『ニューロマンサー』『カウント・ゼロ』に続くスプロール3部作完結編。

面白かったです!

『カウント・ゼロ』では3つの視点でしたが、この『モナリザ・オーヴァドライヴ』では4つの視点。お話の構成が『カウント・ゼロ』と似てて、物語自体も『カウント・ゼロ』の語り直し的なところがあり、そういう意味では決して「新鮮」とか「こんな小説初めて!」とかいう衝撃はないんだけど、でも面白い。

ばらばらだった4つのピースが次第に寄り合って一つの「形」が見えてくる、その、「ピースがはまってくる」感じが何とも言えずゾクゾクします。4つの視点が同時進行、一つ一つのシーンはけっこう短いし、『カウント・ゼロ』以上に「えっと、このグループは今どういう状況だったんだっけ?」ってページを戻らなきゃいけないところも多いけど。

でもその「短いシーンの連なり」が独特の疾走感を生むし、「あれ?」って引っかかるのがまた楽しい。

うん、この手法いいなぁ。ちゃんとうまく「ピースがはまる」ように書くの、けっこう大変だと思うんだけど。細かく読み込んだら実は辻褄が合ってないとことかあるのかしら(笑)。

さて。

同時進行する4つのお話。

一つ目は久美子のお話。なんと日本のヤクザの親分の娘らしい。これまでにも「千葉」とか日本の地名が出てきたり、日本企業の名前が出てきたりしていたけど、ついに日本人が主役の一人。

13歳の久美子はヤクザ間抗争を避けるため、たった一人東京からイギリスへ。解説に「久美子という名前といい、雰囲気といい、某国民的美少女を連想させる」とかって書いてあるのが、時代を感じます。日本語版、1989年(平成元年)刊行だもんねぇ。

で、そのイギリスの久美子のところに現れるのが『ニューロマンサー』の主役の一人だったモリイ。最初は別の名前で出て来るんだけど、「埋め込みレンズ」とその物騒な雰囲気ですぐ「モリイだ!」ってわかる。

なぜか外国人のモリイの方が日本人の久美子に向かって「黒幕」という言葉を説明してたりします。

「歌舞伎から出た言葉だけど、意味はフィクサーってこと、恩を売る人間よ。舞台裏ってこと、でしょ」 (P118)

未来の話なので、もしかしたら日本語が廃れちゃって、久美子は英語しかしゃべれないのかもね。一人でイギリスに来て、まったく言葉に困っていないようだし。

二つ目の流れはスリック。《スプロール》のはずれの廃工場みたいなところ(スリックは《ファクトリイ》と呼んでる)で「ロボット」を作ってる。別にそれが仕事なのではなくて、趣味というか、精神安定のために。

《ファクトリイ》の持ち主はジェントリィという一風変わったハッカー男。その二人のもとに、機械につながれた昏睡状態の男が連れられてくる。以前スリックがちょっとしたことで恩を受けた男が、「ちょっとこいつ預かってくれ」って言って、担架に乗せた昏睡男を運んでくるの。

その意識不明の男は「伯爵(カウント)」と呼ばれている。

ピンと来るよね。

そう、『カウント・ゼロ』で「伯爵(カウント)」というハンドルネームを使っていたボビイ。この謎の昏睡男は果たしてボビイなのか…?

『カウント・ゼロ』の最後で、擬験(スティム)界のアイドルになっていたアンジイ。ボビイはそのアンジイと一緒にいたはずなのだけど。

というところで三つ目の流れはアンジイ。

アンジイは麻薬中毒になってて、その治療を終えて再びアイドルとして仕事を始めようとしている。いつのタイミングでかわからないけど、ボビイは彼女のもとを去っていて、そして、同じようにアンジイのもとから離れていた“ロア”が、ここへ来て復活。

“ロア”――ブードゥー教の精霊。『ニューロマンサー』でAIが変化したあと、マトリックス内に生まれた“神々”。アンジイの頭の中には生体素子(バイオチップ)が埋め込まれていて、他の人間のように電極を繋いでいなくてもアンジイはマトリクスと――“神々”と繋がることができる。

ううん、違うな。“神々”がアンジイを訪れることができる。

アンジイの意志とは無関係に、アンジイは生体素子を通じてマトリックスの“夢”を見、精霊達の声を聞く。“憑依”される。

それが、3年間まったく音沙汰なしだったそうで。

おまえの父親のヴェヴェが変えられたのだ。一部を消し去り、描きなおされた。おまえは自分を毒するのをやめたものの、今も“騎手”どもは、おまえに触れることはできない。わたしは別だが。 (P45)

ヴェヴェっていうのは精霊を呼ぶためのシンボルのようなものらしく。

3年ぶりに訪れたグランド・ブリジットと呼ばれるロアがそう説明するのですね。「ヴェヴェが変えられた」と。アンジイが薬物中毒になった背景には何かある、みたいな示唆。

そして4つめ。

自称16歳の女の子、モナ。不法居住区で、売春で生計を立ててる。彼女は顔立ちがアンジイに似ていて、それが原因で陰謀に巻き込まれていく。

モナのくだりは、一番ドキドキします。だって彼女は「アンジイの身代わり死体」に選ばれたんだもん……。そのことが徐々にわかってきて、モナ自身も「きっと殺されるんだ」って気づいて、でも逃げられない……。

うわぁ、どうなるの、って思ったらシーン切り替わってスリックや久美子の話になっちゃうし(笑)。

久美子の話――というか、立ち位置は今ひとつよくわからなくて、モリイを出すためのきっかけとして彼女が必要だったのかなぁ。久美子の父親、日本のヤクザの大物(モリイ言うところの“黒幕”)の子分の一人スウェインが「悪い方」に荷担していた、というのはあるけど。

