この間、「孫を代理出産」というニュースがあった。
その前には、向井亜紀さんところの代理出産で生まれた子どもたちを法律的にどうしましょう、というニュースがあって。
そんなに子どもって欲しいものなんだなぁ。
というか、「血の繋がった」子どもが欲しいものなんだなぁ。
私は子どもを産んでしまったので、何を言っても、「産める人にはわからない」となってしまうんだろうけれども、産む前は、別に子ども好きではなかったので、積極的に欲しいと思ったことは一度もなかった。
むしろ「欲しくない」と思っていた。
子どもの時は、自分が結婚する、というのもピンと来なくて、「嫁にもらってくれる人なんかいるかなぁ」と思っていたし、自分も子どもなのに、「子どもなんて騒がしくて面倒なだけ」と思っていたので、「保母さんになりたい」とか「お母さんになりたい」というクラスメイトを、「バカじゃないか」と思ったりしていた。
めでたく嫁にもらっていただいてからも、「できれば産まずに済ませたい」と思っていた。とても自分に「お母さん」が務まるとは思えなかったから。
「二人の愛の結晶が欲しい」とか、「あなたの子どもが産みたい」とか、思うもんなんですか??
「動物」としては、まぁ「子孫を残す」「自分の遺伝子を残す」が生まれてきた最大の目標だろうから、「子どもが欲しい」と思う方が正常なのかもしれないけど。
もちろん、「別にいらない」と思っていた私でも、産んでみたら子どもは可愛い。大事だし、彼のおかげで私の人生は確実に楽しくなっていると思える。
でも彼が可愛いのは、私と夫の遺伝子を受け継いでるからなんだろうか?
「40年以上前に産院で取り違えられていたことが今頃わかった」というようなニュースもあって、そーゆー場合、「実の両親」がわかったからって、40年間の家族関係をすっかり反故にしてしまえるとはやっぱり思いがたい。
基本的に、父親は「それが自分の遺伝子を持った子かどうか」はわからない。そうであろう、と奥さんの誠実さを信じているだけである。
母親は、まぁ「お腹を痛めてる」から、とりあえず自分の卵から発生した子どもであることは、普通間違いがない(が、取り違え、ということがある……)。
たとえば、SFみたいに「人工子宮」というものができて、お母さんはみんな面倒な「妊娠期間」なんてものにかかずらう必要がなくなり、命がけでうんうんうなって出産する必要もなくなり、「これがあなた方の子です。はいどうぞ」と渡される時代になったとしたら、「それが自分達の子である」というのは科学的な分析によってしかわからない(←まぁ、お腹から産んでも厳密にはそうなんだが)。
それこそ取り違えなんか、簡単に起こりそうだ。
私は自分の親も大好きだし、子どもも可愛いし、なんか矛盾しているかもしれないのだけど、「そうまでして血が繋がっていなくてはならない」ということに対して、なんとなくひっかかりを感じてしまうのだった。
社会・政治
2 Comments
ひゅうがさんの言いたいこと,解る。女性の「子供を生みたい」願望って,半分は「種の継続」という動物的本能からきているんだけろうけど,半分は「社会的&後天的」な思い込みもあると思う。・・・というと御幣があるかな?要するに「そうあるべきだ」という無意識下のうちに刷り込まれた思想というか・・・いや別にそんなに難解な表現せんでもいいのだけど(苦笑)私も若〜い時は「子供は3人くらい欲しい」とか思ったこともあるけど,別にめちゃめちゃ子供好きでもなく,今思えばそれは単に「結婚したら出現するであろう家庭」の想像図であっただけなんだよね。その後,年齢や社会経験を重ねてそれなりに自己(自我?笑)を確率した今となっては,仮にこの先結婚しても子供を熱望するとは言い切れないなぁ。ただ,子供を生まなければ私が持っている遺伝子はそこで途絶えるのか・・・という思いと,私の妙な性格の何パーセントくらいが遺伝子として子供に伝わるのか?という興味はあるけど,それだけの理由で安易に子供を産める世の中でもないしねぇ。
返信削除��an-an様早速のコメントありがとうございます。しかも「言いたいこと解る」と書いていただいて嬉しいです。「子ども欲しいのに授からない」人にとっては、すごーくむかつく文章だろうなぁ、と書きながら思っていたので。でも「子どもが欲しい」っていうの、ホントに「周囲からのプレッシャー」も大きいと思うんだよね。結婚したら自動的に「お子さんは?」って聞かれるし、「早く孫の顔を」って絶対あると思うし。やっぱりじーちゃんばーちゃんも、「それが自分と血の繋がった子どもだから可愛い」のかなぁ。自分と似たところ、息子や娘と似たところを発見して楽しむ、みたいな……。私も息子がずーっと独身だったら「早く嫁さんを」とせっついて、結婚したら結婚したで「早く孫の顔を」と言ってしまうんだろうか。うーん。
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