昨日の続き。
「とりあえず“が”がある文章では、“〜が”が主語だと教えてもいいものか」という終わり方をしたけれども。
「僕は君が好きだ」という文章の主語は「君が」ではない。
あーあ。
「おまえは何が言いたいんだ?」とか。
まぁ、小学校四年生の国語の問題文には、もっとわかりやすい文章しか出てこないだろうけど。
「僕は君が好きだ」の「君が」は「好き」の目的語なので、「僕は君を好きだ」と言ってもいいのだけど、普通は「君が」になる。
他でもない、「君が」好きなんだよ。
という感じ。
新解さんには「が」の意味の2番目に、「可能・希望・好悪・巧拙などの対象を表わす」と説明がある。
こーゆー「が」の使い方があるから、息子は「何が」−「どうした」を抜き出せ、という問題で、「〜を」という目的語を抜き出してしまうのかもしれないな、もしかしたら。
学校の先生は、間違える子どもにどう教えるんだろう。
ほったらかしかな(笑)。
日本語を母語として育っている子どもなら、テストでは間違えてもしゃべる時は問題ないし、たぶん書く時も、「説明不足」ということはあっても、「てにをは」がぐちゃぐちゃってことはきっとないだろう。
国語の勉強って、文法にしても読解にしても、普段無意識にやっていることを意識的にしなくてはいけなくて、とてもめんどくさい。
もしかして国語という教科は、「無意識なことを意識する」訓練のためにあったりするのかしら……。
ことば
2 Comments
『象は鼻が長い』、本棚の奥〜の方に眠ってるはずなんだけど、確かあの本(まぁ、私もちゃんと読んでないクチですがね、ハハハ)の末尾の方には三上論に対する批判の論文みたいなのも載ってたと思う。で、そこに「なんでもかんでも『〜は』を主題、と扱ってしまう三上先生の論には無理がある」というようなことが書いてあったような・・・。三上先生は「象は鼻が長い」というような文の場合「〜は」は副助詞、「〜が」を格助詞としているけれども、必ずしもそう確定すべきではないんじゃないか、とか。ひゅうがさんが挙げた「僕は君が好きだ」もそれがあてはまらない例よね。「〜が好きだ」という慣用句ひとまとまりで述語なのであって「僕は「君が」「好きだ」をバラバラにして考えるのはちょっと変なのだ。「私は腹が立った」とかさ〜。で、そう考えると「象は鼻が長い」も「○○は長い」だけで成り立つ(というか、使用される)ことは例外的な気がしなくもない。う〜〜〜ん(笑)要するに、形式上の「主格」と文脈上の「主語」が意外と明確になっていないという弱点があるんだよね、三上論には。・・・『象は〜』を引っ張り出してちゃんと読んでみようかしら(^^;)
返信削除��an-an様おおおおおおっ、an-an様は『象は鼻が長い』を持ってらっしゃるのですか。さすが!やっぱり「鼻長し」という形容詞が必要なんじゃないかしら(笑)。そうすれば「象は鼻長し」ですむ(爆)。「鼻が長い」ということが「状態」で「述語」だと考えれば、「象」が主語でいいんだもんね。「〜が好き」とか「〜が欲しい」とかも、確かにその部分全体を「述語」と考えることもできるよね。やっぱりこう、「主語」「動詞」「目的語」というような、外国語の文法から類推したやり方で日本語を分析しようとすると、説明できないことがいっぱい出てくるんじゃないかなぁ。というか、「全部ちゃんと説明できるはずだ」という考えそのものがおかしいというか……。いや、まぁ、ちゃんと説明できているのかもしれないけど。私が知らないだけで。私は三上先生をすっとばして(笑)『日本人の脳に主語はいらない』の方を読んでみようかな、と思ってます。
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