まだ『悪霊』の話……というか、どっちかというと自分の話だけど。
「スタヴローギンは我を忘れられない」ということから連想した、「私は酔っぱらいが嫌いだ」という話。

きっと、スタヴローギンは酒にも強いか、もし弱かったとしたら、酔っぱらうほどには飲まないように自重していたろうな、と思うのだ。
だって、「理性を失う」ことを何より恐れている(ように見える)スタヴローギンが、正体をなくすほど酒を飲むはずはないだろう。

私は酒に強くない。
飲んでもしんどくなるだけだし、酔っぱらいたいとも思わない。別にお酒で酔わなくても自分の妄想で酔えるので必要ないんだろうなと思うけど(笑)、私は人が酒で酔っぱらってるのが嫌いである。
いわゆる「飲みニケーション」というやつが大嫌いだった。
別にお酒を飲んだっていいけど、酔っぱらったっていいけど、「酒の上でのこと」と言って後で逃げを打つ態度が嫌なのである。

「酒が入らないと本音が言えない」「親しくなれない」とか。

言いたいことがあるなら素面で言ってみろよ、と思うのだった。
酒の力なんか借りないで、完全に自分の意志で、理性を保ったまま好き勝手してみろ、と。

なので私は、スタヴローギンには共感できる。少なくともピョートルやステパン氏よりはずっとずっとスタヴローギンの方が好きだ。

連載時には削除された「スタヴローギンの告白」の中で、スタヴローギンは
「滅茶苦茶なほどにその感情に支配されることはあったが、われを忘れるということは一度もなかった。それが私の内部で火そのものになっていっても、私は同時にそれを完全に支配することができたし、その絶頂でおしとどめることさえできた」
「だから、知ってほしいのだが、私は環境とか病気のせいにして、私の犯罪の責任をのがれようとは思わないのである」
と言っている。

もちろんスタヴローギンにだって「無意識になしてしまう」ことがあっただろうと思うし、自分で思っているほど完全に「意識」を保っていたかはわからない。
けれど、少なくとも彼は「そのような自分でありたい」と思っていたのだろうし(生まれつきそーゆー性格だった、ということではなく、やはりそのように努めていたのだと思う)、どんな局面にあっても、自分のしていることを冷静に眺めている「醒めた自分」を頭の隅に置いていたのだろう。

私はスタヴローギンと違ってすぐに熱中するし、欲だって強い。でも熱中していても、どんな局面でも、それをネタに文章を書こうといつでも身構えている自分がいるから、やっぱり完全には「熱中していない」のかもしれない。

『悪霊』は「現代への予言書」と言われ、スタヴローギンは「世界文学が生んだ最も深刻な人間像」と言われたりするそうだ。
スタヴローギンのような心性を持った人は、多いのではないのかな。