明後日から初場所です。
やっと朝青龍が帰ってきます!!!
ああ、ほんとにねぇ。
やっぱり朝青龍のいない土俵はつまんなかったもの。

で。
毎日新聞のスポーツ欄に、『どうなる朝青龍:謝罪会見からの40日間』という特集コラムが3日連続で載っていました。今日のはまだ読んでませんが、昨日の『「心の成長」か「戦略」か』という記事の最後の部分に、私は大いに引っかかりました。

「相撲は強くてうまいが生き方もうまい。それを日本では『ずるい』ともいうけど」という声も聞こえてくる。

は?
誰がそんなこと言ってんの??
これ書いた記者さん???

全文を読んでもらえばわかりますが、要するに朝青龍が「いい子ちゃん」しているのはマスコミの前だけで、他ではすごんで見せる場面もあり、改心したというよりイメージ戦略だ、という論調なのです。

それで「生き方もうまい。日本では『ずるい』という」。

こんな書き方をされたら、朝青龍でなくても「けっ!どうせおまえら、俺が何やったって気に入らねぇんだろ!!」と言いたくもなるでしょう。

すべての面で申し分ない「いい子ちゃん」にならなければ、「改心した」とは認められないのか?
もしも内心では「こうしときゃあいいんだろ?」と舌を出していたとしても、外ではすべての面で「いい子ちゃん」に振る舞っていたら、その方が「改心した」になるのか???

人の心の内なんか、そうわかりませんよ。
言葉つきや態度を変えたのなら、少なくとも「そのような態度を取る」というふうに本人が考えているのだから、それを認めたらいいんじゃないでしょうか。
それを「イメージ戦略」で片付けられたら、「社交」とか「社会性」というものはすべて「他人に対するイメージ戦略」じゃないんでしょうか。

「誰にでも優しい人は結局のところ誰にも優しくない」という言い方がありますが、すべての人や場面に対して同じ一つの対応しかできない、というのはある意味社会性の欠如でしょう。
親しい友人と会社の上司に対する対応は違って当たり前。
相手や場面それぞれに「自分との距離」や「利害得失」を考え、「どう振る舞うか」を決めるのは、みんな普通にやってることではないでしょうか。

そりゃあ、「強いものにはへつらい、弱いものにはエラソーにする」だけの「戦略」だったら嫌われますけどね。

またこの、「日本では『ずるい』という」という言い方。
外国では全然OKってことですか?(笑)
日本では「不器用ですから」の方がウケるって?
不器用がかっこいいのは高倉健さんぐらいなもので、その辺のおじさんが不器用なのはうっとうしいだけですよ(爆)。

出世した同僚に対して「ちぇっ、うまく立ち回りやがって」って愚痴るサラリーマンじゃないんですから。
プロスポーツマンが「がんばってます!」ってアピールするのを「ずるい」って言ってもねぇ。

またトラブルを起こした時に「やっぱり」って言えばすむことじゃないですか。
ここで「どうせポーズだろ」って言ったら、せっかくがんばろうと思った気持ちも萎えるってものです。

それに、力士の本領は土俵です。
久しぶりに本場所の土俵に上がる朝青龍がどんな相撲を見せてくれるのか。
それにこそ、注目しましょうよ。