昨日の夢の中の三角関係で、結局男Bは死んじゃった女Aが忘れられなくて後追い自殺みたいなことをしてしまうわけなのだが。

恋においては、死んだもん勝ちなのだよなぁ、と思う。
だから純愛モノと不治の病は相性がいいんだけど。

この間『ローマ人の物語』でも、皇帝ハドリアヌスに寵愛された美少年アンティノーが自死する場面で、塩野さんが「アンティノーはハドリアヌスの愛を永遠に自分のものにするために死んだのではないか」という説を述べておられた。
「相手をひきつけておくにはそばにいない方がいい。それも永遠に手の届かない場所に行ってしまうのが」というような話(詳しくは文庫版26巻のずばり「美少年」という項をご覧下さい)。

アンティノーがなんで死んだのか本当のところはわからないけど、ずっとそばにいるよりいなくなっちゃった方が恋の勝者になれるというのはよくわかる。
そもそも「恋」という言葉は、「目の前にない対象を慕う」という意味だし。

手に入れたらもう「恋」は終わりです(笑)。
いくら可愛くてもずっといるとうっとうしいというのは夏休みの子どもを見れば明らかです(爆)。

Gacktさんの歌の中では、大抵「想う対象」が死んでて、そばにいません。「不在」に対する意識がすごく強烈で、「でもそばにいると信じてる」という、よく考えたら一方的で勝手な思い込みを歌ってます。
「恋」というのは基本的に片思いで、「両思いというのはお互いに片思いしているだけ」と言ったのはGacktさんだったような気もしますが、相手が死んじゃってるともう絶対に片思いだから切なくて苦しくて、でもそれがいいんだよなぁ、という……。

だから私はGacktさんの歌が好きだし、妄想小説の中でも女Aは死んじゃうのよねぇ。可哀想に見えて可哀想じゃないのかもしれないな。