この間毎日新聞の「発信箱」という欄に、「浮きこぼれ」の話が載っていた。(記事はこちら

「浮きこぼれ」というのは「落ちこぼれ」の逆で、賢すぎて集団から浮いてしまう子のこと。

ああ、わかるなぁ。

賢いことって、教室内で意外にメリットないんだ。

頭がいいより、運動神経いい方が絶対スターになれる。

成績はいいが運動音痴だった私はだから、「生まれ変わるなら運動神経を選ぶ」とずっと思ってる。

にしても、「学校では『賢いね』と一目置かれてはいるが、浮くのが怖くて『数学が好き』と言い出せない。教室では自分を抑え、孤独や疎外感を感じている」って、なんとも気の毒な話だよねぇ。

今って、「人の成績を下げることによって自分を有利にする」という「市場原理」が教室を支配して、授業を妨害することが合理的な行動になっているらしいから、なおさら「勉強が好き」な人間って排除されるんだろうな。

日本には「出る杭は打たれる」って言葉があるくらいだし、習熟度別授業さえ「差別だ!」とか、「うちの子が“バカクラス”に入れられたらヤだ」とかいう反発があってなかなか普及しないのに、「発信箱」の言うような「飛び級制度」なんて、とうてい実現すると思えない。

今日の新聞には「科学技術立国がどうのこうの」という記事があって、高額の研究予算をつけるとかいう話が出ていたけど、そもそも科学者になる可能性のある子どもをきちんと育てようという施策がないじゃないか、と思う。

高校にはスーパーサイエンスハイスクールとかいうのがあるんだっけ。あれは国からお金が出てるんだったかな???

でも高校じゃ遅くない???

小学校や中学校でも「数学が好き。勉強が好き。でも“浮く”からそんなことは隠しとく」っていう子がいるわけでしょ。

そりゃ小学校から偏差値高い私学行って、能力全開でバリバリ高度な授業を受けてる子もいるかもしれないけど、「勉強したけりゃ塾か私学へ行け」っていうのは、間違ってるよなぁ。

貧乏な家に生まれた賢い子はどーするんだ。


うちの息子も、「浮きこぼれ」の気配濃厚。

正直、学校の授業は退屈で、「早く元素記号とか出てくるといいのに」って言ってる。「いつになったら歴史を習えるの?」とか。

学校の先生は、言うこときかない子ども達を相手にとりあえず授業を成立させるのに手一杯。問題児には手厚いけど、「ほっといても大丈夫な子」は当然ほっとかれる。

私が小学生の時は、先生が「発展問題」を出してくれて、数学好きな男の子達と「誰が一番に解けるか」なんてことをやっていたんだけど(すごく楽しかった)、今は基礎すら「3学期までにちゃんと終わるのか?」って進み具合やし……。うちの学校だけか???

あんまりこういうこと言うと、「学校は勉強だけするとこじゃない」とか言われたりするしな。

学校が「勉強する」とこじゃなくて「人間関係ばっかり」になったからよけい息苦しい空間になったんじゃないの?


滋賀はそんなに私学がないから、「中学受験」なんてホントに「変わった子しかしない」って感じなんやけど、地元公立中の評判を聞いてると、「私学に行かせた方がいいのか?」とか考えてしまう。

私は大学まで公立、塾に行った経験もなく、「別に公立でも勉強はできる。本人の意欲次第」と思ってたんだけど、今の学校現場は昔とは違うよな、って。

まぁ、もちろん「本人の意欲」はいつの時代も一番大切なんで、息子がどう思ってるかはわからない。

わざわざ受験して、わざわざ遠い学校まで行く気があるかな?

……めっちゃ早起きしなあかんもんな。まずそれが無理や(笑)。

私も参観とかでいちいち電車に乗ったりするのヤだけど。


公立でちゃんと勉強好きな子が知的欲求を満たせるような教育をやってほしいなぁ。

まぁどんなに学習指導要領をいじっても、「教室内の異物排除圧」というのはなくならないのかもしれないけど……。

「出すぎた杭は打たれない」になるしかないのかな。