調査員シロウズと、惑星間経営機構の副主席ソウレが一応の主人公。そこに金星のエレクトラ・バーグの市長ヒロ18が絡む。

美貌の女性ヒロ18、でも実は92歳でかなり長く市長をやっていたりします。西暦3785年とかいうこの時代、「百年、百五十年と寿命を重ねようとも、自分のもっとも気に入った年代の容貌や姿態を保ちつづけていられる」らしく、ヒロ18の見た目は23歳。シロウズも見た目は37歳だけど実は127歳らしい。

若いままでいられるんなら長寿もいいですねぇ(笑)。

有能なシロウズは冥王星の地下から1200万年前の宇宙船を発見し、また、地球のツングースカからも、地球外生命体の宇宙船を発掘する――。

そう、「ツングースカ大爆発」です。あれの原因を「宇宙船の不時着」ということにしているのですね。

実際は「隕石」が原因だったらしいですが、その証拠が発見されたのはつい最近、2013年のことで、この作品が書かれた1960年代にはまだまだ「謎の大爆発」だったようです。(ちなみに「原因解明」を報じる記事こちら

シロウズはツングースカの宇宙船に残っていたデータを解析し、かつて太陽系にまで進出してきた宇宙人達が何かとてつもない“力”によって滅ぼされたことを知ります。

《事態ハ破滅的ダッタ》《無ハセルニアル》

千年以上昔に難破した宇宙船のデータであり、もとより人類の言語とはまったく異なるもので記述されているので、電子頭脳によって“翻訳”されたものがどれくらい正確なのかはわからない。

けれどもさまざまな現象を考え合わせれば、何か大きな災厄が――宇宙人をして“無”と呼ばしめた“何ものか”が太陽系に迫っているのは間違いないと思われた。

でも、そんなことがわかっても、どうにもならないんですよね。何しろ敵の“正体”についてはさっぱりわからないし、わかったところで彼我の力量の差は明白なように思える。一体地球人類にどんな“対処”ができるというのか。

シロウズを襲う無力感。

人類は孤独だった。そして人間はなお卑小だった。迫りくる災厄のかたちを知ることもできず、ただなおおのれの運命の周囲を低迷しているに過ぎなかった。 (P266)

うん、調査が進む前から、何とも言えない「やりきれなさ」が漂っているんですよ。背後にずっと「滅びの風」が吹いていて、どんなに賑やかな都市の風景にも、廃墟の姿が二重写しになっているような。

永劫の時と争って何を残すのか? 時そのものを手中に収めながら、今、蒼茫たる世界のたそがれをむかえて残す遺産とてもない。 (P82)

なんて言葉がかなり早い段階で出てくるし。

これがハリウッド映画か何かなら、人間離れしたスーパーな主人公が八面六臂の大活躍で地球人類を破滅の危機から救う――人類全部は無理でも家族ぐらいはなんとか救う、って話になりそうなところ、もう最初から「救うの無理なんだろうなぁ……」っていう寂寥感でいっぱい。

シロウズは十分有能だし、彼の力量を見抜いて「宇宙船失踪事件」の調査責任者に抜擢する副主席ソウレも肝の据わった“できる”おじさん。なかなかここまでの「リーダー」はいないだろうと思わせる、卓越した人物です。

でも。

とにかく“敵”の姿が見えないのですから「戦いよう」がありません。ただ“破滅の予感”だけがひたひたと迫ってくるのです。

気がついたらレーダーの効かない「謎の空間」に落ち込んでいた宇宙船団たち。そこから抜け出す手立てはおろか、なぜそんなことになったのか、自分達の置かれた状況を正確に把握することさえできない彼らの「絶望感」「救いのなさ」は、終盤シロウズが感じることになる「無力感」を先取りしていたかのようです。

あの、発狂するしかない乗組員の状況って、正体不明の“敵”に脅かされる地球人類そのものでもあるし、人間一人一人の――生命というものそれ自体の――「理不尽さ」を象徴しているようにも思えます。

