仕事が暇なのをいいことに、昨日も古い宝塚のビデオを漁ったりしてしまった未だ宝塚モードの私。
まさに「小人閑居して不善を為す」状態。
暇なんやったら換気扇の掃除でもしろよっ!

それはともかく。
私はここ数年はずーっと母親と宝塚を見に行っている。
学生の頃は一人で同じものを何回も見に行ったりしていた。
子どもが生まれる前は夫と一緒だったこともある。

しかしやはり「宝塚の友」は母親で、「あの時はああだったよね」「誰々は良かったよね」という話は、母が一番通じるのであった。
なので、お母ちゃんいーひんようになったら昔話できる人がおらへんくなるなぁ、とふと思った。

寂しいが、まぁ仕方がない。
今さら過去に戻って「宝塚友達」を作るわけにもいかんし、これからのために作るのも難しい。

大体が、一人で見る方が好きである。
見ている間は舞台というか、その世界に集中したいので、隣に誰かいると(特にあまり宝塚に詳しくないお初の友人とかがいると)気が散って楽しめない。

映画を見に行くのでもそうだけど、こっちから「行かへん?」と誘った場合、その映画を観ている最中隣で友達が楽しんでいるかどうかが気になる。
時間とお金を使わせている以上、その映画がつまらなかったら自分の責任のような気がしてしまうのである。

見終わってすぐ「良かったね!」とか「あそこがよくわかんなかった」とか感想を言い合えるのはいいのだが、肝心の見ている最中に集中できないのはつらい。

別々に見に行って、後で感想を言い合う、という方がありがたいような。

好きなものは共有したいが、よほど気心が知れていてその相手のことを無視して没頭してても平気、って関係じゃなかったら、好きなものを見る時に他人がいるのは邪魔である。

誰かといると、「相手を楽しませなければならない」という強迫観念を抱いてしまうのは、関西人の性(さが)だろうか……。