私は子どもの頃から日記を書いたり小説を書いたりしていて、書いたらすっとするから、あまり人に悩み事の相談をしたりはしない。
愚痴は、まぁ言ってると思うけど、たぶん「言う」より「書く」方が多いと思う。
書いて、言葉にしてるうちに冷静になるというか、客観的になるというか、自分の中でまとまってくるから、書いたら大体気が済む。
嫌なこととか、失敗したこととかも、育児日記やblogのネタになると思えば「これをどう面白く書こう?」というふうに考えられるので、あまり深く思い悩まない。
自分には悩みがないような気さえしてくる(笑)。
紙の日記はともかく、blogやサイトの育児日記は公開しているものだから、「読んでもらう」は一応の前提になっている。「読んでもらう」ために書くのなら、それは「誰かに話している」のと同じことで、結局「わかってもらいたがってるんでしょ?」ということにもなるのかもしれないけれど、私が「わかってほしい」と思って書いているのかどうかは不明である。
もちろんアクセス数が多くなってると嬉しいんだけど、でも根本のところは「書くと考えがまとまるし、気が済む」からだと思う。
「あ、自分はこう思ってたんだな」「こういう考え方もできるぞ」ということを発見するのが面白い。
「読んでもらう」を前提にすると、「どうすればより伝わるか」というところで言葉や文章を練るから、結果的に自分にも「よくわかる」ことになって、「こういうことか」がはっきりする。
……うーん、でもこの記事で「何をハッキリさせたかったのか」はまだよくわからない……(ああ、オチがつかない文章ってすっきりしない)。
日記・その他
2 Comments
大丈夫,私は解りましたよ,オチが(^^)私は日記(紙の)を書く習慣はないのだけど(世界三大三日坊主の一人なので),「書くことが好き」という点ではひゅうがさんと似ています。でもってブログに対するスタンスというのも,まさにひゅうがさんが書いている通り。確かに世間に公開しているから「読者を前提としている」はずなんだけど,かといって「私の言いたいことをわかってくれ!!」という強い意思があるわけでもない。だからタイトルが「自言自語(=ひとりごと)」だったりするんだけど(笑)基本的に,言葉をいじくって遊ぶのが好きで,そのために書いているような気がします。私にとってのブログは,自分の意見を表現するため(目的)というよりも,自分の意見を表現するという場を借りて言葉を使う(手段)なのかもしれないな〜。うまく分析できてるかどうか判らないけど,ひゅうがさんもそうなのではないでしょうか?
返信削除��an-an様わかっていただけましたか(笑)。ありがたいわ♪「書く」ことは、本当に楽しいよね〜。なんにも長続きしない私なんだけど、「書く」ことだけはずーっと飽きずに続いてる。ホントに、「生きることは書くことだ」って感じやもん。他のことは、「書く」ことのおまけというか、「書く」ために他のことをしてる、みたいなね。「表現」と「わかってもらう」とか「認めてもらう」とかいうのは、つながってるようで、つながってないような気がする。もしも世界に自分一人しかいなくなったら、絵を描いたり文章を書いたり、あるいは歌を歌ったり、そういう「表現」をしなくなるかっていうと、私だったらたとえ一人ぼっちでもやってるだろう、と思う。たとえ生まれてから一度も「他者」に出逢ったことがなくても、自分の感じたことを何らかの手段ではっきりさせたいと思うんじゃないかな。もちろん、それを分かち合い、伝えうる他者がいれば、ありがたいのだけど。
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