ずーっと読みたいと思っていた内田センセの『街場の教育論』。やっと読むことができました。予想通りめちゃくちゃ面白かった!

というか、読んでて胸が熱くなった。

うるうるした。

なんだろう。内田センセの『愛』がひしひしと迫ってくる感じがした。

人間に対する信頼、この世には「よきもの」が存在するという、「世界に対する肯定感」というのかな。

別に小説でも「感動のノンフィクション」でもなく、先生の大学院での講義をもとにまとめた「評論」なのに、読んでると感動が喉元にこみ上げてくるんだよ。

私がおかしいだけ?(笑)

やっぱり内田センセ、好きだなぁ。橋本さんと同じ匂いがする(爆)。

私の読書傾向はものすごく偏ってるから、他の人の評論や小説に「どんな匂い」があるのか、実はよく知らないんだけど、でも橋本さんも内田センセも根本のところに「人間というものは愛おしい」という想いが流れている気がして、読むのがとても楽しい。幸せな気分になる。

橋本さんの語り口も独特だけど、内田センセの語り口もまた、すっと心に入ってくる感じで、好きなのよね。

同じ内容を語るのでも、その「語り口」によって印象がずいぶん変わると思うし、やっぱりそこには「人柄」が出ると思う。

そしてリズム感。

たとえ内容が難しくてよくわからなくても、その文章を読むのが楽しい。細かい意味がちゃんとわからなくても、リズムのいい文章はどんどんと読み進める。

ちょうどこの本の中にも「国語教育はどうあるべきか」という章があって、「言葉の音楽性」ということが取り上げられている。

現代の国語教育では、この国語固有の抑揚とリズムの構造を取り出し、洗練させ、身体化し、さらにそれを音楽的なものに昇華してゆくというプロセスが欠落しているように私には思えます。(P231)

「声に出して読みたい日本語」が売れて、「音読する」ということが復権したようにも思うけれど、まだまだ学校現場の「国語教育」においては、「言葉の音感」というものは無視されているんじゃないかな。「声に出す」といえばディベートとか「自分の意見を主張する」という方向ばかりが強調されて、「古典」や「詩」の朗読・暗誦といったことはおそらくまるで行われていない。

意味もわからないものをただ暗記したってしかたがない、という考えから、どんどん子どもに与えられる「言葉」はチープなものになっていったんだろうけど、「わからなくてもまずは“言葉のストック”が必要」なのです。

ここの内田センセのお話は本当に素敵で、もう全文引用したいぐらいなのだけど。

私たちはまず言葉を覚えます。意味がよくわからない、何を指すのかわからない。それでいいんです。言葉を裏打ちする身体感覚がないというその欠落感を維持できているからこそ、ある日その「容れ物」にジャストフィットする「中身」に出会うことができる。(P243)

わかること、簡単なことばかり与えられていると、そこでストップしてしまう。以前橋本さんの本にも同じようなことが書かれてあった気がします。

意味なんかわからなくても、子どもが喜んで「寿限無」を暗誦してしまうのは、「日本語であそぼ」が実証しています。あの番組を見て育った子どもと、見ないで育った子どもの「言葉の豊かさ」の差はすごいだろうな。

子どもの身体実感に合う言葉だけでいい、としてしまったがゆえに「うざい」「むかつく」しか話せない子どもが増えてしまったのでしょう。

「言葉」と「思い」と、どちらが先なのか。

この議論も、本当に面白い。

普通は「言葉として表現されるべき思い」が先にあって、「言葉」は「思い」の従属物であると思われているけれども、

「まず内面がある」という前提を採用したことによって、日本の子どもたちの言語が底なしに貧しくなってきているという事実を重く見なければなりません。(P248)

「まず言葉がある」

これは、「読むのも書くのも大好き。毎日ひたすら頭の中でもPCでも紙の日記でも言葉をひねくり回している」私にとっては、大いに実感できることです。

書いてると、「言葉」に引きずられる。

そんなこと思ってたっけ?というようなことを、「言葉」に引きずられてどんどん書いてって、書いてるうちに感情が高ぶってきて、一人で感動している、ってことがもうしょっちゅうある(笑)。

「言語化」することによって、思考や感情は初めて「目に見える形」になる。

そしてその「形」に自分自身も影響を受ける。

「形から入る」ってけっこう重要なことだ。汚い言葉、マイナスの感情を喚起する言葉ばかり使っていたら、感情や性格もそれに引きずられる。逆に、無理してでもきれいな言葉、プラスの言葉を使っているうちに、性格や運がよくなるってこともきっとある。

いわゆる「言霊思想」ですね。

言葉にはそれだけ人間の内面を操作する力がある。(P247)

やたらに言葉を書き散らしている者として、改めて肝に銘じておかなければ、と思うし、内田センセや橋本さんのような「音楽的で闊達な言葉遣い」ができる人間になりたい、とせつに思います。

……と、「国語教育」の章だけでずいぶん長くなってしまった。他の章も面白いのよ~。

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