まず。
「ナスカの地上絵」でまっ先に私の頭に思い浮かんだのは……デーモン小暮閣下の『地上絵』という曲だったりします(^^;)
小暮伝右衛門名義でずーっと昔に出たソロアルバムに入っていた曲。『野生の王国のテーマ』に詞をつけたものです。
めっちゃカッコいいんですよ、これがまた。
「♪二度と戻れぬ扉を 地上絵は出てゆくのか〜
 声の限り呼び止める 最後の遠吠えに気づかぬまま〜♪」
まぁナスカの地上絵のことを歌ってるのかどうかはわからないんですけど、聖飢魔�には『モアイ』という曲もあるし、『エル・ドラド』もこう、「伝説」をテーマにした曲やし……。
こーゆー閣下の目のつけどころが好きなんよね(*^_^*)

ナスカの地上絵って、あの有名なハチドリやコンドルの他にも、直線とか四角形とか、1000にものぼる数があるらしい。
「周囲の石をどけることによって白い地肌を出し、それによって線を描く」というふうになっているとは全然知らなかった。
でも山の斜面に描かれているものもあるみたいだけど、そーゆーのはどうなってるのかなぁ。

昔、私の子どもの頃は「飛行機に乗らないと形がわからないこんな絵を昔の人が書けるわけはない→宇宙人が書いたんだ」みたいなことが言われたりもしてたけど、たとえ自分達はじかに全体を見られなくても、だから「書けない」ということはない。
「昔の人にできたはずはない」っていうのは、今の人間の驕りだよね。

「石をどけることによって浮かび上がる線」が、数百年だか1000年だか経ってもまだちゃんと見えるっていうことの方がむしろすごいような。
全然石が動いてないってことだもんなぁ。
まぁ今はやはり車の轍で乱されたりして、地上絵も存続の危機にあるとバーチャルシアターの中で言っていましたが。

私は昔から古代文明とか謎の大陸みたいのに弱くて、こーゆー展覧会にも昔はけっこう足を運んでいました。
なんか……簡単に言ってしまえば「失われたものに対するロマン」みたいなものなんだけど。
2000年昔にも人は生きて死んでいったんだな、というのを感じるのが好き。そこに展示されているのはただの壺で「物」だけど、それを作った人がいたんだよなぁ、っていう。
みんな死んじゃうけど、何かは残るのかもしれない、っていう、希望のようなもの。

昨日の子どものミイラにしても、ミイラになった子ども自身の生にも、彼をミイラにした周囲の想いとか祈りとかにも想いを馳せてしまう。
……まぁ、それは私が勝手に感じることであって、あの時代の人々の思惑がどうであったか、本当のところはわからないことであるけれど。

ミイラになって残るのってどんな感じかな、と思ったりした。
もう死んでるから、「感じ」も何もないけど。
もし自分のミイラが1000年後に展示されてたらどうかな、とか。

1000年、2000年経って、何か、残っているんだろうか。