2008年もいよいよ明日でおしまい。

大掃除もたけなわの12月30日。

おとといぐらいから、ちょっとずつ掃除しているんだが。

何しろ私には「掃除する身体」がないので、「ちょっとずつ」しかできない。

2時間も掃除したら、「こんなことばっかやってるのヤだ!」と思ってしまう。

「掃除する身体」という言葉は、確か『橋本治と内田樹』に出てきた。内田さんはきれい好きらしく、橋本さんもお掃除が普通にできる方だ。

その個所を読みながら、「ああ、私には“掃除する身体”がないんだ」と思っていたが、この年末、ひしひしとそのことを痛感。

きっと私の身体は「うだうだとどーでもいいことを考える」ことだけに特化されているんだわ。ううう。

私にとって「掃除」というのは、「お母さんに怒られるから仕方なくやるもの」でしかない。

うちの母はけっこうきれい好きで、怖かったのである。子どもの頃はよく拭き掃除をさせられていた。正直、絶対結婚する前の方が結婚した後よりよく掃除していたと思う。

今でも、「掃除しなきゃ」とは一応思うんである。もうお母さんと一緒に住んでるわけではないが、なんか強迫観念になって残っているので、天気の良い日は「布団干さなきゃ!」と思うし、年末が近づいてくると「ああ、大掃除しなきゃ」と思う。

だから、大嫌いなのに、うっかり「あ、あそこ汚い」というのを発見して、「掃除しなきゃ」「でもやりたくない」という葛藤に苦しんだりもする。

まぁ、往々にして「やりたくない」が勝つのではあるが。

そして私にとって「大掃除」というのは「参加することに意義がある」なのであって、「本当にきれいになったかどうか」というのはあんまり関係がない。

「普段やれないようなところを掃除する」が一般の人にとっての「大掃除」であろう。しかし私の「大掃除」は「普段やっているところをちょっと真面目に掃除する」でしかない。「普段やっていないところ」は、なるべく見ないようにする。

時々、「でも大掃除なんだから」という強迫観念が勝って、部分的に掃除する。

今日は珍しく壁のほこりなんかも落としてみた。……「珍しく」って……(汗)。

落としながら、「ハウスクリーニングの業者さんとかに頼んだら、あの手の届かないところもぴかぴかになるんだろうなぁ」と「金で解決する」ことを夢見てしまった。

これで私が売れっ子の作家だったりしたら、「先生、締切いっぱいあるんですから、掃除なんか業者さんにやってもらってください!」ってことにもなるんだろうけど、いかんせんただのblog書きなので、たとえ申し訳程度でも自分でやるしかない。

そして「やったよ」と自分と家族を納得させなければ。

うちの夫は、「掃除する身体」があるからなぁ。夫の両親や妹も。

ないのは私と息子や……。

午前中、掃除して嫌になったので、午後からは買い物に行った。

すっかり「迎春準備品」だらけになったスーパーがごった返しているのが楽しかった。ああ、年の瀬ね♪

混んでるとわかってて出かける正月の京都とか、全然知らない周りの人が「年の瀬」だったり「お正月」だったりするのを見るのはなんとなく楽しい。

日付が変わるだけで、新しい年になるんじゃなくて、そーゆー、「お正月」を過ごしている他の人を見て、「ああ、お正月だ」と実感するような気がする。

「お正月」という時空間を共有するというか。

ある意味「集団幻想」ですよね。日付っていうのも……。

でも「区切り」は絶対あった方がいいし、やっぱり365日に1回くらいは「気持ちを新たに」ってことがないと、私なんかずーっとのんべんだらりと過ごしてしまうに決まってるから。

なわけで。

どうぞ皆さま、良いお年を。