元日の「ラジオ巻頭言」の中で。(これがわからない人は先にこちらを読もう)

内田樹センセはまず「哲学者」と紹介された。

ふぅん、内田センセって「哲学者」だったんだ。

内田センセは神戸女学院大学の教授でらして、『大人のいない国』の著書紹介欄には、「専門はフランス現代思想、武道論、映画論など」と書かれてある。

「など」ってところが、さすがというかなんというか。

一言では言えないって感じがしますよね。こう、いざ肩書きを紹介しようとすると「はて、この人はなんと紹介すればよいのか」というぐらい、守備範囲が広いというか。

「みんなまとめて面倒みよう」ってblogに掲げてありますものね。

で。

ラジオの後半、もう一度内田センセの紹介があって、その時には「思想家の内田樹さん」という肩書きになっていた。

あれ、内田センセって「思想家」でもあったんだ。

っていうか、「哲学者」と「思想家」って、同じなんだっけ?

わざわざ別の言葉になってるんだから、違うような気もするし、でもどちらも内田センセの紹介として使われていて、内田センセは「一人」で、ってことはこの場合どちらも「思索する人」というほどの意味で使われてるんだろうか。

と、ちょっと引っかかってしまった。

毎度おなじみ新解さんによると。

【哲学】:①宇宙や人生の根本問題を理性的な思弁により突き止めようとする学問。②自分自身の経験から築き上げた人生観(世界観)。

【思想】:その人の生活(行動)を規定し、統一する所の人生観・社会観・政治観などの統合されたもの。

だそうだ。

うーん、なんか「思想」の方は、「え、そーゆーもんなの?」という気がしないでもない。

「思想」って、漢字だけ見ればどっちも「おもう」だし、人間である以上何事かを「おもう」のは当然で、具体的にこうと言葉にはできなくても多少の「人生観」は持ってるもんじゃないかと思う。

となると、誰でも「思想家」を名乗れるような気がしますよね。

「思想」が「思想家」になると、突然「なんかヤバそうなことを企んでいる活動家」のような雰囲気も出てくるけど。

「思想」って、「イデオロギー」の匂いがする。「イデオロギー」の訳語として生まれた言葉ではないのかな?

ちなみに【イデオロギー】:人間の行動を決定する、根本的な物の考え方の体系。〔狭義では、それぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指す〕

昔、父方の祖父が「日本思想大系」という全50巻ぐらいの全集を持っていた。祖父が亡くなって我が家に来て、もちろん誰もそんなもの読まないので押し入れの奥で眠ってて、最終的には図書館に寄付されたんだけど、そこには「空海」とか「日蓮」とかいう名前が並んでいた。

「あ、思想って宗教のことなの?」

と、箱に書かれた各巻のタイトル(というか、ほとんどが“思想家”の名前)を眺めて思った。

だって空海とか日蓮ってお坊さんでしょ、一応。日本オリジナルな宗派かもしれないけど、一応仏教ベースの「宗教」じゃん。

たとえばヨーロッパとかで「西欧思想大系」とかっていう全集を編んだら、マルティン・ルターとかローマ教皇とか、キリスト教関係の人って「そこ」に入るのかなぁ。

「哲学大系」だとどうだろう。

「思想」というのを「人間が考えたこと」というふうに捉えると、「哲学」も「宗教」も「思想」の中に含まれる。

で、「哲学」と「宗教」の違いは「布教するかどうか」だ。

自分一人で思索してれば「哲学」。「この考えはいいよ!あんたもこう考えなさい!」と布教すれば「宗教」。

その伝でいくと、「資本主義」とか「民主主義」っていうのも「宗教」に入るな(笑)。

……でも「哲学者」って、やっぱblogでぐちぐち思索してるだけでは名乗れないもんなんでしょうね。

残念。