文庫化なった『街場のアメリカ論』を買うついでに、『街場の現代思想』も買ってしまいました。

ついでかよ!(笑)

だって「現代思想」だったらblogで読んでるのと内容一緒かなぁ、とか思うじゃない。わざわざ買って読まなくてもいいかなぁ、って(爆)。

実際この本の一章二章はblogからの採録だし。

でももちろん面白い。

元になったblog記事は私が内田ファンになる前に書かれたはずのもので(単行本は2004年刊)、直接それを読んではいないと思うのだけど、似たような話は繰り返しblogにも著書にも出て来るから、「すごく新鮮!」というのではない。

でも面白い。

何度読んでも楽しめる。

いつも通りさくさくと読んでしまった。

『神なるオオカミ』の最後の講義のところを「ああ、国名や民族名がめんどくさくて目が拒否するよぉ」とだらだら読んでいる間にこちらはさっさと読み終わってしまった。

いや、ホントに内田センセの語りはいいですね♪

「涙の感動巨編!」なんかではない、「評論」のはずなのにほろっときちゃう。

第1章は「文化資本主義の時代」

まずはじめに「教養」というものの定義が出てくる。

「教養」とは「自分が何を知らないかについて知っている」、すなわち「自分の無知についての知識」のことなのである。 (P14)

優秀な学生の、文学についての卒論。それぞれの論文はとてもよくできていて、テーマとなる作家の作品をよく読み込んでいることが窺われる。でも彼らが一堂に会した時に、「文学の話で盛り上がる」ということはない。

自分が取り上げた作家の作品以外は読んでいなくて、「話が通じない」から。

なんか、すごくよくわかる。

文学でも音楽でも、「好みの多様化」とかなんとかで、それぞれの興味が「タコツボ化」して、「音楽好き」「文学好き」と言ってもまったく「共通の話題」がなかったりする。

そこで得られた情報や知見を「共有する次元」がないのである。 (P13)

人と共通の話題がなくてコミュニケーションできないから大変だ、というだけじゃなくて、

けれども、自分がいましている作業を一望俯瞰する視点がどうしてもなくてはすまされないという切実さはない。おそらく、その「切実さ」が「教養」のモチベーションなのだということを彼女たちはまだ知らないのである。 (P15)

で、そういう傾向があらゆる知的領域で生じつつあって、それは「文化資本の偏在」というかたちをとって目の前に現れていると。

大変面白い話なので、ちゃんと本を手にとって読んでもらった方がいいと思うんだけど、要するに「育つ環境の差」によって「身につけられる文化的要素」に差が生じる、ということです。

ま、考えてみれば当たり前のことなんですが。

いわゆるひとつの「育ちが違う」ってやつ。「お里が知れる」。

ここで内田センセが出してくる「育ちの違い」がまた!

あえて引用しないので(笑)ぜひ本で読んでくださいね。

「身につけられる文化的要素」が「文化資本」となるためには「それ、いいなぁ」と羨ましがってくれる人々がいなくてはいけない、という話になって、「文化資本による階層化社会」よりも「一億総プチ文化資本家社会」の方がいい、というような結論になる。

でも、どうなんだろう。

なんか、「それ、いいなぁ」っていう人々が、いなくなってきてるんじゃないのかな?

一生懸命「生まれながらの貴族」に追いつこうとしてワインの味を覚えたり、オペラを鑑賞したり、有名な絵画を買ったりしてくれる、それを「資本」だと思ってくれる人々が少なくなっているからこそ、「興味のタコツボ化」は起こっているような気もする。

なんか、あっけらかんと「えー、何ですか、それー」と笑っておしまいにできる人達が――「知らない」ことを「恥ずかしい」と思わない人達が、増えてるんじゃないかと。

高学歴・高収入の親の子どもは、当たり前のようにワインの味や楽器の音や美術品の良し悪しを見る目を養うかもしれないけど、それを「わかってくれる人」は同じように育った人間だけで、それを持たない人々から「羨ましがられる」ってことはなくなっていくのかもしれない。

乖離、と言うのかな。

もちろん「金銭的に余裕がある」ことに対する「羨ましい」はなくならないだろうけど、そこに付随している「文化」もまた「タコツボの一つ」に過ぎなくて、カンケーないもんはカンケーないまんまとゆーか……。

逆に、「知らないと恥ずかしい」「権威的教養」の縛りから離れて、まったく自由に「これ超カワイー!」のノリで芸術作品を愛でるとか、新しい「文化の楽しみ方」みたいのが出て来るかもしれないけど。

うーん。でもやっぱり、「共通のベース」がなくなると、コミュニケーション的にはホントに大変になるわけだし、「自分の立ち位置」を知るために、ある程度「浅くても広い知識」のようなものは必要だよね。

それが「ない」ことを「切実」だと感じない、ってゆーのは……。

第2章『勝った負けたと騒ぐじゃないよ』は飛ばして、第3章『街場の常識』

若者からの質問に答える形で、内田センセが懇切丁寧に「お金」とか「労働」とか「結婚」とかいうことについてお話してくれます。

「質問」は読者からのものではなくて、編集スタッフからのものらしいのだけど、悩める若い人には実にオススメの内容になっております。ほんと、内田センセって親切だなぁ、って思っちゃう。

