という番組が、明日NHK『プレミアム10』枠で放送されます。1985年夏のあの大阪球場ライブ映像もあるらしい。ちょうどan-an様と「私も行ってたのよ〜」と話していたばかりなので、タイミングの妙に驚きです。

やっぱり見るべきかな?
なんとなく、「そっとしておいてあげよう」という思いがあって、これまでも尾崎を特集した番組は見ずに過ごしてきた。歌を聞くだけで十分で、それ以上を探るのはよけいなことじゃないかという気がして。

しかし昨日、ちらっと番宣を見てしまった。
「わぁ……」としか言いようのない感慨。
「その先」を知っている今、おそらく最も輝いていたであろう『回帰線』の時期の尾崎を見るのは、やっぱりこう、可哀想というか痛々しいというか、素直に「懐かしい!」というもんではない。

実際、動いている彼の映像が懐かしい、ということはない。
写真に掲げている初期の3枚のアルバムは何度も聞いたけど、彼の映像というのはろくに見たことがなかった。
大阪球場で生で見た、と言っても、肉眼じゃ顔もはっきりしないような距離だったし。

ライブの記憶がほとんどないのも、もしかしたら、「歌」だけが問題で、「生身の彼」が必要ではなかったからかもしれない。別に、「彼の顔が好き」とかいうのでは全然なかったわけだから、「わぁ、本物だ」という感慨はあっても、ステージに現れた途端「きゃー!!!」と黄色い声援を上げる、というスタンスではなかった。

ちなみにこの写真に写っているレコードのうち、自分で買ったのは『壊れた扉から』と12インチの『Driving All Night』だけで、『17歳の地図』と『回帰線』は、大学の時に友達が「もういらないから」とただでくれたもの。(なんて太っ腹な…)
後期のアルバムは、会社の同僚がCDを貸してくれて、彼の死後に聞いたのだけど、まぁ死んじゃった後に聞いたせいか「痛々しいなぁ」としか思えなかった。

3枚目のアルバムだった『壊れた扉から』の最後に納められた曲、『誰かのクラクション』
とても素敵な曲で、いかにもこう、ドラマの終わりに「それでも僕は生きていく」というセリフとかぶって流れそうな、「この先はみんな自分の足で歩いていってね」という歌だと思う。

ここで終われたら幸せだったんじゃないのかな……。

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