突然ですが、ノストラダムスです。

私は子どもの頃からずっと「自分が死ぬ」というのがとても怖くてたまらなかった。幼稚園ぐらいの時、何の脈絡もなく突然「死にたくない!」と泣きだして親をびっくりさせたことがある。
別に、親戚や近所で不幸があったわけでもないので、なんでそんなに「死」を意識していたのか、謎なんだけれど。

小学校低学年の頃には、ノストラダムスが大はやり。
テレビで特番が組まれて、やれ惑星直列だグランドクロスだと言って「1999年地球滅亡説」を煽っていた。

うっかりその番組を見てしまった私はまたぞろ怖くて泣きだすのであるが。
母親は、「ええやん、自分だけやのうてみんな死ぬんやから」という妙な慰め方をしてくれた。
まぁそりゃあ、言われてみればそうなので、自分も含め地球が全滅してしまうのと、自分だけたった一人生き残るのだったら、後者の方がきっとよほど怖ろしいだろう。

しかし、みんな仲良く全滅できるとしても、やっぱり、自分がこの世からいなくなって「無」になるというのは、とっても怖ろしくて、「どうすれば死なないですむんだろう」と思ったりしていた。

もうちょっと大きくなると、死ぬのが怖い反面、「1999年で世界が終わっちゃうんだったら、それ以後のことは考えなくていいから楽だな」と思うようになった。
1999年だと、私は30ぐらい。
中学生にとって、「30の自分」というのはまったく想像できない。「50の自分」とか「70の自分」とかいうのは、もう全然、「知ったこっちゃない」である。

そもそも大人になんかなりたくなかったし、老いさらばえてボケボケの婆さんになるぐらいなら、30で世界が滅亡してくれた方が助かるな、なんて思った。
当時から小説家になりたかったから、20ぐらいでデビューしたら10年は活動できるとか、けっこう本気で考えていたりしたものだ。
(滅亡までに事故や病気で死んでしまうとは、不思議と考えないものである)

さらに大きくなって、90年代ぐらいになると、なんかヤなことがあっても、「どうせあと9年で全部チャラだ」と慰めてみたり。

そう思いながら95年に結婚して98年に子どもまで生むんだから、まぁ私の考えというのもテキトーというか行き当たりばったりというか……。

高校生ぐらいの時に、図書館で「ノストラダムスなんか怖くない!」みたいなタイトルの本を見つけて、ぱらぱらめくったことがあった。
「1999年に地球が滅亡するんだったら、赤ちゃんを産むのはやめた方がいいでしょうか」という相談が、著者のところに来ていたらしい。

バカバカしいといえば、バカバカしい相談である。

別に、地球が滅亡しなくても、生後1年とか5年とか、短い生涯で終わってしまうことは多々考えられるわけで、どんな赤ちゃんも、遅かれ早かれ最後には死ぬ。
「今生んでも5年後にはどうせ死んじゃうんだから、生んだら可哀想だ」という発想は、ナンセンスだ。

幸か不幸か1999年以降も地球は存続していて、私も無事生き長らえている。