「隙あらば読む」を実践してどんどんと読み進んでいる『ローマ人の物語』。カエサルも死んでしまい、今は初代皇帝アウグストゥスの巻『パクス・ロマーナ』を読んでいる。
わずか17歳だか18歳だかでカエサルの後継者に指名されてしまった美少年のアウグストゥス(当時はオクタヴィアヌス)君は、これがまたまたすごい子で、よくこんなに頭が回るなぁと感心してしまうほど色々な政策を実現して、帝政の基礎を築く。

夕べ読んだところに、「少子対策」のことが出ていた。
当時(紀元前1世紀末)のローマの富裕層では独身を謳歌する者が増えて、他人種・他民族に比べて著しくその数が減ってしまったらしい。
結婚しなくても不都合がなくて、子を生み育てる他に快適な人生の過ごし方が増えてしまった結果、ローマの指導者階級の人々は結婚しなくなってしまったと。

なんて“先進国”だったんでしょう、ローマって。

っていうか、人間って実は結婚したり子どもを生み育てることを必要としない、できればやりたくないと思っている生き物なのかなぁ。
“結婚する”“婚姻関係を結ぶ”というのは家庭で子どもを育てる、ということを前提にしている制度というか、それを囲い込むための制度だと思うので、重要なのは「子どもを生み育てるかどうか」だと思うけれど、そういう意味でいくと、人間にとって“繁殖”は本能ではなくて、「やんなくてもいいもの」なのかと。

以前、『源氏物語』の宇治十帖の、尼さんになることで男の思惑から解放されて「ああ、自由になった」という終わり方を読んだ時に、「女は本当に男を必要としてるんだろうか」と思ったことがあった。
平安時代だと男色もごく普通にあるので、男だって、別に女を必要としてないのかもしれない、とか。

2000年前から、「別に結婚なんかしなくてもいいや」「子どもなんか生まなくていいや」があったんだなぁ、と思うと本当に面白いけれども、「国家」としてはそれじゃ困るというのは2000年前もおんなじで、アウグストゥスは「ユリウス姦通罪・婚外交渉罪法」「ユリウス正式婚姻法」というのを成立させて結婚と子育てを奨励する。

独身だったり、結婚してても子どもがいなかったりすると、税制上や出世の上で不利になるようにしたらしい。
子どもを3人生まないと女性は税金が免除にならない、とか。ひょ〜、厳しい〜〜〜。
(詳しくは『ローマ人の物語』文庫版15巻をお読み下さい)

今の世の中で、そんな少子対策が可能なわけもないけど、だんだんと、「他に楽しみがあるから結婚しない」よりも「将来に希望が持てない、子どもを育てられるだけの収入がない」という理由での少子化へ移行しつつあるということも言われている。
若年層が正社員になれないという雇用の問題。

既婚者は必ず正社員として雇わなければならない、未成年の子どものいる社員を解雇してはならない、とかいう法律を作ったら効果あるかな?(まぁそんな法律、企業も反対するし、色々差別だ!ってことで成立するわけないとは思うけど)