考えるのが好きだ。

だから、死んで考えられなくなるのが怖い。
考える主体=「自分」がなくなるのが怖い。

でも、死んだらそもそも「自分が死んだ」ことがわからないんだから、こーゆーのは馬鹿な心配である。
家族とか親友とか、身近な人間に死なれる方が、実際には自分が死ぬよりずっと辛くて哀しいだろう。
それを「感じる」自分はまだ生きているんだから。

生きているから哀しいんだ♪
手のひらを太陽に。

仏教でいう「悟り」とか「解脱」とかいうのは、自己への執着を捨てて、輪廻の輪から抜け出ること。
「もう生まれ変わらない!」

生まれ変わりたいなぁ。

でも、生まれ変わっても、今の「自分」の記憶がなければ意味ないか。

堂々めぐりで、答えなんかない。
だからずっと考えていられる。

考えるのが好きだ。