ずっと目の不調を訴えていた実家の母が、いよいよ来月後半手術することになった。
白内障とか緑内障という、よく聞く病気ではなくて、なんとかいう、ちょっと珍しい病気らしい(なので病名が覚えられない)。
父は父で、ちょっと珍しい血液癌にかかっているので。
「どーして私らばっかりこんな目に……。何も悪いことしてへんのに!」と母が嘆いていた。
確かに父も母も苦労人、若い頃から真面目にこつこつやってきた人なので(まぁ宝塚や野球の追っかけはしてますが)、「なぜこんな厄介な病気に」という気持ちはよくわかるし、娘としてももちろん辛い。
でも、もし悪い人しか病気や事故に遭わないとしたら、世の中とっくの昔にいい人だらけになっているはず。
色んな難病にかかっている人がみんな悪人だったらすごいことである。
大体、「じゃあ厄介な病気じゃなくて、普通の癌だったらいいのか?」って話にもなるしな……。
お酒や煙草のせいで肝臓癌や肺癌になるのならまだ納得できる、というところか。
でも同じだけ酒を呑んで煙草を吸ってても病気になる人とならない人がいるわけだし、ものすごく健康に気を使って体はどうもなくても事故で呆気なく死ぬ人だっているだろう。
まぁ、つまりは運というか。
色んな健康法とか食事とか、それがまったく無駄とか、「意味がない」わけではないだろうけど、でも最終的に「難病や事故に降りかかられる」というのは、やっぱりもう「運命」というか、「それがなぜ私なのか」に答えはないし、意味もないんだろう、という気がする。
なんとかして納得したいから、「前世の業」とか宗教とか、出てくるんだろうけども。
日記・その他
2 Comments
今、私の同僚が突然癌と診断されて3ヶ月。発見された時にはあちこち転移がみつかり、手術後は取れない癌の抗癌剤治療。頑張り屋の彼女は、好きだった仕事も失い、住み慣れた家も処分し、子供と離れて、単身赴任の夫の元での辛い治療生活。なぜ彼女なのか?もっと人を傷つけ、のうのうと生きている人がたくさんいるのに。運命とかたずけるには理不尽でならない。納得できない事を納得しながら生活する事が生きると言う事なのか。「長く生きる事より、どう生きたか」に結論を出すしかないと思った。失っていく物をうらむより、今あることに感謝して、あなたが、心穏やかな日々を送れる事を祈ります。
返信削除��N子様重いですね……。本当に、「なぜ私なのか?」「なぜ彼女なのか?」人の生き死には理不尽だと切に思います。病気による「彼女」の苦痛が少しでも和らぎますように。
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