昨日、早くも年賀ハガキ予約のチラシがポストに入っていた。
一緒にポストに入っていたL.L.Beanのカタログは「Christmas」だった。
もうそんな季節なのか。
もう2006年は終わってしまうのか。
まだあさってが中秋の名月なのだから、旧暦なら今日はやっと8月13日ではないか(←慰めにならない)。
ところで、年賀ハガキのことだが、うちの家はきっちりと予約をするので、11月1日にはもう年賀ハガキが家にある。
義父も義母もとても用意が早くて、12月の初旬には大体出せる状態になっていることが多い。義父は教員だったため、出す枚数がとても多いので、早く準備しないと間に合わない、ということもあるのだが、しかし「これから年末までの間に喪中になったらどうすんのかな」と思ったりする。
わが家には95歳の義祖母がいるわけだし。
私らだって、いつ飲酒運転の車に突っ込まれて命を落とすかもしれない。
投函してから死んだら、「死者からの年賀状」が届くわけだ。それもいいかな(何がや)。
けっこう、そーゆー縁起でもないことをよく考える。
子どもの服なんて、「来シーズンのために」と1サイズ上をバーゲンで買ったりするが、「もしかしてこの服を着ることなく……」とふと思ったりする。
ものすごく縁起でもない。
でもその分、無事その服が活躍できる時には、「ありがたいな」と思える。
自分や家族が今生きているということは、本当に奇跡的でありがたい。
今年の暮れも無事年賀状が出せますように。
日記・その他
4 Comments
先日は温かいコメントをありがとうございました。本当に多くの方たちに心配して頂いてありがたい限りです。さて、僕もどちらかというと縁起でもないことを考える方の人間です。自分や家族が今生きてるということもそうですが顔も知らない僕なんかのために、コメントなどで励ましてくれるひゅうがさんと知り合えたのも奇跡的なことですよね。こんなつながりを大切にしたいと思ってます。これからもよろしくお願いします。
返信削除��HILOVINSON様ほんとに、人と人との出会いというのも奇跡ですよね。何十億人という人が生きている中で、知り合えるのはほんの一握りの人たち。普通に過ごしていたら知り合えるはずのない遠くの人とこうしてやりとりができるのがネットの魅力でもありますよね。多くの方がHILOVINSONさんのところに集まるのは、HILOVINSONさんの人柄だと思います! 記事は楽しいし、コメントは丁寧だし……。すごいな〜といつも思っています。こちらこそ、これからもよろしくお願いしますね[E:club]
返信削除私は桜の花がものすごく好きなんだけど,20代半ばくらいから春になるたびに「桜って1年に1回しか見られへんねんな・・・私はあと何回見られるんやろ」って思ってしまって(思わないようにしようと思うんだけど,思ったときには当然手遅れなのだ,いつも)暗〜〜〜くなることがあるのだ(苦笑)本当はそういう後ろ向きな思考ではなく,ひゅうがさんのように,今生きていることに感謝せねばいけないよね。うんうん。
返信削除��an-an様ああ〜、わかるわかる!私も桜、大好きだから、「あと何回…」とか思います。今年の春は久しぶりに故郷・五月山の桜を見に行ったけど、自分が桜を見られるのはもちろん、「こうして母や息子と一緒に見られるのは……」とかってつい思っちゃうのよ。走馬燈のように子どもの頃のことまで思い出したりしてね(^^;)でもそーゆー不安というか、「いつかなくなったり消えたりする」ということを考えてしまうのって、それだけその事物に愛着があって、大切だと思ってるからだと思うので、私たちはとても愛情深い人間なんじゃないでしょうか……違うか??(笑)
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