今、『アークエンジェル・プロトコル』という本を読んでいる。久々のハヤカワ文庫。書店でぱっと目について買う、というのも久しぶり。
とても面白い。
何の予備知識もなく勘で買った本が面白いと、とても嬉しい。

「SF」と「ミステリー」と「ファンタジー」が見事に融合した傑作で、ハヤカワ文庫SFに入っているのに、「アメリカ私立探偵作家クラブ賞受賞!」という帯がついている。
舞台が西暦2076年という近未来で、人々はインターネットがもっと進んで脳内レシーバーでやり取りする「リンク」というバーチャルな世界にかなり依存して生活している……。こーゆーところがSF。

でもって、何十年か前に「第3次世界大戦」というようなものが起こり、それを機に世の中が一気に「宗教的」になってしまっている。「世俗の権力があの悲惨な戦争を引き起こした」のだということで、国家は「政祭一致」みたいなことになってて、何らかの宗教団体に属していないと市民権も得られない、というような設定なのだ。

うーん、そうなのだろうか。
むしろ宗教が争いを生んでいるように、全然宗教的じゃない日本人には思えるのに、「宗教という精神的バックボーンを欠いた世俗の権力の暴走が世界を破滅させる」なのだろうか?

世界を救うにはやっぱり神様が必要なのか。
人間が、自分たちの意志と、自分たちで作った規律だけで平和裡に過ごしていくことって、無理なんだろうか。

毎日新聞で月一回ぐらい連載がある「中島岳志的アジア対談」の先月のテーマが、「右傾化する自分探し」(10月23日付夕刊)というものだった。
うろ覚えで申し訳ないけど、社会に参加しているという実感を持てない若者達は「大きな物語」を必要としていて、それが日本だったら「右翼」で、諸外国では「原理主義」になっている、というような話だった。

「自分」と「世界」とを結びつける「物語」が必要だ、ということはわからないではない。
神様がいなくて、この世界に生まれてきた意味なんか何もないと考えるのは、とても怖ろしいことではある。
結局のところ、この世で何をなし遂げようと、最後には“無”に帰す。天国なんかなくて、死んだらそれっきり、ただの“無”なのだと思うと、突然夜中に泣きだしてしまうぐらい怖い。

でも、それなのに、私は神様も、死後の世界も、やっぱり信じられない。

『アークエンジェル〜』の中で、ヒロインも、「もっと信仰心があったらよかったのに」というようなことを口にする。
もっと信じられたら、楽なんだろうな。