先日の梅田行きで私が『無駄遣い』したのは、トウコちゃん(安蘭けい)のDVD。『ベルばら・オスカル役替わり』と『龍星』。どちらも良かったのだけど、今日は『龍星』のお話。

サブタイトルが『闇を裂き天翔けよ、朕は皇帝なり』とまた長かったりするのですが、中国モノでございます。
トウコちゃんの役は、自分の名前も含め、すべての記憶を失った戦災孤児。金国の将軍の策略により、人質としてやってきた宋国の第二皇子と入れ替えられ、皇太子として宋に戻り、皇帝の座にまで就いてしまう。

が、そもそも人質として金に来た皇子は本物の皇子ではなく、実は宰相の息子だった。
第一皇子の地位を安泰にしたい皇后に命を狙われていた妾腹の第二皇子を守るために、赤ん坊の頃にすり替えられていたのだ。

“龍星”と名付けられたはずの本物の皇子は宰相の息子“霧英”として育ち、名もない孤児は途中から“龍星”として育つ。
龍星は金の将軍の手先として宋に戻り、霧英の方は宋の密偵として金に潜入し……。

主人公・龍星には、セリフが意外にない。
素性を明かすことのできない彼が、心を打ち明けられる相手が誰もいないため、皇太子として、また皇帝としてのセリフが主で、内心の孤独だとか苦悩は、歌や踊り、そして表情によって表現されるのみ。

まぁでもこの表情が、さすがにトウコちゃんで、眼光鋭くカッコイイのよねぇ。しかもすごくせつない。苦しい。
♪汚れるだけ汚れればいい 俺は俺だけに笑えればいい♪
♪本当の自分なんてどこにもない♪

第1幕の最後、皇帝に即位する時の覚悟のセリフ。
そして、第2幕の最後。

ずっと自分の素性を知らないでいた霧英が「自分こそ“本物の龍星”」と知り、また偽の龍星によって養父母たる宰相が無実の罪で殺されたことを知り、龍星を倒しに来る。
龍星は相手が“本物の龍星”であるがゆえに、「おまえにだけは負けたくない」「“龍星”という名は渡さない」と言う。

彼の野心は、皇帝の地位にではなく、“名前のある人生”にあった。初めて与えられた名が“龍星”であったために、ただその名を守ろうとしただけだった。
「誰かの代わりではなく、“誰か”になりたかった」。

霧英の剣に負け、死を覚悟する龍星を、妃と腹心の部下が助けに来る。「あなたは人の上に立つお方、生まれながらの皇帝なのです」という部下の言葉に、「もういいんだ。俺はおまえたちの思っているような人間じゃない」とついに素性を明かそうとする龍星。
しかし彼には「俺の本当の名は」と名のるべき名がなかった。

部下と妃は龍星を“真の皇帝”と信じたまま命を落とし、霧英も相討ちとなって死ぬ。
一人生き残ってしまった龍星は「天よ、我こそが龍星。朕は皇帝なり」と言って再び玉座に戻るのだ。
笑いながら、泣きながら。

いや〜、これ生で見てたら私大泣きしてたと思うわ。
ビデオで見てても泣けてくる。
生で見たかったぁ。(ちなみにこの作品は2005年秋シアタードラマシティ公演。再演はないでしょう)

龍星にとって“本当の自分”とは何だったのか。
また、“本当の龍星”である霧英は、もし無事に偽物を討ち果たしたら、「我こそ皇帝なり」と玉座に就いたんだろうか。
彼には、金に残してきた恋人がいる。
“霧英”として生きてきた日々を、彼は捨てるつもりではなかったろう。彼が本物の龍星であるということを知る人間はもうみんな死んでしまっているし、紋章入りの宝剣のような証拠品を持っているわけでもない。
“本物”として“偽物”を捨て置けず、また養父母の復讐を果たすために龍星を討とうとしたけれど、その際彼は“霧英”としか名乗らなかった。「俺こそ“龍星”」とは言っていないのだ。

名前は、その人の何を表すだろう。
自分が何者であるのかを決めるのは、一体何なのか。

最初は龍星を憎み、しかし最後には龍星を愛し、命を賭して彼を守った妃は、誰を愛したのだろう。もしも龍星の素性を知ったなら、彼女の愛は醒めてしまったのだろうか。
どんな名前であれ、たとえ元は名もない孤児であっても、皇帝として振る舞えるだけの器と、そして彼女への深い愛を持った男を、彼女は“偽物”として斥けることができただろうか。

本当も嘘もない。
ただ、“私”がいるだけだ。