モリイと一緒にフィンにも会うし、最後にはマトリックスにも入ってレイディ・3ジェインにも会う久美子。

そう、もちろんレイディ・3ジェインやテスィエ=アシュプールも出て来る。

久美子は異郷の地でモリイを助けようと奮闘するし、久美子の持っている「マース=ネオテク装置」のコリンはなかなか魅力的なキャラ。“キャラ”と言っても人間じゃなくて、あくまで「電脳的な存在」なんだけども。

なんか、小さなその装置を久美子が握ると生意気な美少年風アバター“コリン”が出現するのよ。父親が久美子を守るためにその装置を持たせてくれたんだけど、そのアバターの姿も声も、久美子以外の人間には見えないし聞こえない。

ってことはつまり、その装置は久美子の――装置を握っている人間の――感覚中枢に直接働きかけるってことなんだろうな。すごく生意気な口調なのも、久美子の嗜好を反映してるんだったりして。

『カウント・ゼロ』から7年後、『ニューロマンサー』から数えると14年だか15年だかの月日が流れて、電脳系技術もさらに進化したみたい。

アンジイも“撮影連鎖(コンティニュティ)”と呼ばれるAI(?)と「家」を介して喋ったりしてる。「家」をコントロールするシステムがあって、そのシステムも人格っぽく、利用者と会話するようにできてるんだけど(これは『カウント・ゼロ』でも車や飛行機がしゃべったりしてたっけ?)、その「家」に「“撮影連鎖(コンティニュティ)”を呼んで」って命じると、“撮影連鎖(コンティニュティ)”と会話できる。

きっと、車やジェット機のシステムに命令しても繋がるんだろうけど。

アンジイの頭の中の「生体素子(バイオチップ)」にしても、この“撮影連鎖(コンティニュティ)”にしても、詳しい説明はなくて、「こーゆーことなんかなー」と想像するほかはない。まぁ、それを言ったら電脳空間(サイバースペース)、マトリックスという用語についてもちゃんと理解出来てるのかはなはだ怪しい。

それでも十分面白いし、その、わからないからこそ“ああかな?こうかな?”って想像するのがまた楽しいのよね。

“撮影連鎖(コンティニュティ)”は本を書いている。ロビン・レイニアがその話をしてくれた。なんの本かとたずねてみた。そういうものじゃないんだ、とロビンは言った。あれは自分の中にループを描いて戻っていって、常に変異している――“撮影連鎖(コンティニュティ)”はいつも本を書いているんだ、と。アンジイはなぜか、ときいてみた。けれど、ロビンは既に興味を失っていた――だって、“撮影連鎖(コンティニュティ)”はAIで、AIというのは、そういうことをするものなんだから、と。 (P89)

“撮影連鎖(コンティニュティ)”もコリンも物語の結末に深く絡んでくる。

うん、結局AIのお話だもんね、スプロール三部作。

AIに利用され翻弄される人間達。モリイやアンジイは時にその攻撃をよけながら、時には逆にAIを利用する。取り引きする。そして最終的にAIは……。

これから読む方のために結末は伏せておきますが、まるで神さまのような、使う使われるの立場がすっかり人間と入れ替わったようなAIも、電気切れたら終わりなんだよね?

スリックが最後に

「今すぐ電気を切ったとしたら、どうなるの……」 (P471)

って言うんだけど、私もすごく気になった。

レイディ・3ジェインやフィンはすでに肉体は死んで電気的な“人格記録”だけがマトリックス内に存在しているみたいなんだけど……全サーバーがダウンしたら彼らは当然消えてなくなっちゃうんだよね?

すぐに復旧したら大丈夫なのかな。データ破損とかしなければ……。全体のマトリックス=電脳空間とは別に、「アレフ」って呼ばれる特別の機械が出て来て、それの電源について「切ったらどうなるの?」ってスリックが聞くんだけども、うーん。

アンジイの中の「生体素子(バイオチップ)」は別に電源に繋がってないし、大丈夫なのかな。人間の神経パルスの微細な電気信号をエネルギーにして……とか……。

人間を操れるんだから、絶対にオールダウンしないようにAI自身が策を講じているのかもしれない。あちこちにバックアップがあるとか。

あと。

『ニューロマンサー』から14~15年経ってるということは、当時モリイが弱冠二十歳だったとしてももう35歳だよね。最後の方に「思っていたより若くなくて疲れて見えた」って形容されてる。

『カウント・ゼロ』ではバラバラになったターナーが「再生」されていたし、肉体はけっこう取り替えられるみたいだけど、それにしてもモリイ、まだまだワイルドに頑張ってた。久美子に「伝統的ロマンティック・ビデオの美少年ヒーローみたい」と思われるほど。

スリックの考えでは、宇宙というのは存在するすべてのものだ。だったら、どうしてそれに形がありうるのだろう。形があるとすれば、それを包むように、まわりに何かあるはずだ。その何かが何かであるなら、それもまた宇宙の一部ではないのだろうか。 (P126)

「態様(モード)のひとつは、電脳空間(サイバースペース)に住む、あるいは訪れるものがある、と仮定します。そうした存在の特徴は、原初的な神話形態の“隠れた人々”に照応します。もうひとつでは、マトリックスそのものの全知、全能、不可知を仮定します」
「つまりマトリックスが神だと……」
「そうも言えますが、より正確には、神話形態から言うと、マトリックスが神を容れている、としたほうがいいでしょう。というのも、この存在の全知と全能が、マトリックスに限定される、と仮定してあるからです」
 (P205)

うん、スプロール3部作、楽しませていただきました。『ニューロマンサー』より私は後ろ2編の方が好きだし、モリイのこの歳月を経ての奮闘ぶりも見事なので、ハヤカワさん、是非復刊を!