2015年2月6日金曜日

『PSYCHO-PASS ASYLUM 2』/吉上亮



(『PSYCHO-PASS ASYLUM 1』の感想はこちら

昨年の11月に発売になった『PSYCHO-PASS』のスピンオフ小説第2弾。買ってはあったものの積ん読で、やっと読みました。なんとなく、覚悟がいるんですよねぇ。1冊目の「無窮花」みたいに暴力全開だったらヤだなぁ、また読むと色相が濁る系だったら……と。

幸い2冊目は「無窮花」ほどツラくありませんでした。

今回もお話は2つ。六合塚弥生ちゃんと唐之杜志恩先生をフィーチャーした『About a Girl』と宜野さんをフィーチャーした『別離』。

しかしなんだって『PSYCHO-PASS』世界の住人はこんなに苗字が難しいんでしょうか。シビュラの趣味!?(笑)

まずは『About a Girl』から。

弥生ちゃんと志恩先生がベッドをともにしているという描写はテレビでも出てきたので今さら驚きませんが、二人が真剣に愛し合ってるというのはちょっと意外でした。なんというか、もっとドライな関係だと思ってたんですよねぇ。「体だけ」とは言わないまでも、執行官や分析官として犯罪に向き合う日々のストレスを解消するための付き合いというか……。

二人とも潜在犯だから一般市民と関係を持つということはできにくいだろうし、志恩先生は以前咬噛さんにも「あなたと寝ておくべきだったかしら」とか言ってたし、特定の一人に心を捧げるようなタイプじゃないと思ってた。

それが真剣に弥生ちゃんLOVEで。

まぁ、普段おちゃらけて見せているからって、内心までそうとは限らないわけで、表層を裏切る深い愛情っていうのはそれはそれで志恩先生らしいのかもしれない。

私としてはもっとドライな人でいてほしかったけれど。

弥生ちゃんに関してはそんなに「先入観」がなかったので、「ああ、そうなんだ、本気なんだ……へぇ……」ぐらいかな(笑)。

お話の比重は弥生ちゃんの方により多くあります。TVでも描かれた弥生ちゃんの過去。シビュラ公認のギタリストだったのに、とある非公認アーティストに惹かれていったがために潜在犯に身を落とした。そして、執行官になるきっかけも、その非公認アーティスト滝崎リナだった。

反シビュラのレジスタントとなっていたリナ。あの時は引き金を引けなかった弥生ちゃん。再び彼女が犯罪者として目の前に現れた時、弥生ちゃんは今度こそドミネーターの引き金を引けるのか――。

シビュラと「芸術」というテーマが一つ、そしてシビュラ社会における「家庭」の問題。特に「家庭内暴力」や「児童虐待」の問題。

親の色相維持(ストレス発散)のために暴力や性的虐待を受ける子ども達。その被害のために色相が悪化した子ども達は、潜在犯として隔離されるしかない。暴力からは救われても、社会からは弾き出される。虐待の結果そのお腹に宿った小さな命たちも、存在を許されることはなく。

シビュラは個々の家庭の問題にまでは踏み込まない。なぜなら「家庭」はシビュラの指揮のもと、最適な相性を保障されたカップルによってのみ築かれるもので、理論上トラブルは起こりえないからだ。

……「個々の家庭の中には踏み込まない」って、別にシビュラ社会じゃなくても、今でもそうだよね。家の中の暴力は見えにくくて、たとえ見えても「子どもは親と一緒にいるのが一番」という常識のもとに放置されてしまう。救い出されずに、殺されてしまう……。

この『About a Girl』という作品の中で、主役はむしろ未来という女の子。とある組織に殺されかかったものの九死に一生を得て、自ら公安に赴き、捜査に協力する。そうして過去の激しい虐待の記憶と向き合い、自分の赤ん坊を取り戻そうと戦い、前を向いて歩いていこうとする。

