昨日、サイトの調子が悪くて(?)UPできなかったこと。
おとといの、『関西もっといい旅』。
舞鶴だった。
戦後、引き揚げ船がいっぱい帰ってきた港。
最後の方で、「岸壁の母」をモチーフにした芝居をしている人達がいる、という話が出て、実際に何度も舞鶴港に足を運んで夫の帰りを待っていた老婦人が出演されていた。
昭和20年の春に結婚して、5月に赤紙が来て出征。
そしてそのままご主人は帰らなかったそうだ。
たった1カ月の新婚生活。
その人は、自分のような境遇の人を描いたお芝居を観て、そしてテレビの取材を受けて、「忘れられてもしかたがないのに、こうして気にかけてくださることが嬉しい」と言っていた。
もっと、怒ってもいいのに。
誰か、彼女に「ごめんなさい」と言った人はいるのだろうか。
彼女から夫を奪い、あるはずだった家庭、あるはずだった未来を奪ったことに対して、誰か、責任を取ったのだろうか。
戦争だからしかたない。
他にも同じような目にあった人はたくさんいる。
運が悪かった。
そうなのだろうか?
中島みゆきの歌のように、「誰も悪くないのに、悲しいことはいつもある」なのだろうか?
とてもせつなかった。
社会・政治
2 Comments
戦争にまつわる,往々にして悲しいエピソードが語られるとき(実体験者が語るというよりむしろ映画などの創作物として,の場合特に)「怒り」という感情ってあまり出てこないよね。日本人だけなんだろうか?こういうの。昨今の戦争にまつわる映画なんかも,大体そうじゃない?「戦争のために散った若い人々の崇高な美学」みたいな感じで・・・そりゃ,怒りにまかせて自爆とかするのもどうかと思うけど,耐え忍ぶことを「美しい」とする国になんて,なってほしくはないなぁ・・・
返信削除��an-an様日本人は「アイゴー!!」ってふうにならないよね……。なんか「従容として運命を受け入れる」っていうか、妙に悟りを開いてるっていうか……。だから訴訟社会にもならないし、事故や事件の「被害者を救済する」っていう部分もわりとないがしろにされてきた。最近は、「被害者感情」が随分取り上げられるようになってきたけど、特に相手が個人でなく企業だったり国だったり、「大きなもの」になると、声を上げる人に対して「いつまでそんなこと根に持ってるんだ」みたいな、こう、逆に咎めるような雰囲気が周囲にあるよね。戦争はその最たるものでしょう。テレビの老婦人を見てて、思わず私の方が「謝れよ!!」って気分になったし、「ごめんなさい」って気分にもなったのよね……。
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