一番鈴虫くんが死んではや1週間。
いつの間にか、十数匹いたはずの大きい飼育ケースの中も4〜5匹しか姿が見えなくなり、おとといの夜にはとうとう2匹だけになってしまった。

死骸を見つけることはあまりない。
まだ生きている奴に食べられてしまうらしく、本当にいつの間にやら「数が減っている」感じ。

カマキリの♀が♂を食べるという話を聞いたことがあるが、鈴虫も、産卵期の♀が♂を食べてしまうことがあるらしい。
高蛋白な餌にありつけないと、♂を餌にするそうだ。
もちろんその場合、生きながら食べられるんでしょうね、♂……。

今、大きいケースに残っている2匹は♂と♀で、♂が一生懸命鳴いていると♀が「うるさい!」とばかりにちょっかいをかけにいく。
食べようと思って狙っているんだろうか。
♂はそそくさと逃げる。

交尾を終えた♂は急激に弱るそうで、羽もボロボロになって音も悪くなるのだが、それでもずっと鳴いている。
死ぬまで鳴くらしい。
♀にアピールするために鳴くのだったら、晩年はもう大人しくして寿命を延ばしても良さそうなものなのに、それが♂の性(サガ)なのか。

もう音が全然出てないのに羽を震わせている♂を見るとなんだか哀れ……。

♂を食べた♀も、産卵を終えればじきに死ぬ。
あとは卵だけが次の春を待つ。



人生ならぬ“鈴虫生”って何なのかしら……。

それぞれの個体は、繁殖のサイクルの一形態に過ぎないように思える。
一匹一匹の生が問題なのではなく、続いていくその流れこそが重要なのだと。
「生命とは流れである」とこの間『生物と無生物のあいだ』に書いてあったけれど、一つの個体が「流れ」であるだけでなく、自己増殖して次世代へ繋いでいくというその全体が「流れ」であり「生命」なのだなぁ。

しかしホントに、なぜそーゆーことになっているのだろう。
なぜ「生命」はそれを指向したのだろう。
留まっているだけの無生物では、なぜいけなかったんだろうか。