「そんなの自分で考えろよ」ってことを、わかるように、面白く、しかも「一般に流布しているとは違う視点から」説いてくれるんだもの。

私自身を含め、すでに「若者」ではなくなってしまった人間にとっても、改めて「社会への向き合い方」について考えるヒントを与えてくれます。

実際に悩んでいる若者にとっては、もしかしたら「え、そんなこと言われても!」かもしれないんだけどね。

本文中にも出て来るけど、悩んでる人って、実は自分の中に「言ってもらいたい答え」はちゃんとあって、ただそれを「他の人の口から」聞きたいだけ、ってことが多いから、せっかくの内田センセの「答え」を読んでも、「こんなの役に立たない。ボクが聞きたいのはこんな話じゃない」って言って、よそへ行ってしまうかもしれない。

私が内田センセや橋本治さんの本を大好きなのも、そこに「私が言ってもらいたい答え」が書いてあるからだし。

自分ではうまく言葉にできない、まとめられない、でも「こうなんだろうな。こうだったらいいな」ということを、内田センセや橋本センセが「こうでしょ?」って形にしてくれるから。

全15回、どのお話も面白いんだけど、特に第9回『他者としての配偶者について』には泣いてしまいました(笑)。読んでてうるうるした(爆)。

だって本当に最後、素敵なんだよ。もったいないから引用しないけど(笑)。

内田センセの「人間」というものに対する信頼が胸を熱くする。きゅん。

その前の第8回が『結婚という終わりなき不快について』ということで。

恋愛と結婚の違いは何か?

それは「先方の親族がついてくるか否か」ということ。

結婚すると(相手が天涯孤独の孤児でない限り)もれなく舅姑小姑親戚のおじさんおばさんなどが「おまけ」でついてくる。そして、驚くべきことに、結婚生活におけるストレスの90%はこの「もれなくついてくる先方の親族」によって引き起こされるのである。 (P147)

既婚の方々は画面の向こうで大きくうなずいたことでしょう(笑)。

ホントにねぇ。

うちなんか舅姑小姑に去年まで大ばあちゃんがいて、舅は7人兄弟、姑は6人兄弟ですもの。ほっほっほっ。夫のいとこの名前を把握するだけで一苦労ですよ。「いとこの子」の代になるともう誰が誰やら(爆)。

恋愛に必要なのは「快楽を享受し、快楽を増進させる能力」であり、結婚に必要なのは「不快に耐え、不快を減じる能力」なのである。 (P150)

そーか、私ってそんな能力の持ち主だったのか(笑)。

もちろんうちの旦那さんにもそんな能力があればこそ、離縁されずに続いているのだと思います。ありがとー、ダーリン♪

お姑さんなんか7人兄弟の長男のところへ嫁に来て、家にはまだ未婚の夫の弟やら妹やらがいて、すでに結婚している妹達も出産で帰ってくるし、それはそれはストレスだっただろうなぁ、と思うもの。

今ならまだしも、大っぴらに文句を言えるような時代でもなかったろうしねぇ。

第9回のあと、第10回と11回が「離婚」の話で、読んでて『ゲゲゲの女房』が頭に浮かんだ。

ちょっと、珍しく朝ドラにはまっちゃってるんだけど(笑)、ヒロインのふみえちゃん、お見合いしてたったの5日でしげるさんとこにお嫁に行くでしょ。

あんなの、今じゃありえないよね。ドラマの中でだって、「大丈夫なの!?」ってみんな心配してるわけだし。

お見合いで一度会っただけ、たったの5日で結婚式、しかも島根から東京へ。

しかもしかも東京行ってみたら貧乏で生活も大変だし。

まぁホント今だったらあの新居に着いたところで「話が違うっ!帰らせていただきますっ(キリッ)!!!」で即ご破算だろう、って。

それが、ふみえちゃんは「もう戻れないんだから」と頑張るわけです。

「ここで一緒に暮らしていくんだから」と。

もちろんシゲルさんは悪い人じゃなくって、ふみえちゃんもとってもいい子だから、二人はだんだんと「いい夫婦」になっていくんだけど、「性格が良かったから」「相性がよかったから」とかよりもまず一番に大事なのは、ふみえちゃんのその「覚悟」なんだ。

あなたが「結婚してみて、ダメだったら離婚して、もう一度やり直せばいい」という前提で結婚に立ち向かう場合と、「一度結婚した以上、この人と生涯添い遂げるほかない」という不退転の決意をもって結婚に臨む場合とでは、日々の生活における配偶者に対するあなたの言動には間違いなく有意な差がある。 (P168)

これですよ。

これ。

今日(5月21日)の『ゲゲゲ』でふみえちゃんが「夫婦なんですから!」「うちの人は本物の漫画家です!」って訴えるところ、泣けたなぁ。

……って、話が違う方向に行ってるし(笑)。

でも人とのコミュニケーションって、結婚に限らず、友達でも仕事の付き合いでも、「この人ヤだな」と思ってしまうとどんどん悪くなるし、「どうせ今だけの付き合いだし」って思ったら態度がぞんざいになるのは当たり前で、そーゆーのってやっぱり相手にもわかるから、相手もこっちを「ヤな奴」って思うだろうしね。

私も改めて肝に銘じなくちゃ、と思います、はい。

長くなったので、続きます。(えっ、まだ書くの!?)