萬斎様の『鞍馬天狗』も3回目の放映が終わりました。

鞍馬天狗が走ってくるのはなぜいつも満月の下なのか?
第2回で白菊姫が倉田典膳のもとを訪れたのはなぜなのか?
(…典膳の正体を宗房と知らなかったのだから、そもそも典膳のことを知っているとは思えないのに…)
色々と突っ込み所の多い『鞍馬天狗』ですが、しかしそーゆー無茶も含め、毎回楽しく見ています。

第3回『石礫の女』。
あらすじはNHKのサイトで見てもらいたいのですが。
なかなか面白かったです。
私好みのストーリーでした。

山賊に育てられ、殺し屋として生きていた女がようやく「血なまぐさい世界から離れられる」と思って選んだ男が、何を間違ってか新選組なんかに入ってしまい、やっぱり「血なまぐさい世界」に関わることになってしまう。
そして、その男は彼女の悪口を言った隊士と斬り合いになって殺されてしまう。
「あたしと関わった者はみんな死んでしまう」
と嘆き、自らも命を断とうとするところを典膳が助けて。

彼女の身の上話を聞いた上で、典膳は「似ている」と自分の境遇を話すのです。
そして、彼女に「仏門に入る」ことを勧める。
死んだ男や、これまでに彼女が殺めた者の菩提を弔って、自身の定めに向き合って生きれば、いつか「自由」になれる日が来るかもしれない、と。

そう勧める前に、典膳は「自分は定めから自由になれた」と話します。
父親を殺され、鞍馬山に隠れ住み、「父の仇を討て」と剣の修行をさせられて育った典膳。
けれど結局彼は敵討ちをしない。
そんなことをしても無意味だ、と思って、そして仇は他の人間に殺される。

「それはお気の毒様」と女が言って、典膳は「それで良かったのだ。おかげで自由になれた」と答える。
名前も身分も全部捨てて、「倉田典膳」と名乗る彼は、確かに「世間のしがらみ」からは自由になっている。

でも、それだけじゃないのかな、と万斎様のあの眼差しを見ていると思えてしまう。
女に「仏門に入って自由になれ」と勧める倉田“萬斎”典膳は、なんだか不思議なヒーローに見えた。
ただ刀で正義を振りかざすヒーローではないのだなぁ、というか。
その、精神的に世俗を超越した感じが、萬斎様ならではの『鞍馬天狗』だな、というか。

典膳は、何しろ20年も人里離れて山暮らし。浮世離れしてて当然の人なのよね。
その割には人付き合いうまいし、女あしらいもうまいけど(笑)。
剣の腕が超人的な以上に、精神的なあり方が世俗を超えているヒーロー。

『小林秀雄の恵み』で「仏門に入る」ということの意味を勉強したばかりだったので、よけいに「仏門に入って自由になれ」と言うシーンに、色々考えてしまった。
「仏門に入る」というのは「俗世間を出る」ということで、まぁ色々なしがらみを捨てて、「世の中というシステム」の外へ身を置くこと。
『源氏物語』で、女達はよく出家をして、宇治十帖の最後も浮舟が出家をして、「ああ、やっと自由だ」というところで終わる。
昔の女達は、「男=世の中」の思惑から離れて「自分でいよう」とすると、もう出家するしかなかった。
仏の道がどうこうというより、世の中のシステムの外に出ることが重要で、その先にどんなゴールを設定し、見出すかは人それぞれなんだ。

外国のヒーローは、ああいうシーンで「修道院に入って尼になれ」と言うのかな、と思ったりしました。

で。
そう言った後で、典膳と女は「いい雰囲気」になって、「これじゃああんたも死んでしまうね」と言う女に、典膳は「大丈夫。私は、不死身だ」と答える。

うぷぷ。

痺れました、このセリフ。
萬斎様だから許せるっていうか、なんか、「おおっ!」って、妙に感動しちゃいました。
「そんなこと言っちゃうんだ!」って。

さらにその後、鞍馬天狗として現れて彼女を救う時も、「私は不死身だ」と言って、それで女は典膳と鞍馬天狗が同じ人間だと気づくのだけど。
同じだ、と気づいていながら、死の間際、「倉田さんに会ったら伝えて」と言うところがまたねぇ。顔を見せようとする鞍馬天狗の手を押さえて、あくまでも「伝えてほしい」と言って死んでいく女。

いいなぁ。
大好きだわ、こーゆーの。