『悪霊』も下巻に突入し、大体全体の半分近く読み進んだのではないかと思う。
私が持っている新潮文庫の『悪霊』は20年前に買ったもので、上下巻。今でも上下巻のままだと思うけど、字がちっちゃい。今どきの普通の字の大きさで組んだら、きっと上中下の3巻本になるだろう。
がんばって読んでるのに、読んでも読んでもまだこんなにある、という感じ。もちろん、「長い話好き」の私には、残りがたっぷりある方が楽しいんだけれど。

20年前に読んだ時は、「何だかさっぱりわからない」という印象で、たぶん「面白い」とは思わなかった。何しろ全然覚えていない。こうやって読み返していても、登場人物も場面も、何もかも全然覚えていない。本やアニメに関する記憶力はかなり高いと自負している手前、「ホントに読んだのか?」と思ってしまうほどだ。
もしかして上巻の導入部分で挫折してほったらかしたんじゃないだろうか。
それぐらい、最初の部分はたるい。

ものすごく、とっつきが悪かった。

このお話が、「稀代の悪魔的人物ニコライ・スタヴローギン」を主人公に、「無神論的革命思想を悪霊に見たて、それに憑かれた人々とその破滅を、実在の事件をもとに描いたもの(新潮文庫の裏表紙に書いてある文章より)」ということは知っているので、それを期待して読み始めているのに、一向にスタヴローギンは出てこなくて、能なしの困ったおじさんの話がずいぶん長く続くのだ。

何しろ「第一部第一章」は、その困ったおじさん「ステパン・ヴェルホーヴェンスキー氏外伝」というタイトルになっていて、50頁以上も続く。
やっとスタヴローギンが出てきたと思ったらすぐにいなくなって、またぞろ困ったおじさんがおろおろしてる話になる。

あー、もう、なんやねんな。

『罪と罰』にも困ったおじさん達は出てきたが、ステパン氏は彼らよりもっと困った、「名士ということになっているのに実は全然現実対処能力がなくておろおろしているばっかりの、無害だけど超いらいらさせられるおじさん」なのだ。
もし近くにいたら「しっかりしろ、このぼけなす!」と一発ひっぱたいてやりたいような人。

でも。
途中から。
そう、やっぱりスタヴローギンが最初の短い登場を果たしたあたりから。
どんどん引き込まれていってしまうのだな。
撒き散らされる山ほどの謎とほのめかし。
「一体何なの? 何だっていうの?」と焦燥感に駆られて、頁を繰らずにはいられなくなる。

読んでいけばわかるのかと思って頁を繰るのに、読めば読むほどますますわからなくなっていく。
「破滅が来る」ことだけが痛いほど予感されて、その期待感で窒息しそうになりながら物語を追わされる。

うーん。
面白いと言っていいんだろうか。
一体何をもって人は「面白い小説」と言うんだろう?
「読み進まずにはいられない」という意味では、もちろんとても「面白い」のだけど、でも「話の筋」が面白いっていうのとは、ちょっと……うーん、かなり違う気がする。

まぁ、『カラマーゾフ』だって『罪と罰』だって、あらすじだけじゃまったくその魅力が伝わらなくて、直接主題に関係がありそうなとこもなさそうなとこも、とにかくすべての描写がうねりながら、もつれながら、何か一つの有機体を作りだしているような。

うーん。
でもやっぱりすべての「面白い小説」というのはそういうものか。「あらすじ」だけじゃ何もわからない。

なんか、最後まで読んでもやっぱり「何だったの……?」と思うような気がするなぁ。

「秘密結社」騒ぎと、それにかき回される街の人たちの浮ついた、ばかばかしい限りのから騒ぎ。出てくる街の人たちは、読んでいる私が感じていると同じように、「何もわかってないのに期待感ばかり先走って」空騒ぎしている。
つまりは集団ヒステリー。
すべてが終わってみれば(つまり「破滅」が訪れてみれば)、「一体何だったんだ。なんで自分達はあんなに騒いでいたんだ」と思うに決まっているのに。

でもこーゆーことはいくらでもあるんだろうな……と不気味に思いつつ、「破滅への期待」に震えながら頁を繰っている私です。


【関連記事】

『悪霊』~スタヴローギンは悪魔じゃない~

『悪霊』~神がいないとそんなに大変か?~

スタヴローギンは酒に酔わなかった?