昨日、サイトの調子が悪くて(?)UPできなかったこと。

おとといの、『関西もっといい旅』。
舞鶴だった。
戦後、引き揚げ船がいっぱい帰ってきた港。

最後の方で、「岸壁の母」をモチーフにした芝居をしている人達がいる、という話が出て、実際に何度も舞鶴港に足を運んで夫の帰りを待っていた老婦人が出演されていた。

昭和20年の春に結婚して、5月に赤紙が来て出征。
そしてそのままご主人は帰らなかったそうだ。

たった1カ月の新婚生活。

その人は、自分のような境遇の人を描いたお芝居を観て、そしてテレビの取材を受けて、「忘れられてもしかたがないのに、こうして気にかけてくださることが嬉しい」と言っていた。

もっと、怒ってもいいのに。

誰か、彼女に「ごめんなさい」と言った人はいるのだろうか。
彼女から夫を奪い、あるはずだった家庭、あるはずだった未来を奪ったことに対して、誰か、責任を取ったのだろうか。

戦争だからしかたない。
他にも同じような目にあった人はたくさんいる。
運が悪かった。

そうなのだろうか?
中島みゆきの歌のように、「誰も悪くないのに、悲しいことはいつもある」なのだろうか?

とてもせつなかった。