結局見ました、昨日の『プレミアム10』。
「尾崎豊がいた夏〜知られざる19歳の素顔〜」。

あの1985年夏の大阪球場のライブ映像、リハーサル映像がほとんど。そしてところどころ茂木健一郎さん。
尾崎の歌をぶちっと切って「バン!」と茂木さん、っていうあの編集はどやねん。いらんやろ、別に茂木さんの顔は(笑)。
まぁ茂木さんがカラオケで歌う「40の夜」とか、聞いてみたい気もするけど。

「大阪球場に集った3万人の若者」の中に、私もいたんだよねぇ。全然実感ない。こうして映像を見ても思い出せない。そういえばセットに登ってたっけ?ぐらいしか……。
もちろんずっとスタンディングで、全部一緒に歌っていたはずではあるんだけど。
集中すると記憶が飛ぶ、という奴でしょうか。
当時の日記をダンボールの中から引っ張り出してくれば、「良かった!」とか書いてあるんだろうけど。

ちなみにあの3万人の中には、当時43歳ぐらいだった私の母もいたわけです。母は、生の尾崎を見て「華奢な子やなぁ」と言っていたような覚えがある。
今、当時の母に近い年齢になって19歳の尾崎を見ると、ほんとに「かいらし(可愛らしい)子やなぁ」という感じがする。唇赤くて、女の子みたいだよね。細くて、いかにも繊細そうで。

母が好きだったのは「ダンスホール」。
決して若者だけにウケていたのではない、と証言しておきます(笑)。母が「行こう!」と言って率先してチケットを買いに並んでくれなければ、私はあの場にはいなかったわけですから。

彼と同時代に生きて、あの場にいられたことは、ホントにすごい幸運なことだったと思う。

一人の少年としては孤独だっただろう彼が、突然何万というファンを得て、現実に3万人の「尾崎コール」の中舞台に出て、思いのたけを表現する。
どういう気持ちになるものか、想像もつかない。
「燃え尽きた」というぐらいの渾身のステージと、完成度の高すぎる、3枚のアルバム。

表現されるべきことは、もうあの3枚の中に表現されてしまった、という気が、当時でも私はしたけれども。

「シェリー」の最後は、「ぼくは歌う 愛すべきものすべてに」でしょう。
「愛するもの」ではなくて、「愛すべきもの」。
「愛すべきもの」だとはわかっても、「愛せる」かどうかはわからない。
世界がどんなに醜く、つまらないものに見えても、そうだからこそ「愛すべきもの」でもあって、そういうふうに思ってしまうと、何も憎めなくなって、何にも責任転嫁ができなくなる。

普遍的には愛せても、個別的には愛せなくなるし。

応援してくれる人が増えれば増えるほど、逆に孤独感が募るってこともあったのでは……。

あの日あのスタジアムで、きっとものすごい充実感と、「生きてる!」って実感を感じていたであろうとは思うけれど。

求めていた「生きる真実」はもう彼の歌の中にあって、でも真実が人に優しいとは限らないんだよな、と思ったりします。