2012年2月21日火曜日

罪と罰

光母子事件で被告の死刑が確定しました。

判決確定まで13年。いつもながら、裁判って長くかかるな、と思います。

「元少年」はもう30歳になってしまっているし、殺された赤ちゃんが生きていたらもう中学生です。

人一人、死刑になるかどうか、なのだから、ろくに審議せず1年くらいでパパっと決めてしまうのも問題でしょうけれど、殺された被害者の方はそんな猶予もなくあっさりと突然殺されてしまったわけで、「人一人の命」ってなぁ、と思わざるを得ません。

思えば色々なことが非対称です。

今回の裁判が紆余曲折で長引いたのは加害者が当時「少年」で、「少年に死刑適用はどうなのか」というところで判断が難しかった。

まだ若い「少年」には未来があって、「更正」の余地があって……云々。

殺された母子にはもう「未来」がないのに、殺した方には「未来」が許される。

「死刑」の是非はあっても、法律上もっとも重い罪を適用して当然なのではないか? たとえば17歳だから許されて、20歳だったら許されない、そこの線引きって何だろう? 15歳だったら、13歳だったら???

加害者が更正していい人になっても、殺された人は生き返らない。むしろうっかり「いい人」なんかになられたら、遺族としては怒りのやり場がなくて困っちゃうんじゃないのかな……。

更正できるぐらいなら、最初から「いい人」でいてくれれば良かったのに。どうして「悪い」時に、よりによって自分が、自分の家族が、出くわして、殺されなければならないのか。

その理不尽さは、加害者がどんな罰を受けても、受けなくても、変わらない。

許されて更正しても、死刑になっても、殺された人は生き返らない。

なんという非対称。

もちろん、だからこそ、「人を殺してはならない」んだろう。償えるわけがないから。どうしたって取り返しなんかつかないから。

 

「少年」だからとか、「責任能力」とか、あるいは「殺意の有無」とか。

殺意があろうとなかろうと、失われた命の重さに違いはない。たとえば交通事故だったら。たとえば尼崎の脱線事故だったら。いじめて自殺に追い込んだんだったら。

許される罪と許されない罪。問われる責任と問われない責任。

襲ったのが熊だったら。

問答無用で射殺されるだろう熊と、情状酌量される人間。

社会を営むために、どこかで線は引かなければならない。人間であればこそ、「理性」でもって対さなければならない。

殺人を犯すような時、たいていの加害者は「理性」を失っているだろう。一時的に理性を失ったことを、加害者は許される。でも被害者側は、理性を失ってはならない……。

非対称。

 
もしも被害者が若い女性と赤ちゃんじゃなかったら。

もしもお年寄りだったら。

私はこんなに関心を持っただろうか? 極刑であたりまえと思うだろうか?

もしも「少年」の罪は保護監督者の責任として親が代わりに死刑になるという制度ができたら、少年犯罪を助長するような「ひどい親」はいなくなるだろうか?

凶悪犯を生んだのは社会のせいなら、社会の全員が刑に服すべき?

 

同じように赤ちゃんが殺されても、加害者が「親」なら、別に死刑にならない。

それだって極刑でいいだろうと、私は思うけど。

2 件のコメント:

  1.  本当に13年は長いですよね。
     ひゅうがさんはご存知かどうか覚えていませんが、僕は特にこの事件には思い入れが有ります。 過去、色々と取り上げて記事を書いていて、叩かれたりしたということも有りましたし・・・
     もし亡くなられた娘さんが生きていれば我々の長男と同じ中学1年生でしょう。 事件当時、我が家の長男も乳飲み子だったことも有り、必要以上に憎悪を覚えた事件だったのでは無いかと思っています。
     本当は昨夜、記事を書きたかったのですが、ちょっと元気が出なくて書きませんでした。 書きたい記事はいくつも有るので、できれば今週中にでも書きたいなあと思っています。

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  2. ��ちゃんちゃん様
    そう、殺されたお嬢さんは生きていればうちの子達と同じ、中学1年生なんですよねぇ。
    ちょうど判決が出た日に息子は「雪合戦してて遅くなった!」って帰ってきて、殺された彼女にもこんな風に部活やら雪合戦やら初恋やら、楽しい中学生活があったんだろうなぁ…と思ったりして。
    改めて、「もしこの子を奪われたりしたら」という恐怖を感じてしまいました。
    もし自分が遺族だったら、死刑どころか、生きながら生皮を剥ぐとか、神話のプロメテウスのように永遠に生きながら鷹に体をついばまれ続けるとか、それぐらいでないと到底気持ちが治まらないんじゃないかと。
    実際には、怒りや憎しみ以上に虚しさ、やりきれなさが強いのかもしれないけれど……。
    「この判決に勝者はない。事件が起きた時点でみんな敗者だ」という本村さんの言葉が印象的でした。

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