この間Gacktさんのライブパンフレット
を整理しようとして、出て来た尾崎豊
のコンサートチケット。
ひえ〜、懐かしい〜。
っていうか、まだ持っていることを
すっかり忘れていたので、
「あ、捨ててなかったんだ」と思って
驚いた。

1985年、夏
今はなき大阪球場
私はえーと、高校2年生かな。

1年の誕生日の時に友だちに
『17歳の地図』のテープをもらって、
クラブの先輩に『回帰線』をダビング
してもらって、家で聞いてたら母親も
「いいね〜」とファンになり。

コンサートがある、と知って母親が
「行かな!」とお金を出してくれた。
2人で三番街のプレイガイドに並びに
行ったことを覚えてる。
よくまぁ手に入ったもんだよね、今に
して思えば。
この間チケットを見つけて
「2500円」って書いてあるのに
すごい驚いたけど。安っ!!
そんなもんだったのかなぁ。
当時は宝塚のS席もそれぐらいだったっけ?

肝心のコンサートのことは実のところ
あんまり覚えていない。
音がすごかったのと、本人は小さくて
あまり見えないから、スタンドの下の
方にあったテレビ画面を見てたのと、
アンコールが『シェリー』だったこと。

なにせ私は『シェリー』が一番好き
だったので、「まだかな、まだかな」
と思っていたんだ。
『シェリー』を聞かなきゃ帰れないぞ、
と思って。

自由とか真実とかいう言葉にめちゃ
めちゃ弱い高校生だった。
今でも『シェリー』は時々熱唱したく
なる(笑)。
「おまえの生き方はそれでいいのか?」
って。

もし高校生の自分が今の私を見たら、
きっとがっかりするに違いないけど、
でも意外と間違ってない気もするし、
社会と折り合いをつけて丸くなった
部分も、まだまだ「けっ!」って
思ってる部分も、やっぱり自分だから。

きっとずっと試行錯誤して、
ずっとあがいて、
答えなんかないのが人生だと思う。

きっと、
あがき続けることこそが。

尾崎豊が死んだ時、なんとなく、
彼はうまく大人になれなかったのかな、
って思った。本当は少しぐらい、丸く
なりたかったんじゃないかな。
いつまでも「青春の苦悩」とか「社会
への反発」ばかりは歌っていられな
かったんじゃないかって。

周りの期待する“尾崎豊”と、生身の
“尾崎豊”とがうまく摺り合わせられ
なくて、それで死んじゃったんじゃない
かな。
別に、「自殺」という意味じゃなくて、
神様が「大人の尾崎豊」「40代の尾崎豊」
というものを用意できなかったというか。

ま、素人の勝手な想像だけど。

色々なことを思い出し、
色々なことを考えさせられる曲です。