寒い。
断続的に強い雨が降り、風も強くて大荒れな天気。
北海道ではさらにすごいということで、この間の竜巻のようなことがまた起こるかもしれないと聞くと、怖ろしい。
あの時は、ニュースで「竜巻」という文字を見て、てっきりアメリカの話だと思ったら日本だったので、とても驚いた。しかも被害が半端じゃなかったので、「こういうことで死んだり生活を奪われることがあるんだ」と改めて自然の脅威を思うとともに、「ホントにどんなことで死ぬかわかったもんじゃないな」と思ったりした。
以前に紹介したことのある森博嗣さんの『女王の百年密室』の中で、女王様はこんなようなことを言う。
「自然や動物には復讐しないのに、どうして相手が人間だと復讐するの?」
自然災害で亡くなっても、里に降りてきた熊に殺されても、「突然命を奪われる」ことに違いはない。本人にとっても遺族にとっても、悔しくて哀しいことは変わらない。
たとえば交通事故で死ぬのと、明確な悪意を持った人間に殺されるのと、竜巻や地震で命を落とすのと。
どんな死に方がより悲惨で、より哀しいのか。
誰かの責任だと思える方が、マシなのかどうか。
病死だって、やっぱり「突然襲われる」ものだ。
同じように大酒を飲んでタバコを吸っていても、癌になる人間とならない人間がいる。
病気で入院していれば、「もしや」の覚悟はあるけど、だからって死ぬことが辛くないわけじゃない。
幼い子どもの死ほど可哀想で、年を取るほど可哀想じゃなくなる。何歳まで生きれば、諦めがつくものだろうか。
「死」は、いつも理不尽だ。
社会・政治
2 Comments
記事の主旨とはちょっと違う話ですが,「復讐」というキーワード絡みでコメントを。地球上に何種類くらいの生物がいるのか知らないけど,同じ種同士で殺しあうという習慣(?)があるのは人類だけなんじゃないかと思うのよ。確かにメスをめぐるオス同士の戦いや,繁殖しすぎて自滅しないようにある一定数の子供以外は淘汰される,というようなことはあるけど,それは「種の保存」という大きな目的の上で必要とされるものなわけで。人間が殺しあう(あるいは自殺する)のは「より複雑な感情」を持ってしまったからなんだろうか・・・?
返信削除��an-an様そうだよね、人間だけだよね、お互いに殺し合うの。やっぱり、「本能」以上の、色々な感情、欲望があるからなんだろうな。それと、自分や相手が「死ぬ」ってことを知ってることかな。一番最初の争いっていうのは、やっぱり食糧とか水とか、生きる上で不可欠なものをめぐってだったと思うけど、「それがなかったら死ぬ」っていう、「死ぬことへの恐怖」が他者を排除してでも「自分が生きる」につながってるのかも。「自殺」にしても、「死」を知ってるからだもんね。
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