昨日、彼の死刑が執行されたというニュースを見て。

彼が捕まったというニュースを聞いた日のことを思い出した。
私は海にいたのだった。
長崎の海だ。
大学生だった。
長崎出身の友達の家に遊びに行っていて、五島列島のどこかの海で泳いでいた。
音楽を流していたスピーカーが急にニュースになって、「連続幼女誘拐事件の犯人が捕まった」という話が流れた。
なんせ海だから、あまりはっきりとは聞きとれなくて、「え?今のニュース、そーゆーこと言ってた?」という感じだった。

こっちはのほほんと夏休みを謳歌していて、そこに悲惨な事件の容疑者が逮捕されたというニュースが飛び込んできて、でもだからどうってこともなくこっちの夏休みは相変わらずのほほんと続いていく。
なんか、そのコントラストだけが強烈だった。

もちろんあの事件は強烈だったのだけど。

「オタク」の起こした事件として騒がれた。
ビデオテープが山と積まれた容疑者の部屋。
自分もアニメファンだったから、「アニメが好き」ってだけで変な目で見られるのはたまんないな、と思ったものだった。

この間の秋葉原の事件のすぐ後の死刑執行。何か意味があるんだろうか?

死刑判決が確定してからは2年4か月しか経っていない。
あの事件が起こったのは、もう20年も前の話なのに。
執行の早さよりも、刑が確定するのにそんなにかかったんだな、という遅さの方にびっくりする。

「死刑」という刑があって、それが確定しているんだから、いずれ執行されるのはやむをえないというか、逆に「その刑はあるが執行されない」というのは変な話だろう。
今の法相がばんばん死刑を執行しているのは、すごいことのようにも思えるけど。
死刑を執行しないのなら、「終身刑」を作るべきだろうな、やっぱり。

もし自分が被害者の遺族だったら、あっさり殺しちゃうより、ちょっとずつ爪をはぐとか皮をはぐとか、そーゆー「苦痛が長引く」復讐をしてやりたいと思うんじゃないだろうか。犯人が死んだところで、被害者が生き返ってくるわけじゃないし、さっさと死んで“楽にさせる”よりは、一生苦しんでほしいと思うだろう。
良心で苦しめないのなら、肉体的に一生苦しめ、と。
神話のプロメテウスのように、半殺しにされては回復し、また半殺しにされて……永劫に続く責め苦。

もしもそんな刑があったら、人は罪を犯すのをやめるだろうか?