まだ続く山さんネタ……。

そういえばと思って、『まだまだあぶない刑事』公開当時に勢いで買った『まだまだ刑事マガジン』を繙いたら、最後に柳沢慎吾ちゃんの『太陽にほえろ!』ネタがカラーで炸裂していた。
慎吾ちゃんも「一番好きなのは山さん」。
感性同じか……(笑)。
山さんの殉職シーンのことも載ってて、ああそうそう、と懐かしかった。慎吾ちゃんがマカロニ殉職シーンをカセットテープに録って覚えた、という話には、「そーいえば私もなぜかゴリさんの殉職の回をカセットテープに録っていたぞ」ということを思い出した。
ゴリさんの殉職の頃なら既にビデオデッキがあったはずなのに、一体なんでテープに録音なんかしたんだろう。
別に慎吾ちゃんみたいに殉職シーンの物まねで世に出ようなどとは思っていなかったはずだが。

色々と昔のことが懐かしくなってくると、「私も年取ったってことね」って感じがしてくるが、もっと悲しいのはさすがにこの頃は昔の記憶がテキトーになってきて、大好きだったはずなのにあんまり覚えてないとか、ネットで資料を探してみると記憶と全然違うというようなこと。

自慢じゃないが、記憶力にはけっこう自信があったのである。しかも、読んだ本とかアニメの最終回とか、そーゆーどーでもいいことを細部まで覚えていることに自信があったのだ。

しかしさすがに人生が40年近くなると、メモリー不足になってくるらしい。
思い出せなくなっていくのがすごくさびしい。

子どもの頃から、「自分はいつか死ぬ」「この世界で何を体験しようとも、全部消えてしまう」という自覚が妙にあったので、「記憶」とか「思い出」というものに固執してきた。
中学校から毎日ほぼ欠かさず日記をつけているのも、「すべては過去になってもう二度と存在することはない」という、「なくなってしまう」ことへの恐怖感から、という理由が大きい。

学生の頃の私の日記は「自分が今日何をした」という話よりも、読んだ本、見たアニメ・ドラマ・舞台の感想、というのが多い。
今はネットでちょっと検索すれば昔懐かしいアニメの資料だってすぐに出てくるけれど、その時自分がどーゆー感想を持ったか、ということは自分が忘れてしまえばおしまいだ。

まぁ、日記に書いたからって、後世に残るようなものではないし、ダンボールで押し入れに突っ込んであるから、自分だってそうそう読み返したりはしないのだけど。

自分の感情や考えたことは、自分で覚えているしかない。
せめて生きている間は、子どもの頃に好きだったことも、見た風景も、今好きなものと同じくらいしっかり覚えていたいと思う。

……こんなこと言っててもそのうちボケボケになって、嫁や孫から「そんな話されてもわからんわ。今のことはわからんくせに昔のことばっかりよう覚えてんねんから」などと言われるようになるのであろうか。

もう全然何言ってるかわからない義祖母を見るにつけ、「ああ、私の記憶……」と思うのであった。
(しかし山さんネタからこーゆー展開になるとは)