滋賀県には、「西堀榮三郎記念 探検の殿堂」という施設があります。
西堀榮三郎さんというのは、第一次南極越冬隊の隊長だった方で、他にも色々な探検や研究をしてらっしゃる方なんですけども。
その方を記念した「探検の殿堂」で、昨日「昭和基地と話そう!」というイベントが行われました。
先頃発足した「探検の殿堂無線クラブ」が南極の昭和基地とアマチュア無線で交信するのを、クラブ外の人たちにも公開してくれるという催しです。
息子と二人、行ってきました。
私自身はもちろん、周りにもアマチュア無線をしている友達なんていないので、「交信の現場」というのを見るのは初めて。
しかもその相手が南極の昭和基地、というだけでもエキサイティングで面白かったんですが(昨日は電波状況がよく、南極からの音声が非常にはっきりと聞き取れました)。
交信の前にあった「オーロラと機械隊員」という講演が、すごく面白かった。
第33次・第43次と、2回越冬を経験した中村さんが、画像や動画を駆使して南極での生活を語ってくれたんですが、「子ども達も聞きに来る」ということがあったせいか、「昭和基地ではこんな楽しいこともやっている」みたいな話がほとんどで。
「オーロラと機械隊員」という講演タイトルなのに、オーロラの話や機械隊員の仕事、みたいな話はあんまり出てこない(笑)。
毎月隊員の誕生日パーティをやる話とか、男ばっかりだったので雛祭りにはみんな女装したとか、露天風呂を作って「オーロラ見風呂」を体験したとか、「ドラム缶風呂で一杯」とか。
そこだけ見てたら「南極って、ええなぁ」みたいな。
観測隊にはプロのシェフが同行しているので、料理も本格的で、すごくおいしそうなんですよね。
今回、第一次越冬隊の通信担当だった方も来てらしたんだけど、「51年前とはえらい違いや」って驚いてはりました。
51年前は夜は電源を落としてしまうので、基地内も外と同じ気温(つまりとても寒い)だったらしいんですが、今は24時間暖房完備、基地内は半袖TシャツでOKという快適さ。
飲み放題食べ放題のバーもあり、インターネットも繋がり。
51年前はそれこそ無線でしか日本とやり取りできなかったのが、今は普通に電話も繋がるのです(無線交信の後、電話でも昭和基地とやりとりがありました)。
すごい進歩ですね。
そうは言っても、やっぱり外に出れば平均気温マイナス10度。
他に遊びに行くとこがあるわけじゃなし、基地の中のメンバーは常に変わらぬ40人だけの閉鎖社会。
それで1年間過ごすわけですから、毎月七夕だなんだと行事をして、露天風呂を作ったりするのは、「精神を健康に保つ」ためには必須の工夫なんですね。
内陸へ調査に行ったときは、1か月雪上車で寝起きという話もありましたし。
私、知らなかったんですけど、南極って、海抜が高いんですって。
大陸の上に氷の層が積もってて、まぁ昭和基地は海岸なのでそれほどでもないみたいですが、内陸の高いところは富士山よりも海抜が高い。
なので、気圧が低くて酸素が薄い。
零下の気温で、しかも600hPaぐらいの気圧のところで作業しなければいけない。
やっぱり、過酷です。
南極に「行く」だけでも大変やし。
オーストラリアから南極に行く途中、暴風圏というところを通らなければいけないんですって。めちゃめちゃ揺れて、ロープで固定していてもやっぱり荷物が飛んでって大変、という動画も見せてもらいました。
観測隊員になるためにはもちろん健康診断もあるし、雪山での訓練、救命活動の訓練なども受けるそうで、なまなかなことではありません。
でも、オーロラの下で露天風呂って、入ってみたいですよねぇ。外気温マイナス10℃とか20℃とかでのお風呂やけど……。
日記・その他
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