『ローマ人の物語』はカエサルの後の初代皇帝アウグストゥスの巻を終わって、2代目ティベリウスのところまで来た。
アウグストゥスもカエサルに負けず劣らずすごい才能の持ち主で、その政治手腕には感心させられっぱなしであった。
しかし彼は政治心理には非常に長けているのに、個人的な感情には無神経。血統に執着し、何よりも家族を大切にしていたのに当の家族には裏切られっぱなし。
「やはりすべてにわたって完璧であるというのは難しいことなのだな」と思わずにはいられない。

17歳だか18歳だかの若さでカエサルの後を継ぐことになってから60年の長きにわたってローマを引っ張ったアウグストゥス。家族には不幸や不祥事が絶えなかったとはいえ、「なすべきことはなした」と満足して死んでいったのだろうか。
二千年昔の全然知らない人なのに、親しい人のようにその胸中を慮ってしまう。

そして、ティベリウス。
この人はまた、とんでもなく気の毒な人というか、カエサルやアウグストゥスにもまして、「リーダーとはどうあるべきか」「国を治めるとはどういうことか」を考えさせられる人である。
カエサルを殺してまで主導権を取り戻したかった元老院は、ティベリウスの時代にはすっかり骨抜きになっていて、既得権益の主張だけはしっかりするくせに、厄介なことは「あんた皇帝だろ。あんたがやってくれよ」とティベリウスに丸投げ。哀れなティベリウスは広大な帝国の統治を相談相手もなしに一人で背負うしかない。
しかもその彼の誇り高き厳しさを誰も理解しない。
人気取り政策にはまったく興味を示さなかったがゆえに、同時代の人間には不評な皇帝で終わる。

ああ、なんて気の毒なの……。

私が同じ時代に生きていたら「あなたのおかげでローマ市民は平和に暮らしています」とお礼の一言も言ってあげるのになぁ。
同時代に生きていたら、そんなことはわからないことなんだろうか。「最高権力者が国を良くするのは当たり前。それ以上のことをしてくれないと」って思ってしまうものなのか。あの広大なローマ帝国をうまくコントロールしていく苦労なんて庶民にはさっぱりわからないし、目先の税金とか景気とかについつい目が行っちゃうよねぇ。

「国を治める」
それも、「より良く治める」って、どういうことなんだろう。民衆はおろか指導者層ですら、目先の利益や自分達の権益に流され、そうそうは「先」を見通せない。「先」を見通せる能力を持った者は、民衆に迎合しすぎてもいけないし、しかし抑圧しすぎて反乱を起こさせるようなこともしてはいけない。民衆のためを思いながら、時には自分の不人気を覚悟でより良い現在を創り上げるべく国をコントロールしていかなければいけないのだ。

なんて大変なんでしょう。

『ローマ人の物語』を読んでいると、本当に「政治」というものを考えさせられる。
こういうことを勉強する機会って今までなかったなぁ、と思うのだ。日本の歴史を学んでも、少なくとも学校の日本史程度では、「誰が天下を取ったか」しかわからない。「どういう政治をしたか」「どういう統治の仕方だったか」というのはあんまり習わなかったような気がする。
平安朝の「政治」は「貴族の間での人事異動」に過ぎない感じだし、戦国時代は「支配層の間での権力争い」。江戸時代になっても主眼は「民をどう治めるか」よりも、「大名達をどう抑えつけるか」でしかないような気がする。まぁ各地の大名は自分の領民を「良く治める」か「悪く治める」かってのがあったとは思うけれども……。

それにつけてもティベリウス。
二千年後でも、理解してくれる塩野七生さんがいたこと、喜んでくれているだろうか……。