無事ライブと父の見舞いを終えて、久しぶりにパソコンを開いたら、内田先生のblogにこんなありがたいお言葉を発見。(2月1日付けの記事です)

曰く。

「自分がここでこんなことをしていることに意味はあるのか?」という切実な問いを抱え込んでいるということそれ自体が文学の手柄であると私は思っている。

おおっ!

それじゃあ私はものすごーくまっとうな文学者ってことじゃないですかっ。

お金にならない小説をえんえんと書いては、「こんなことして何になるんだろう」「でも書きたいんだもん」「でも無駄だよね」「だって書きたいし」と無限ループの思考をしている私にとって、このお言葉は本当になんと心強い励ましであることか(涙)。

胸を張って「文学してます」と言えないという、この「疚しさ」が文学のたったひとつの「いいところ」なのである。

そうそう、そうなのよ。

「小説書いてる」なんて、そうそう大っぴらに言えないのよ。やましくて。

よっぽど仲の良い人とか、「この人には言っても大丈夫」って人にしか言わないもん。

♪ぼくの書くものは 秘密だよ 誰にも言わない 秘密だよ♪ (byリボンの騎士)

でも、その「やましさ」が「文学のいいところ」なんだ。

そうか、そうなのか。

ああ、嬉しい。

まともな家の子どもが就くものではない。
それでも「やりたい」という子どもは文字通り「自己責任」において文学をやるしかない。


あはははは。

まともな家じゃなかったんだ、うち(笑)。

これからも、「自己責任」でこそこそと、「ああ、無意味だ」と思いながら書き続けたいと思います。

ありがとう、内田先生。