先週亡くなった、子どもの学校の先生のことについて、昨日少し話を聞くことができた。
もちろん、学校からではなくて、知り合いから。
PTA役員と、その先生のクラスの保護者には緊急に説明会があって、でもやっぱり死因については話がなかったので、「言わないということはやっぱり自殺なのか」と、その知り合いも思っていた。
子ども達に対しては、「命は大切に」って話と、「先生はこんなふうにがんばっていた」みたいな話で、保護者の方にも、何か子どもに聞かれたら先生を褒める方向で話してあげてください、みたいなことを言われたらしい。
まぁ、詳しい状況がさっぱりわからないので、そもそもが「自殺」ではないという可能性もあって、そのクラスの様子も、その先生のことも、私は全然知らないのだけど。
もしも本当に自殺だったんだとしたら、もっとちゃんと向き合わなくていいんだろうか。
別に、子どもたちに「君らがちゃんとしてなかったから先生は死んだんだ」と言う必要はないけど、「先生は悩んでたんだろうね。苦しかったんだろうね」ぐらいは、言ってもいいんじゃないのかなぁ。
子どもの自殺と、先生の自殺とではまた違うだろうけど、もしも子どもが死ぬってことがあった時に、ちゃんと向き合わせて、自分達の問題として考えさせてくれるのかな、と心配になってしまう。
今、子どもたちがたくさん死んでいて、ニュースや新聞では「死なないで!」「逃げていいんだよ!」というようなメッセージを流しているけど、肝心の、その原因を作っているであろう子どもたちに対する「いじめるな!」っていうメッセージは、あんまり出てこない。
なんだか、「死を選ぶ」方が悪いみたいだ。
加害者とされる子どもたちは、被害者が自分達のせいで死んだことに対して、どれくらい真剣に向き合っているんだろうか。
今、誰かをいじめている子達は、連日の報道を見て、何か感じるんだろうか?
自分達の罪とか責任ということに対する意識は、「命を大切に」なんていう通り一遍のお題目では育まれないんじゃないだろうか。
……ああ、今日も暗い。
社会・政治
2 Comments
お元気ですか?網走では、明日の最高気温は5度だそうで…。ストーブを点けています。そちらは、いかがですか? 突然、コメントに入りますが…。 いじめる側が悪いんだよね。 でも…親から愛されずに育った子供は…人を愛せない…傷つけることしかできなくなると、本で読んだことがある…。 だから、いじめた子供達ではなくて、その子供の親の顔が見たくなる…。「命を大切に」…言葉だけでは伝わらないよね?命の大切さを子供に伝えるには…どうすれば良いんだろうね?親や大人達が、誰かが亡くなったときに、どのぐらい悲しんでいるか、どのような行動をするのか…目の前にいる大人達の姿からしか伝わらない…。 心から、人の死を悼み、悲しんでいる姿や言葉…。 そして、温かい心から流れた涙…。 そして、日常生活の中での、家族に対する思いやりが 他者に対する思いやりを育むんだよね? 子供達の命を救えるのは…。 …愛情で一杯の親の温かい心と姿だけだよね…。
返信削除��なるみちゃんお久しぶり、コメントありがとう(*^_^*)網走は最高が5℃かぁ……寒いね〜。こちらはこの間最低が5℃でした。昼間は15℃くらいまで上がるんだけど、家でパソコンに向かっていると足元がとっても冷えるようになってきました。ところで。昨日もママ友とちょっとしゃべったんだけど、やっぱり色々な子どもたちの問題って、「大人」の側の問題だよね。いじめてる側というか、たとえば小学校だと立ち歩いたり乱暴したりして授業を妨害するような問題のある子の親って、絶対参観とか懇談会に顔出さなかったりするの……。もちろん、うちの子が「いじめる側」にならないとは言えないし、私がそんなに「いい親」かどうかもわからないんだけど、でもだからこそ、自分たちの学校でこういう哀しい事件が起こった時に、ちゃんと向き合って考えたいな、と思うのよね。
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