昨日、「いつ『ナルニア』見に
行こうか」というエントリを書いた
のだけど。

原作の方はそれなりに面白そうに
読んでいた息子、「映画行く?」
と聞いても「ううん」とつれない。

『ナルニア』に限らず、彼は
あまり「映像化」されたものが好き
ではないらしい。
一時期めちゃくちゃはまっていた
『るろうに剣心』(幼稚園児がそんな
もんにはまるなよ〜)も、アニメは
見たくない、と言って見ようと
しなかった。(せっかくビデオ借りて
きたのに……)

『かいけつゾロリ』も大好きなのに、
テレビアニメは見ていないし、
ちょうど今週末から始まる映画も見に
行く気は全然ないらしい。

唯一例外は『忍タマ』で、あれは
アニメも原作も両方好きなんだな。
『ポケモン』はアニメだけで、
もともと原作があるわけじゃないから
ちょっと違う。
『ポケモン』だけは映画も見に行っ
てるけど、あの映画館の暗い、独特な
空間を、実はちょっと怖がっている
ような気もする。

去年の夏の『ポケモン』映画では、
サトシたちが死んじゃったように
思える場面で号泣して怖がっていた。

映像というのは迫力があって、
直接的な刺激になるものだから、
例えば同じ戦いのシーンでも、
文章で読むのとは全然違う。
マンガだとかなり視覚的に怖ろしく
描けるけど、それでもコマとコマ
の間にはこっちの想像の余地があって、
音だって読む方が勝手に頭の中で
作る音しかない。

何より映像は向こうの都合でどんどん
流れていくけど、本やマンガはこっち
のペースで次へ進むことができる。

なんとなく、息子はそういうところで、
知っているお話の「映像化」を敬遠
しているのかもしれない、と思う。

そしてそれはとても正しいことの
ような気がする。
あんまり小さい頃から「映像」に
馴れてしまうと、自分の頭で想像する
ことができなくなってしまうんじゃ
ないだろうか。

自分で物語をふくらませて、
楽しむということ。


昔、『ジュラシック・パーク』の
映画を見た時、「原作の方がずっと
怖い」と思った。
迫ってくる恐竜の映像は確かに迫力
満点で、怖いんだけれど、原作の
方がずっと精神的に追いつめられてく
感じがして、怖かった。
「見る」ということは、やっぱり
どこか第三者として見ているわけで、
どんなに恐竜に追い回されても、
危ない目に会ってるのは自分じゃなくて
スクリーンの中の人間だ。
でも「読んでる」と、まるでほんとに
ひたひたとヴェロキラプトルが後ろに
近づいてくるような気がするんだよなぁ。

ま、そんなわけで。
明日は『Z』見に行きます。
(……って、話つながってないじゃん!?)