引き続き『街場の現代思想』ネタでございます。

そして引き続き、「結婚」「離婚」関係のところ。

第8回のタイトルが「結婚という終わりなき不快について」なんだけれども、ここで「不快な隣人ナンバーワン」に挙げられてるのが他ならぬ「子ども」なのです。

その不快さは「先方の親族」の比ではない、と内田センセ力説!

『エイリアン』とか『遊星からの物体X』といった「異星人が体内に入る」系の話は全部「妊娠の不快」を迂回的に表現しているのだと。

そうそう。私も妊娠中にその手の話書こうと思ったもん。

「妊娠して、仕事の忙しい夫ともすれ違いが続いて、自分の体内にある「異物」に恐怖を感じてノイローゼになり、いよいよ胎動が始まると“私の中にモンスターがいる!モンスターが私を食い破ろうとしている!”という妄想にとらわれ、あげく自分の腹を裂き、赤ん坊も自分自身も殺してしまう女の話」。

さすがにリアルタイムで書いたら胎教に悪すぎるな、と思って「メモ」だけに留めたけど。

「可愛いから子どもを産もう」ではなく、「不快だからこそ子どもを産もう」と勧める逆転の発想がさすが内田センセでございます。

でもホントにそうだよね。

「絶対可愛いから!騙されたと思って産んでごらん!!」って言われて産んだら、「騙されたっ!!!」になるよ(笑)。

もちろん可愛いところもあるけど、可愛いだけじゃまったくないのが「赤ちゃん」「子ども」なので、「不快な隣人ナンバー1なんだ」と思って産む方が、「意外に可愛いとこあるじゃん♪」とかえって「可愛さ」をありがたく思えるものじゃないかしらん。

「不快な隣人」とも共生していかなければならない、共生できる、というのが人間の能力というか、「人間らしさ」なんだと。

学校でもそっちのアプローチの方がきっといいと思うんだけどなぁ。

自分では担任も「クラスのメンバー」も選ぶことができない、でも1年間そこでなんとかうまくやっていかなければならない。学校って、やっぱり勉強だけじゃなくて「人間関係」を学ぶところでもあると思うけど(今やそっちの方が重視されてる感もある)、「みんな仲間」「仲良くしましょう」ってスローガンを掲げるより、「まぁ気に入らない奴も多いと思うけどさ、お互いなるべく不快にならないように、なんとか1年乗り切っていこうよ」ってゆー方が、実践的じゃないかなぁ。

相性とか、性格が合う合わないとか、色々あるのに、「同じクラスの仲間なんだから仲良くしましょう」「仲良くして当たり前」ってゆーの、ストレスたまるだけってゆーか。

「ヤな奴とどう付き合うか」「いかに不快を少なくやっていくか」

結婚には「不快に耐え、不快を減じる能力」が必要だ、と内田センセがおっしゃっているけど、そーゆー能力を培うためにはまず、「それは不快だ」ということをちゃんと認めなくちゃいけない気がする。

で。

「離婚」の話の最後に出て来る一文がまた、素敵なのです。

「私にはこの人がよく分からない(でも好き)」という涼しい諦念のうちに踏みとどまることのできる人だけが愛の主体になりうるのである。 (P180)

第15回『想像力と倫理について』という個所にも、「分からない」ということが出てきます。

「人の身になって考えろ」とよく言うけど、そうそう人の身になんてなれるもんじゃないよね、と。

「すぐに人の身になれちゃう」とか、すぐに「おまえの気持ち、わかるよ」と「人のことわかった気になる」人とか、かえって信用できない。

だって、「自分の気持ち」だって、そうそうくっきりはっきりわかるもんじゃないでしょう。自分が本当は何をしたいのか、とか。同じ一つの出来事に対して、喜ぶ気持ちもある反面、ちょっと寂しくもあるな、と感じたり、そうそう「すぱっ!」といかないのが人間の心理というもの。

自分の気持ちでさえそうなのに、他人の気持ちがそう簡単にわかるはずもない。

私なんかひねくれ者ですから、「そう簡単にわかられてたまるか」と思いますし(笑)。

恋人同士が別れる時のセリフに、「おまえのことがわからなくなってきたよ」ってあるでしょ。彼氏にそう言われた女の子が「え!?今までわかってるつもりでいたわけ?」とドン引きする、って話を高校生の時に書いたのを思い出します。

別に経験談ではなく(笑)、想像で書いた話だったのだけど、それ読んだ友達が「ちょっとこれあたしの話じゃん!」って(爆)。

やっぱり「私にはこの人がよく分からない(でも好き)」、ってゆーのが一番いいんですよ。

「どうして私のこと好きなの?」って聞いて、「ん-、わかんない」って答えてもらうのがきっと一番ラブラブなの(笑)。

「みんな仲良く」よりも「不快な隣人とも共生できること」。

「わかりあえる」ことが重要なんじゃなくて、「わからなくてもうまくやっていける」こと。

第15回の最後の一文も、とっても素敵です。じーんと来る。

そして、「あとがき」、あるいは「生きることの愉しさ」について

「今の時代の若者のしんどさって何なのか」という質問に対する内田センセの答え。これも必読だと思う。

『他者と死者』の最後の方に書かれてあったことと通じてるんだけど、「死」という消失点の大事さ。

今の若い人たちに欠けているのは「生きる意欲」ではなく、実は「死への覚悟」なのである。「生きることの意味」が身にしみないのは、「死ぬことの意味」について考える習慣を失ってしまったからである。 (P242)

内田センセ、ホントに親切だなぁ。