昨日の『ガンダムUC9巻&10巻』記事のおまけ。

『UC』は「ラプラスの箱」をめぐる物語で、最終10巻でその「箱」の正体が明かされる。

明かされてしまえば「なぁんだ」というような中身だったのだけど、でもそれが「重大な秘密」になってしまったのも、わかる中身ではあった。

あれが「箱」と呼ばれていたのは、「パンドラの箱」からの連想だったのだな、と今頃気づく鈍い私。

昨日の記事を書いた後でなんとなく「可能性という光」ということを考えていて、それはつまり「希望」ってことか、と思ったのだった。

色々な災厄がふりまかれた後、「パンドラの箱」に残っていたという「希望」。

この話を考えた人って、すごいね。

「幸福」そのものが存在することよりも、「幸福になれるかもしれない」という「希望」が存在する方が重要だっていうこと。

『UC』の中でも、「ラプラスの箱」を解放したところで何も変わらないかもしれない、それでも「可能性があればいい」というふうに書かれてあった。

可能性を信じて、少しずつ少しずつ、変化していく。

「どうせ何も変わらない、変えられない」という「絶望」の声に、「それでも」と言い続けていくこと。

今よりも良くなっていける、その可能性を信じて、未来に「希望」を持つこと。

もちろん、その「希望」がかなって、より良い未来、「幸福」が実現するにこしたことはないけれど、人間にとっては、「その幸福がありうる」と考えられることこそが大事なんだと思う。

そこへ向かって、歩き続けることこそが。