なんでいきなり沖雅也なのかと言ったら、
今読んでいる橋本さんの『ひろい世界の
かたすみで』のかたすみに、彼の名前が
出て来たからである。

「栄光の長嶋茂雄と日本の歩み年表」
という久々にお茶目な内容の章の中に、
「ちなみにこの年(中略)沖雅也は
京王プラザホテルから飛び降りた」
という一節があるのだ。

この年とは昭和58年(1983年)
のことだが。

この記述に出会って、私はなんか
嬉しかった。
私にとって沖雅也の自殺というのは
ものすごく大きな事件で、それを橋本
さんがちゃんと年表に入れてくれた
のが嬉しかったのだ。
石原雄次郎や美空ひばりの死なら
どんな年表にも出てきそうだけれど、
沖雅也の死というのはもうそんなにも
語られないことであろうと思うから。

(ついでに言えば、昭和61年の項には
ちゃんと岡田有希子の自殺も書かれて
いる)

私は沖雅也が好きだった。
と言っても、「俺たちは天使だ!」
は見てないし、沖雅也が好きというより
「太陽にほえろ!」のスコッチ刑事が
好きだったと言った方が正確だろう。
ともかく私の中では後にも先にも
沖雅也以上の男前
というのはいない。

「じゃあGacktさんは?」と聞かれると
「うーん」と唸ってしまうけれども、
「男前」とか「美形」というのはこういう
人のことを言うのだな、と初めて実感した
のが沖雅也だったのだ。

だから加藤雅也が出てきた時には、
「男前だから雅也って名前なんだな」
と妙な納得をした。
『アンフェア』でけったいな検死官を
演じている加藤雅也はなんだか桑名正博
にも見えて、男前なだけでは芸能界
生き残れないよな、と思ったりもするが、
男前がうまく年を取るのは難しいのだろうか。
ジュリーも太ってただのおじさんに
なってしまったし。

31歳という若さで死を選んだ
沖雅也は相当なナルシストで、自分の
容色が衰えていくのが許せなかった、
という話がワイドショーなんかで言われて
いた。
真偽の程はさっぱりわからないけど、
実際殉職の頃のスコッチは太り気味で、
その美貌には翳りが射していた。

もしも「この先年を取っていくことへの
不安」というのが彼を死の淵へ追いやった
のだとしたら、まこと美しさというもの
は罪であるな、と思う。

一方で、元祖“絶世の美少年”
美輪明宏さまは年を重ねても圧倒的な
存在感で“美”の人生を生きていらっ
しゃるのだが。
是非一度美輪さんとGacktさんに共演
してもらいたいものだ。

見た目が美しかろうと美しくなかろうと、
自らの老いと向かい合い、「よりよく
年を重ねる」のは難しいことなので
あろう。
沖雅也の年齢なんかとっくに越えて
しまった私はただ、「今の自分も
そんなに悪いもんではない」と思う
だけだ。
結局、存在するのは常に「今の自分」
だけなのだから。