2016年10月5日水曜日

『恐怖の冥路』/コーネル・ウールリッチ



1944年に発表されたブラック・シリーズの5冊目です。邦題には「黒」という言葉が入っていませんが、原題は「The Black Path of Fear」です。

「恐怖の黒い小径」と直訳するのはちょっとあれですし、舞台となるハバナの「迷路」のような貧民街と引っかけての「冥路」というタイトルは巧いなぁ、と思います。

ただ、「恐怖の冥路」っていうとミステリーというよりはホラーぽいイメージですね。ググると

“fear は「恐怖」を表わす最も一般的な語で,懸念や通例勇気のなさを暗示する; dread は懸念と嫌悪の感情を示すほかに「人・事に直面することに対する極度の恐怖」を表わす; fright は突然ぎょっとするような恐怖; terror は極度の恐怖; horror は嫌悪感や反感などを伴った恐怖”

と出てきて、怖いのは怖いでも、ホラーやスプラッタな怖さではなく、「勇気のなさ」「びくびくしている」っぽい怖さのようです。……だからってどんな邦題にしたらしっくり来るのか思いつきませんが(^^;)

さて、物語は――。

アメリカからハバナへ、恋人イヴとともに逃げてきたビル。ナイトクラブのオーナーという、言わば「ヤクザ者」からイヴを奪っていわば「駆け落ち」してきたのだ。海の向こうまで逃げられればきっと、という二人の願いはむなしく、ハバナに着いたその日の晩に、イヴは何者かに刺し殺されてしまう。

そしてビルはその容疑者に。イヴの息の根を止めたナイフは、ビルがハバナの骨董屋で買ってポケットに入れていたものだったのだ。

警察署へ連行される途中でどうにか逃げ出したビルは事の真相を暴き、イヴの仇を討とうとするが……。

まず、この「ナイフ」の件が面白い。「見ざる・言わざる・聞かざる」をモチーフにしたナイフなのですよ。3本一組になっていて、ビルが買ったのは「聞かざる」だったのですが、イヴを殺したのは「見ざる」のナイフ。ビルは「だから犯人は僕じゃない」と言い張るのですが、領収書には「見ざる」と書いてあるし、骨董屋の主人も「この方が買ったのは“見ざる”のナイフです」と証言する。

まー、手の込んだ罠に違いないのですが、ビルの方にはそれを「嘘だ!」と証明する証拠が何にもない。

だからとりあえず警察の手から逃れたものの、着いたばかりで土地勘のないビルにはどうしようもなかったりしたのですが(しかもビルはスペイン語がわからないときている)。

現れ出でたる救世主。いや、女神様。

警察に追われてたまたま逃げこんだドアの向こうに、女がいたのですね。「警察には恨みがあるから、連中の鼻を明かしてやれるんなら誰の味方にだってなる」といううってつけの女。前科持ちで、ビルよりずっと“そっちの世界”に親しんでいて、度胸も頭の良さも持ち合わせた、「そんなうまい具合に」と言いたくなるような女です。

英語喋れるし。

でもこの、ビルに「ミドナイト」という呼び名を付けられる女が、いいのですよねぇ。

「お礼なんか言わなくていいのよ、どうせ墓場の花なんだもの」 (P80)

彼女は自分を「墓場の花」にたとえます。

「ちょっと説明しにくいけど……。たぶんあたしは、二度と会えない人につくしてあげる癖があるのね。あたしの生き方は、それしかないのよ。ほかの生き方を知らないの」 (P78)

ちょっと理解しにくいけど…(笑)、お墓に手向けられた花、ということなんでしょうか。特に故人と関係がなくても、そこがお墓ならちょっと手を合わせたり、花を供えたりする。あるいは、寂しい墓地に、やっぱり寂しく咲いている雑草の花なのか。

人の生き死にを、ただ見ている花。死者の園をわずかに彩り、いっそう無常を思わせるだけの――。

ともあれ、ミドナイトの協力を得て、ビルは復讐への道を歩き始めます。

たった一晩の出来事。最後の場面まで含めても、たった三日ほどの。

なんて濃密な時間なんでしょう。『暁の死線』でも、知り合ってから真相究明してバスに乗るまでのタイムリミットがほんの数時間、みたいな無茶さでしたが。

『暁の死線』ではゆきずりの二人が一緒に未来へのバスに乗り込みますが、この『恐怖の冥路』では事件が終わればビルとミドナイトは別々の道を行きます。ミドナイトは「墓場の花」、二度と会わないゆきずりの相手だからこそ、親身にもなれる……。

ラストの一文が素敵です。本当に寂しくて。

お話の構造としてはこれ、ハードボイルド小説でもいいんですよね。復讐相手はヤクザ者だし、罠にはめられた男が逆境をものともせずにそのタフさと執念で復讐を果たす、そこにゆきずりの美女が絡んで……みたいな。

ところがウールリッチが書くと全然そうはならない。なんだかとてもセンチメンタルな物語になっちゃう。ビルはまったくタフガイじゃなくて(逃げる時に警官を投げ飛ばしたり、それなりに活劇はするけど)どっちかというとヘタレっぽい、ウールリッチお得意の「平凡な貧しい青年」でしかない。

面白いなぁ、と思います。

他のブラックシリーズと違ってエピソードを連ねる手法ではなく、「一つのお話」になっているのもいい。……正直これまでのブラック・シリーズ、どれがどの話だったっけ?って感じになっちゃってるので(^^;)

「墓場の花」ミドナイトの魅力と、「ハードボイルドでもいいのにそうならない」ウールリッチならではの雰囲気。

うん、これ、好きです。

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