江戸は、当時の世界の都市の中でも有数の、清潔で進んだ都市だった(らしい)。
人々の識字率も高くて、町人達は豊かな文化を謳歌していた(らしい)。
文化程度がきっとかなり高かった当時の町人達は、その高い意識を持って、「町人の、町人による、町人のための政治」というようなものを、志向しなかったんだろうか。

別に、「すでにある体制」の中で豊かに暮らしているんだから、体制を覆す必要なんかは感じなかったのかもしれない。
聞くところによると、町人達は税金を払う必要がなかったそうで、「いいな〜、江戸の町人になりたいなぁ」と思う現代人はきっと多いでしょう。
色々お上に問題はあるかもしれないけど、別にひっくり返すほどの問題はない、だったのかな。

それともやっぱり、江戸時代の末期には「対外政策」以外にもあちこちにほころびが出て、遅かれ早かれ徳川幕府は終焉を迎えていたんだろうか???

農民の中にもけっこう豊かな暮らしをしている人がいたとか、支配階級である武士より商人の方がよっぽど金持ちだったとか、藩の財政が厳しくてみんな商人に借金していたとか、なんかそーゆー話は色々聞く。

体制を覆したのが農民でも町人でもなく、やっぱり一応は「支配階級」の「武士」だったというのは、当時一番不満を持っていたのが「武士」だったということなんだろうか。

日本では「支配階級」はずーっと「支配階級」で、政治的に何かやるためにはその「支配階級」の一員にならないとダメで、つまりは「すでにある体制」の中でしか「政治を行う」ができないから、「根本から体制を変える」ということが起こらない、というような話を、橋本治さんの本で読んだような気がする。

なんだかんだ言っても自民党に入らないと政治ができない、ということの根っこは深い、みたいな話に繋がっていたような。

この間紹介した『日本の行く道』には明治維新の話が出てくる。
曰く、

「ある意味で明治維新は、『永久与党の徳川幕府と野党との間に起こった、政策の違いによる与野党の逆転』です」

なるほどぉ。
明治維新政府の中心になった薩摩と長州は外国と戦争して負けていて(薩英戦争とかの話です)、それが維新政府の「心の傷」になって、現代に至るまでずーっと尾を引いている、というような話が続く。
「幕末から明治への流れって、そーゆーことだったのか」ということが、やっと腑に落ちたような気がする。

出来事の名前とか、人物名については学校の日本史で習うけれども、それがどーゆー意味を持ってて、どーゆーふうに繋がっているのか、全然わからなかった。
まぁ今でもやっぱり勝手な早合点をしているだけかもしれないけど。

『日本の行く道』の中で橋本さんは「明治政府の心の傷」から、現代へと話を続ける。
それで、安倍さんは岸信介の孫で、岸信介は山口県出身で、「私なんかは、これを見ると、『長州閥はまだ生きていたんだな』と思いました」という文章も出てくる。

昭和はもう83年で、明治維新からだと150年くらい。
長い歴史の中ではまだまだ全然「昔のこと」でもないのかもしれない。

「官僚」主導、「政治=人事異動」なのは平安時代。
日本って、本当にびっくりするくらいずーっと同じ政治体制なのかもしれない。

橋本さんを読んでると、「こーゆーことこそちゃんと習わなくちゃいけないんじゃないだろうか」と思うけれど、もう「日本史」や「世界史」の未履修はないのだろうか。