どこから来て、どこへ行くのか。

なぜ“ここ”にいるのかわからぬまま、私たちは生きている。そして必ず訪れる“死”の正体を、私たちは知らない。それがいつ、どんな形で自分に訪れるか、具体的なことは何もわからないのに、それが“必ず来る”ということだけは知っているのだ。

「創世の神秘は君も我も知らない
その謎は君や我には解けない
何を言い合おうと幕の外のこと
その幕が降りたら我等は形もない」


オマル・ハイヤームの詩のごとく、どれほどあがき、戦っても、最後には死が――“無”が、私たちを消し去っていく。

姿の見えない巨大な災厄を前に、それでもソウレはとりあえずの「対処」をします。太陽系の外に、巨大なレーダー・サイトを建造しようとするのです。それが何ほどの役に立つのか――。もちろん、ソウレとシロウズ以外はその装置の“真の意味”を知りません。ツングースカのデータから推測された“大災厄”は、公式には発表されないまま、人々は明日が当然訪れることを信じて、その巨大プロジェクトに従事するのです。

何もしないでいるよりは、何かしたほうがよいに違いない。すべての人々が、ある目的のために一つになって動いている時は、そしてその中から自分だけぬけ出すということが許されないならば、せめて形だけでも人々のまねをすることだ。せめて形だけの救いがあるだろう。それが居場所というものだ。それでいいじゃないか。これまで人類はそうしてやってきたのだ (P290)

ソウレの命令で「やるべきこと」をこなしていくシロウズの感慨。

「どうせ死ぬのに何のために生きるのか?」の答えのようにも思えます。

最後、すべての希望を喪っても、ソウレは副主席として――死ぬまでは生き続けなければならない一つの生命として――“生きる努力”をしなければならない。

彼はそれでもなお新しい別な方法を考えなければならなかった。 (P344)

光瀬作品の例に漏れず、この作品も宇宙史の中の一部として語られていて、この「大災厄」の後にも「歴史」は続いています。それはソウレが「新しい別な方法を考えた」おかげなのか、単に「大災厄」がそこで一旦休止してくれただけなのか……。

その時点では滅亡せずにすんだ人類が、あと何千年生きながらえるのか、そんなことは誰にもわからない。破滅は、明日にも来るのかもしれない。

永劫の時と争って何を残すのか? (P82)


「星そして星々」と名付けられた第四章の記述がまたいいのですよねぇ。本編とは離れて、光瀬さん自身の「宇宙と人間」に対する感慨を綴ったような章。

宇宙に於ては遠方を見ることは過去を見ることである――この言葉の意味を考える時、われわれははじめて宇宙のほんとうの姿に触れたような気がする。 (P122)

この空間の外側には何があるか? それこそ尽きない念いにも似た問いだが、その問いが解明されるのは果していつのことだろうか?(中略)しかしこの明快な理論で満足しきれない何かが胸にうずく。物質や空間のない世界とはそれではどんな世界なのか (P128-129)

ああ、と思うんだよね。

ああ、おんなじこと考えてる、って。

膨張する宇宙。じゃあその「外側」には何があるのか。ビッグバンの前には何があり、いずれ宇宙が消滅した後の世界は――それでもまだ“世界”が存在するとして――どんなものなのか。

生まれる前と死んだ後。自分の存在しない“世界”。“無”になってしまうこの“私”。

うっかり考え始めると虚無の深淵に呑み込まれそうになる疑問。

光瀬さんも、子どもの頃からこういうことを考えていたのかな。一つの答えとして――あるいは慰めとして――、『たそがれに還る』や『百億の昼と千億の夜』のような作品を書いたのか。

しかし、石のごとくこの地球を離れられなくても、その心さえ自由ならばいつでもそれら星々はもとよりあるいは大宇宙の果までも自らの目で、自らの心でながめ考えることができる。(中略)夕映えの空に忘れていたむかしの事どもを想い起す心、その心が実は星々の語る物語を受け止める。そこに永遠につながる一つの世界がある。 (P130)