すごいなー、と思う。強いなー、って。

殺されかけて、それでも「生きよう」と頑張ったところがまずすごいし、そこで「公安に行く」と判断したところがすごい。

「天は自ら助くる者を助く」って言うけど、「助けて!」と声を上げなければ、自らも戦う覚悟を持たなければ、助かることはできないっていうかなぁ……。

結局、「強ければ生き、弱ければ死ぬ」なのか、と思ったりもして。

弥生ちゃんや朱ちゃんに出会って「助かった」未来は、

「この社会は、わたしたちを救ってくれなかった。だけど、わたしたちを救ってくれるひとがいた。社会はひとを救ってくれない。ただ、ひとがひとを救うだけで」 (P198)

と言う。

シビュラ社会であろうとなかろうと、どんな世の中でも、ひとを救えるのはひとだけだろう。それは、確かにそう思う。

でもそのために、ひとりひとりが強くならなきゃいけないのはしんどいなって、劇場版を見た時と同じことも感じる。

後半、『別離』はギノさんのお話。

まだ咬噛さんが監視官で、TVシリーズが始まった時には既に死んでいた佐々山さんが執行官として健在、征陸のとっつぁんも元気な頃。

つまり、ギノさんがまだ「父親へのトラウマを抱えたお堅すぎる神経質な監視官」だった頃。

なんか、懐かしいね。メガネをはずし、「俺は妥協を覚えた」と言えるようになったギノさんに接してしまった今では、固い殻で自分を守っていた頃のギノさんは何ともくすぐったい。

色相が濁らぬよう定期的にセラピーを受け、サイコパスケア薬剤が欠かせなかったギノさん。

征陸さんとのツンケンしたやりとりも懐かしく。

TV見てた時、かなりお話が進むまで二人の関係に気づかなくて。

今改めて二人のやりとりを読むと、ほんとにせつない親子だと思う。

扱われる事件にも、「潜在犯の子ども」は重要なファクターになっている。犯罪係数は遺伝するわけじゃない。それでも、潜在犯として親が隔離されてしまった子どもたちは親戚の間をたらい回しにされ、結局は孤児院に入るしかない。養い親など見つかるはずもなく、自身も色相を悪化させていくか、そうならないまでも希望のない人生を歩むしかない。

「君たち未成年者は法の庇護の下で義務教育修了までの間、最低限度の生活を営む権利が保障されている」
「――言葉って空虚だな。現実は違う」
 (P306)

見捨てられ救われない子ども、っていうの、前半の『About a Girl』にも通じるものがあります。どんな理想的なシステムを作っても、やっぱり悲劇は生まれて、そしてその悲劇はやっぱり弱い者に――子ども達に押しつけられる。

『About a Girl』では「自身の色相維持のために自分の子どもを虐待する親」が出てきて、こちらでは「社会からは厄介者と見なされ居場所をなくした潜在犯の子どもを快楽のために嬲る大人」が出てくる。

なんだかなぁ。

それは「ひどいこと」で、「色相が濁る」はずの行為なのに、それをすることで逆に「精神のバランスが保たれる」っていうのが。

人間という生き物の持つ深い闇。

「犯罪者の家族」に対する世間の目っていうのは、シビュラ社会でなくても厳しいものだし。


学生時代から仲が良かったギノさんと咬噛さん。咬噛さんは

いわゆる天才で、非の打ち所がなかった。恵まれた体格に優れた運動神経。趣味の読書によって知識も膨大で、そのくせ、気難しい宜野座とも上手くやれるほどコミュニケーション能力にも長けていた。 (P259)

と描写されてます。

えーーーーーー、何その超絶スペック。

刑事として頭がいいのは知ってたけど、「教育課程の最終考査で全国一位の成績」とか、学校の勉強的にも優秀で、運動もできて顔も良くて性格もいいとか反則だろそれ。

ずるい。

改めてずるすぎるぞ、咬噛さん。

不器用なギノさんの方が好感持てるというものです。がんばれギノさんっ!

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