宝塚へ並びに行く途中、母の方から
「そういえばこの間の尾崎のテレビ、見た?」と言われた。
母は、見ようと思って見たわけではなく、たまたまチャンネルを変えたらやっていて、「22年前、大阪球場? それって行った奴ちゃうん」と思ってじーっと最後まで見てしまったらしい。

母は、あの日自分が着ていった服を覚えていた。
「私、赤のノースリーブに白いパンツで、太いベルトして、若作りして行ってん」
よくそんなこと覚えてるなぁ。
私は自分が何を着ていったかなんてさっぱり覚えていない。高校時代、制服以外にスカートを持っていなかったはずなので、おそらくTシャツにジーパンとか、真夏だから半ズボンとか、なんかテキトーな格好だったんじゃないだろうか。

若作りと言っても、当時の母は今の私とそんなにも違わない。でも私と違って断然お洒落でセンスがいいので、衣装に関する記憶が鮮明なのかも。

尾崎がセットに登っていたこととか、ピアノで「卒業」を歌ったこととか、ちゃんと覚えていたらしい。
入場した時に、何か注意(?)された警備のお兄ちゃんが若くて可愛らしかったことまで覚えているのだとか。
そんなことは忘れろよ(笑)。

私は当日よりも、チケットを買いに阪急三番街のプレイガイドに並んだことの方をよく覚えているのに、母はそっちは全然覚えていないという。
しかも、私の記憶では、母が「行かな!」と言ったから前売りに並びに行ったことになっているのに、母の記憶では「あんたが一人で行くって言うから、そりゃダメだと言ってついて行った」ことになっているらしい。

まぁ人の記憶ってそーゆーもんか。
真実は薮の中。
そしてどちらもきっと間違ってはいないのだろう。

母があの番組を見て思ったことは、
「やっぱりあの子って、ちょっとおかしかったんやろね」
だったそうだ。
あのハイテンションというか、ある種の純粋さが「ヤバい」というふうに見えたのだろう。尾崎が死んだ時、「ああ、やっぱり」みたいにも言っていたし(私もそう思ったもんな……)。

「でもあーゆー人生もいいよね。私なんて何も才能ないし、子育てには失敗するし、ぱっとせーへん人生や」
……すいませんね、失敗作で。

才能に恵まれ、その才能ゆえに早死にするのと、ぱっとしないながらも長生きするのと、どっちが幸せなんだろうか。
そりゃ、才能があって長生きするのが一番?

まぁ華々しいことなんて何もなくても、人生はそんなに捨てたもんではないと、私は思いたいですが。