2013年8月20日火曜日

『スペードの女王・ベールキン物語』/プーシキン



先日、NHK-BSで宝塚の懐かしい舞台『冬の嵐~ペテルブルクに死す~』を見ました。

ヤンさん(安寿ミラ)トップ時代の花組公演。もちろんリアルタイムで大劇場で観ています。『スペードの女王』を舞台化した作品だったのですが、当時は「暗いなー、よくわからないなー」と思って、そんなにも好きではありませんでした。

二十年ほど経って改めて観てみて、やっぱり暗いし、宝塚向きとは言えないストーリーなのですが、ヤンさんのヘルマンは凄みがあり、美しく、宝塚的でないゆえに実験的で面白いな、と思いました。

伯爵夫人役の美月亜優さんとか、当時の花組の皆さんが非常に懐かしかったですし。

青年士官ヘルマンが伯爵夫人が知っているという「カードの勝負で絶対に勝つ秘法」を知ろうとして彼女を死なせてしまい、夢の中でその秘法を伝授されるけれど最後には……というお話。

伯爵夫人に近づくためその養い子であるリザヴェータに恋を仕掛ける、という部分で、リザヴェータの扱いが原作と宝塚とで異なっています。

解説によると、宝塚版のリザヴェータ及びヘルマンの結末は、チャイコフスキーによってオペラ化された方を下敷きにしているようです。

たった62ページの短い作品で、ある程度ストーリーを知ってしまってから読むとなんだか拍子抜けするぐらい呆気なく終わってしまうのですけど、逆に言えば「たった62ページの中に凝縮されている」とも言えて、なんとも不思議な味わいの作品です。

どうしてプーシキンはこんな話を――特にあの終局を思いついたのか。

素直に読めば、「一」ではなく「女王」が出て来たのはヘルマンの罪の意識の現れかと思うし、直接手を下したのではないにせよ、伯爵夫人を死なせることになり、また、夢の中で彼女が「リザヴェータと結婚するなら許す」と言ったのに、そうしなかったために罰を受けた……ということに思える。

「夢のお告げ」というところからしてもう「幻影」「妄想」なわけで、その夢自体がすでにヘルマンの「罪の意識」の産物なのかもしれない。

そのお告げのおかげで途中までカードにバカ勝ちするわけで、もしもそれが「妄想」なら「なぜそれで勝てたのか」ってことにもなるけど、まぁ、そこはあまり突っ込むのも野暮というかなぁ。

幻想と現実が危うく交錯する、というのがこの作品の魅力なんでしょうから。

一方「ベールキン物語」の方はもう少し現実的。

タイトルだけ見ると「ベールキン」という人間の一生を描いた作品のように思いますがそうではなく。

「ベールキンという人物が書いた短編集」という形で発表されたのですね。当時の色々な状況から、プーシキンはこの短編集を匿名で発表しようとし、ただ「名前を隠す」だけでなく、「ベールキンという人物が書いたもの」という体裁にしたのです。

まぁ、当時から「プーシキンが書いたんだろ」っていうのはバレてたらしいんですが。

発表当初、この短編集は酷評されたそうです。

解説に、

「なかで『駅長』だけはどうやら、人情に頷かれる個所が若干ある。『葬儀屋』という滑稽談もおもしろい。のこる『その一発』や『吹雪』や『百姓令嬢』に至っては、詩的にしろ浪漫的にしろさっぱり有りそうもない絵空ごとだ」

と、当時の評が引かれています。

うーん、なるほど。

確かに私も『駅長』が一番こう、じーんと来たなぁ、と思いましたが。

他の4篇も面白かったです。『その一発』は決闘の話ですが、プーシキン自身が同じような経験をしており、また、決闘で亡くなったと知るとなおさら「へぇぇ」と面白みが増します。

プーシキンって、決闘で、わずか37歳で亡くなっているのですね。

国民的詩人であり、ロシア散文の礎を築いたと言われる文学青年が決闘で死ぬ……まさに詩的であり浪漫だけど、もったいないですよね。長生きしていればもっともっと作品を遺したのでしょうに。まぁ、わからないといえばわからないことではありますが……。

『吹雪』は最後に「え!?」というどんでん返しがあり、前半に出て来る青年が可哀想すぎて「うわぁ」と思います。彼はただの「話の枕」に過ぎなかったのか、と。

絵空事かもしれないけど、人生って実際こんなふうに、思いがけない偶然に支配されているものなのじゃないかなぁ。その日たまたま雨だったから、たまたま早く起きてたまたま1本早い電車に乗ったから……。そんな他愛ないことで、出会ったり別れたり、あるいは事故に遭ってしまったり。

『ベールキン物語』が酷評された一方、その3年後に発表された『スペードの女王』は拍手喝采だったそうで、『スペードの女王』の方がさらに「有りそうもない絵空事」のような気がするんだけど、どうなんですか、当時のロシアの皆さん(笑)。

文学作品の評価って、よくわかりませんね。

プーシキンは19世紀前半の人で、この岩波文庫の翻訳は『スペードの女王』が昭和8年、『ベールキン物語』が昭和14年のもの。

昭和8年って!

ちょうど80年前。うちの父親さえまだ生まれていないわ…。

でも別に読みにくいことはまったくないです。もちろん語彙や言い回しは多少古めかしいですが、もともとのプーシキンの文体が「簡潔」なのもあいまって、さくさくと読めます。

『失われた時を求めて』のあの冗長な文章に比べたらあなた。

新しい訳でも原文がだらだらだったら読みにくいわけで、古い訳だから悪いとかそういうことはありませんねぇ、うん。

原作は150年以上前の作品なわけですし、少し古めかしいぐらいの言葉使いの方が、よりよく「雰囲気」を表すような気もします。


同じく宝塚で『黒い瞳』として舞台化された『大尉の娘』や、ロシア文学を読んでいるとやたらに言及される『オネーギン』も読んでみたくなりました。

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