昨日は本当に風が強くて寒くて、滋賀では時折吹雪いていた。(今日もやばい)
大阪もやっぱり寒くて、風が強くて、時折みぞれのようなものがぱらぱらしていた。

春場所の会場である府立体育館の前で信号待ちをしている時、隣にいた年輩のご婦人が「今日は寒いですねぇ」と話しかけてきた。「ほんまですねぇ。今日は風が強いから」「大阪はあったかいと思って薄着してきたのに、都会の方が寒いんかもしれんねぇ」というような会話を、信号が変わるまでしていた。

そういえば何週間か前、やっぱりとても風が強くて冷たかった日、図書館のトイレで知らないご婦人に、「今日は寒いですねぇ」と話しかけられた。

思いがけず寒かったり暑かったりすると、人はついつい誰かとそのことを共有したくなるものなんだろうか。
図書館の時は、私がベンチコートみたいないかにも「防寒着」な格好をしていたので、それで「この人も寒がっている」と思われたのかなぁ、と相手の心理を想像してみたりした。

昔から、けっこうよく道を聞かれたり、「今何時ですか?」と聞かれたりする。
実家の近辺も、今住んでいるところも、あまり人が歩いていないので、「私」がどうこうではなく、単に「珍しくそこに歩いている人間」だから話しかけられるんだろうけれど。

子どもの時は、母親が待合室とかで全然知らないおばさんと話し始めるのが奇妙な感じだったけれど、最近はそうやって知らない人に「寒いですねぇ」と話しかけられるのが嫌じゃなくなった。
むしろ楽しいような気もする。
全然知らなくて、その後どこかで出逢ってもきっとわからないし、逢うこともないだろう人と、一瞬だけ、時間と場を共有する。
会話する。

まだ、こちらから「寒いですね」というふうに話しかけるのはあんまりできないんだけど、赤ちゃん連れの人だと「何か月ですか?」とかは、割と言えるようになった。
「可愛いですね」と目で会話するとか。

袖振り合うも他生の縁。